和の部屋にいる理由 ★

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和の部屋にいる理由 ★

 鍵を持っていないため、家の鍵は竜一に開けてもらった。バイトで遅くなったし、和はもう帰宅していると思っていたが、まだのようだった。  暗い家の中を勘で歩き、大量のショップバッグを手探りでソファーに置いた。 「ねえグーグル、電気つけて」 『わかりました。LEDをオンにしました』  部屋の中はしんと冷えている。 「……着替えよう」  事務所で借りてきた本をテーブルに置き、颯太はセットされた髪をくしゃくしゃと元に戻した。今まで天然物だった無造作ヘアが、カットしてもらったお陰で、見違えてまともになった。やはりプロは違う。 「でも疲れた……」  買い物、美容院、ランチ、バイト。まるで大学生の春休みみたいだ。しかし、馬車馬のように働いていた時より体が怠いのは、この一週間で体が楽をすることを覚えてしまったのかもしれない。  自殺しようと思って人気のない雑居ビルのエレベーターを上がった。なのに、甘い言葉に誘われるまま生きている。  誰かに必要とされること、誰かが近くにいてくれることの温かさ。その『誰か』がいてくれるだけで、こんなにも満たされた気分になる。その『誰か』は誰だっていい。間違っても、出会って数日のお人好しな男に惹かれているわけじゃない。  そう思わないと……こんな調子で、来週死ぬなんて出来るんだろうか。  すっきりした髪型、新しい服。初めてソファーでうたた寝をした時とは正反対の格好で、颯太は少し居眠りをした。  和が帰宅したのは、相変わらず日付が変わる直前だった。  颯太が風呂から戻ってきたら、ソファーに座り、ぼーっとテレビを観ながら缶ビールを傾けていた。 「あ、あがった? ただいま」 「おかえりなさい」  首に掛けたタオルで髪を拭いながら答える。定型的な挨拶を済ませると、和は缶を持ち上げて笑った。 「颯太も飲まない?」  久しぶりに和が酒を飲んでいるところを見た。アルコールの匂いをさせて帰ってくることはあるが、家で飲んでいるのはここに来た日以来だ。 「いただきます。肴は? 何かいりますか?」 「俺はいいかな。欲しかったら何か持っておいで」  特に腹は空いていなかったので、颯太も冷蔵庫からビールだけを取り、この数日間毎日そうさせられているように和の隣へ座った。 「遅かったですね」 「んー? 気のいいおじさん達に捉まっちゃって」  温かい指が、洗い晒しの髪を楽しそうに梳いていく。 「髪、軽くなったね」 「美容院にも連れていかれたので」 「竜一からメールが来てたよ。不愛想でも可愛く見える髪型にしてやった、って」  くすくす笑う和に、思わずムスッとしてしまう。確かに酷い髪型をしていたかもしれないが、そこまでイメチェンされたつもりはない。 「竜一と仲良くなったんだね」 「そんなことないですよ。細谷さんが一人で八割話してました」 「それ、俺と颯太の時もそうじゃない?」  そう言って和が笑う。 「久しぶりの街はどうだった? 買い物は楽しかった?」 「買い物は、もうこりごりだと思いましたよ」 「え? どうして?」 「人の金で買い物なんて怖いですよ。あ、カード返しますね」  コートのポケットに入れたままだったクレジットカードを寝室まで取りに戻る。カードを受け取った和は、ソファーに深く座り、わからないと言わんばかりに颯太を見上げた。 「後で請求したりしないよ?」 「そういうんじゃなくて、貢がれてるみたいで居心地が悪いというか、理解が追いつかないというか」  颯太がいなくなったら自分で着ると言われても、それが嘘だということは考えなくてもわかる。和から初めに提示された条件さえまともに付き合えていないのに、一宿一飯はもちろん、何かを与えられ続ける状況に得体の知れない恐怖を感じる。親切は人の為ならずとは言うが、颯太から和に返せるものなんてない。  颯太が苦笑しながら缶のプルトップを立てると、和は「そっか」と言ったきり、颯太の胸中を追及してはこなかった。 「バイトは? さっそく始まったんでしょ?」 「細谷さんから聞いたんですか?」 「うん、礼を言われたよ。紹介してくれてありがとうって」  和の紹介だから当たり前なんだろうが、そんなに仲が良いのでは、やることなすこと全て和に筒抜けになりそうだ。しかし、雇ってよかったと思ってくれたなら嬉しい。 「バイトは楽しかったです。といっても資料整理なんですけど、なんだろう……楽しかったです」 「こつこつした作業が好き?」 「それもありますけど、本物の空気というか、目新しさもあるし。あと、照もいいやつで」 「あそこの兄弟は賑やかだよね。おじさんにも会えた?」 「いえ、所長……は出張中とかで」 「おじさんはもっとすごいよ。会ったら颯太も驚くと思う。竜一と照を足して割らない感じ」  二人のタイプが違いすぎて、頭の中で足すことが出来ない。  所長が出張から戻ってくるのは明日とのことだが、多忙すぎて事務所にはあまり来ないと言っていた。少し残念だが、颯太が会うことはないかもしれない。 「ねえ」 「なんですか?」 「もし、新しいことに興味があるなら、株もやってみる?」 「株? 突然どうしたんですか?」  颯太が首を傾げると、和は「んー?」と呻りながら手に持っていた缶で遊んだ。 「日頃のお返しに、俺も颯太に何かしてあげられないかなって。株なら少しは教えられるから。チャートの読み方とか、売り買いのタイミングとか」 「それは……ちょっと」 「まあ、ちょっと違うよね」 「違うっていうか」 「でも俺の出来ることって他に何もないんだよね」 「いや、あの……」 「それにほら、颯太はぼーっとしてるより、何かしらしてる方が好きなタイプでしょう?」  和の言った「日頃のお返し」に絶句した。こっちは与えられ続けることに焦りを感じているというのに、まだ何か与えられようとしているのか。  互いの価値観の物差しがあまりにずれていて笑ってしまう。 「颯太?」 「すみません。気持ちは嬉しいですけど、これ以上和さんから何かもらうなんて出来ません。株には、知識として興味ありますけど、そもそも元手もないし論外だし」 「資本金なら俺が貸すよ」 「ただでさえ借金を踏み倒そうとしてるのに、返せないのがわかってて借りられません」  颯太は試すように和を見た。 「それに、和さん相手に借金したんじゃ、あいつらにしたみたいに体で支払いを待ってもらうことも出来ないし」 「なに?」  予想通り、和は怪訝そうな顔をした。  やはりわかっていない。いっそ忘れているんじゃないかと疑ってしまう。 「俺がここにいるのは、和さんのセックスの練習相手になるためですよ?」  そしてその代償は、金でも知識でもない。最初に約束したはずだ。 『君が死んだ時に誰よりも悲しんであげる』  そしたら、セックスなんて、いくらでも付き合う。 「……そっか。トイチで金を貸して、真面目な颯太が俺から離れられなくなればいいって、そういう魂胆だったんだけど、全然ダメだね」 「ダメですよ」 「発想が悪徳ヤクザならではでしょ?」 「和さん、悪徳の意味わかってますか?」 「わかってるよ」 「怪しい」 「怪しくないよ」 「意味、言ってみてくださいよ。広辞苑っぽい感じで」 「ええ? 先生は厳しいな。ビール一本で勘弁してくださいよ」  空缶を奪われ、キンキンに冷えたビールを追加で渡される。 「あ、ずるいですよ」 「ずるくないよ」  真冬でも、暖房の効いた部屋で風呂上りとあれば、ビール一本で機嫌もよくなる。 「けど、颯太こそ、俺との約束をどうやって受け取るつもり?」 「え?」 「だって、死んだ後に俺の元に来てくれるわけじゃないでしょう? 確認しようがないじゃない?」  言い淀んでしまった。 「俺から提案しておいて何だけど、本当に颯太の欲しいものに替えてくれてもいいよ」 「本当に、欲しいもの……?」 「うん」  どうして和の言葉に強烈に惹かれたんだろう。冷静に考えると、途端にわからなくなった。最初は、金以外の話が出来て嬉しいからだと思っていた。だが、本当にそれだけか? 「化けて出てやりますから、とりあえず、このままで……」 「ええ?」 「とにかく、……あんたとの間に金銭は発生させたくない」  颯太がそう言うと、自分で茶化したくせに、和は複雑そうな顔をした。 「和さん?」  おもむろに唇が近づいてきて重なった。 「腑に落ちないなら、俺に付き合うと思って聞いてよ」 「え?」 「株。颯太はやってもやらなくてもいいから、聞き齧った程度でもいつか役に立つかもしれないし」 「その話、まだ続いてたんですね」 「続いてましたよ」  そう言って笑うと、和はタブレット端末を片手に話し始めた。  颯太も初めこそ相槌を打ちながら聞いていたが、どんなにわかりやすい話もアルコールの回り始めた頭には入ってこない。それどころか、小難しい単語が出てくるたびに、どんどん眠たくなっていった。  興味のない授業でもこんな風にはならなかったから、これは酒が原因だ。あとは、和の優しい声。和の声は心地いい。  船を漕いでいると、和の手が腰に回った。「寝てもいいよ」の言葉に甘え、和の肩にもたれる。ぽんぽんと寝かしつけるようリズムを刻む手に合わせ、体から徐々に力が抜けていく。 「やばい、本当に寝そうです……」 「寝たらベッドに連れてってあげる」 「……でも俺、今日何もしてない……」 「何も? 買い物もバイトもしてきたじゃない」 「練習……」 「いいよ。今日は色々あったし、アルコールも入ってるしお休みで」  颯太の眉間にしわが寄っていることなど気にも留めず、和はおおらかに笑っている。 「まだ一週間残ってるし、ね?」 「もう、一週間しかないんですよ……?」  あと一週間で和が颯太を相手に使い物になるようにしないといけない。じゃないと、結婚して尚、和は地獄を見るんだろう?  ふいに竜一から聞いた話を思い出した。  気怠い体を奮い立たせ、颯太はソファーの足元に屈んだ。  練習台になることが、颯太から和に出来る唯一のことで、ここにいていい唯一の理由だ。和が颯太の何に対して引け目を感じているのか知らないが、ろくに触れられもしないで眠ってしまうのは、和の部屋にいる意味を失いそうで怖い。  例え、颯太の受け取る代償が揺らぎつつあっても、約束したことには責任を持ちたい。 「颯太?」 「舐めてもいいですか? 口なら、男も女も変わらないでしょう?」  和の制止も聞かず、颯太は上等なベルトに手をかけ、和のズボンのフロントを寛げた。反応していない性器を下着から引っ張り出し、指で支えて唇で啄む。 「ちょっと、ちょっと待って! 本当、どうしたの? 酔ってる?」 「……気になるなら、今日の洋服と美容院代だと思ってください」  確かに酔っているのかもしれない。蒸れた男の匂いと、口の中で膨らんでいく性器の味にいやに興奮する。 「ん……ぅ、んっ……」  初めこそ柔らかいままだったが、執拗に口で愛撫を続けていると、和のそれは次第に芯を持ち始めた。 「ちゃんと勃つ……」  反応してくれているのが嬉しくて、颯太は邪魔な髪を耳にかけ、口の中いっぱいに和を頬張った。  どんどん溢れてくる唾液が口の中に溜まり、少し頭を上下させるだけで口腔が卑猥な音を立てる。颯太は鼻息を荒くしながら、舌を動かし、懸命に太い先端を喉で吸った。 「颯太……」  和の声も少し掠れ始めている。それにまた気分がよくなる。 「ふ……っぅ、……っ」 「颯太」  頬を撫でられ、和の方を向くよう言われたが、その声は無視した。涙を浮かべながら必死になっている顔なんて見られたくない。それに、もし口淫をしている颯太の顔を見て萎えてしまったら、どうすればいい?  頑なな颯太の反応を見て諦めたのか、和は颯太の髪を撫でるに留めたようだった。しかし、そうされるだけでも口の中が気持ちよくなってくるんだから不思議だ。雁首の張ったところが上顎を擦っていくのがひどく気持ちいい。 「ごめん、やっぱりストップ」  うっとりした顔で行為を続けていると、顎をすくわれ、育てた屹立から無理やり唇を引き剥がされた。 「あ……っ、なん……」  口の端には、和の先端から溢れた蜜が糸を引いている。不満げに息を漏らすと、和は「本当だね」と言って苦笑いを浮かべた。 「へ?」 「行為の対価に物理的なものを提案されると、苦しくなる……」  ぬらつく唇を指の腹で拭われ、「颯太の気持ちがわかったかもしれない」と窘められる。 「……すみません、そんなつもりじゃ……」  和は颯太を膝の上に引き上げると、主張していた颯太のズボンの前を撫でた。 「あ……っ」 「舐めて感じてくれたの?」  ありのままを言葉にされただけなのに、和が言うと卑猥に感じる。  颯太が身を捩ると、膨らみを手で揉まれ、すっかり勃ち上がったそれを和の熱と共に握り込まれた。指とは少し違うなめらかな感覚が裏筋を擦り、ぞくりと肌が粟立つ。 「和さ……っ」 「……ごめん、ちょっと付き合って」  和が手の中に腰を入れる度に視界が上下に揺れる。そのリズムに合わせて、熱い手で性器全体を擦られ、性器を性器で抉られる。挿入されてもないのに、まるで下から突き上げられている気分だ。 「あ、っ、ふぁ、あっ、……っ」  振り落とされないよう和の首にしがみつく。 「和さ……っ、あっ……っ、もう……」 「颯太……」  耳元で聞こえる和の荒い息づかいが、颯太を一層どうしようもない気持ちにさせてくる。  足の指がきゅっと縮まり、ソファーの生地を深く掻く。 「ああ──っ!」  一際強く性器を握られた瞬間、和の手は二人分の精を受け止めていた。 「は、あ……はぁ……っ」  どちらのものともわからない白濁が、べったりと和の手を汚している。 「あ……すみませ……」  体から力が抜け、颯太は和にしなだれかかった。 「大丈夫?」  和の声が笑っている。颯太は首を振り、呼吸が整うのを待った。  和が反応してくれて安心した。男の自分相手にも萎えなかった。この数日間抱えていた不安が、一つ消えた気がした。 「このまま寝ていいよ。運んであげる」 「寝ません……」 「どうして? 眠そうだよ? 寝なよ」  最後の抵抗に「んー」と唸れば、その声を塞ぐようにキスされた。さっきとは違い、今度は舌で口腔をくすぐられる。気持ち良くてもっとしていても良いと思ったが、颯太が息を漏らす頃には唇は「おやすみ」と微笑んで離れていった。  ベッドに寝かしつけられ、抱き枕よろしく抱き締められる。 「続きは明日お願い。ね?」  その提案に対して頷き返せたかはわからない。明日は昼寝でもして、和より長く起きていられるようにしよう。眠りに落ちる前にそう思ったのは確かだ。
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