颯太の知るヤクザ

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颯太の知るヤクザ

 もともと働くのは苦じゃないし、無心になるには労働が一番だと思っている。忙殺されて、余計なことを考えられなくなるのがいい。  ホストクラブでは、日曜日を定休日としているところが多いが、颯太の雇われた店は違った。年中無休で、日曜の深夜にもどんどん客を呼び込んでくる。  客層のメインは近所に勤めている水商売の女性だ。キャバクラや風俗店も、日曜は休みなのだろう。まるで出勤でもしてくるように、派手な女性達が来店する。  他人の金の使い方にケチをつけるわけではないが、カウンターの中で食器を洗っていると、世の中で金が回っていることを実感する。一本二万円もする黒糖梅酒が注文されていくんだから。  数件の面接を受け、即日採用してもらえたバイトは、ホストクラブでの食器洗いだけだった。白いワイシャツに摩れた黒のズボン、その上から借り物のエプロンを巻いた格好で、次々運ばれてくるグラスを洗う。バーカウンター内に立って果物を切ったり、乾きもののつまみを皿に盛って各テーブルに持っていったりもするが、難しいことは何もなく、業務内容は以前やっていた居酒屋のバイトと変わらない。  所謂、誰にでも出来る仕事だ。日雇いには何も期待されていないお陰で、愛想も素っ気もない顔で働いていたって、指示されたことさえこなしていれば何も言われない。  だから、「相変わらず辛気くさいやつだな」と言われた時には、絶句してしまった。 「立花さんとこの坊っちゃんが、こんなとこで何やってんだ?」  品など微塵も考慮していない派手な身なりに、見せびらかすように手の甲まで彫られた刺青。そういえば下卑た顔で性器に真珠を入れていると自慢していた。  来店の合図を聞いて顔をあげると、アパートに何度も押しかけて来た男が入口に立っていた。  男はけばけばしい女を両腕に抱き、半月前と変わらない──まるで値踏みするような目で颯太を見下していた。仕事中じゃなければ「あなた達、よくそんな男と一緒に歩けますね」と、口が滑っていたかもしれない。 「突然『おうちの借金』を返してくれたもんだから、てっきりパトロンでも見つけたのかと思ってたんだぜ?」  ちょっと口を開いただけでも下品なのに、にやにや笑ってくるものだから余計に見ていられない。 「立花くん、返事して」  隣に立っていたバーテンダーに脇腹を小突かれる。 「え……?」 「そのわりには、んな格好してバイトか?」 「日雇いですが、昨日から来てもらっています」 「ふーん、何? そのパトロンにはもう捨てられたわけ?」  颯太が顔を顰めて答えずにいると、今度は隣からあからさまに睨まれた。  ここはこのチンピラの息のかかった店なんだろう。そうだとすれば、このバーテンの態度もわかる。 「何? 知り合いなの?」  女の一人がねっとりと鼻にかかった声を出す。 「この坊っちゃん家、ちょっと前まで俺の職場だったんだよ」 「やだー、闇金に手出してたの?」 「若いのにだめだよー」  女が口々に好きなことを言い始める。 「けどそれが、こないだ一括で返済されたわけよ。どういうわけだか、なあ?」  何とでも言え。というか早く席に行ってくれ。  心の中でそう唱えていると、ようやくホストが男達を迎えにきた。これで解放される。そう思ったのも束の間だった。 「俺らいつものやつな。つまみと毎月の会費は、坊っちゃんに適当に持ってこさせて」 「かしこまりました。立花くん、新しいナッツ開けて」  あの男には近づきたくない。顔を見ただけで寒気がする。そうは思っても、店に雇われている以上、仕事を断るわけにはいかない。『毎月の会費』を用意するまでの間だから、と言われれば尚更だ。 「……わかりました」  だが、つまみと毎月の会費をお持ちするだけで、すぐに解放されるわけがなかった。 ふかふかのソファーに浅く座り、煙草や香水の匂いが充満した空間で一問一答に付き合わされる。 「なんでホストクラブでグラスなんて洗ってんだ? もっとケンゼンなバイトがお好みじゃなかったか?」 「土木のバイトは平日しか募集がないので」 「そのビジュアルで土木工事! やめときなよー」と女が笑う。  余計なお世話だ。女顔というだけで、非力なわけでもなければ体力がないわけでもない。 「割りのいいバイトを探してたってわけか?」 「まあ」  颯太がうつむき加減で答えていると、チンピラは女から離れて颯太の肩をぐいっと引き寄せた。少し近づいただけでアルコールと煙草の混じった饐えた臭いが鼻につく。 「なんだよ、俺に言えばもっと割りのいいバイト紹介してやったのに」 「なによー、仕事の斡旋もやってるの?」 「んー? 坊っちゃんはこう見えて、腰振るの上手いもんな?」 「な……っ」  男は得意気に颯太の腰を撫で、「あんた、男相手もできたの?」と笑う女達に「男色は武士のたしなみだろ?」と得意気に言って返す。 「見せてやろうか?」 「見たーい」 「は? ちょっと! やめてください!」  ソファーに押し倒され、意図せず一人の女の太腿に頭が乗った。焦って退こうとしたが、女は服を脱がされる颯太を楽しいおもちゃを見るような目で見下ろし、チップだと言って颯太のシャツのポケットにいくらか突っ込んだ。 「おい、ノリが悪いぞ」 「あ、あたし良いの持ってるよー。可愛いから一粒あげちゃう」  少し離れたところに座っていた女が、すぐ脇まで来て笑顔で何か言っている。しかし、颯太はそれどころじゃない。いつの間にか人垣が出来、煽るような手拍子が鳴り響いている。他の客だっているだろうに、ヤクザのシマは治外法権が成立しているのか? 「やめ……っ!」  なんとかその場から逃げようと試みたが、男は口に何か含むと、煽った酒ごと颯太の口腔に流し込んだ。 「んんーっ!」  温く微炭酸になったハイボールが口の中に溢れる。颯太が抵抗していると、飲み込むまいという努力も虚しく、男に顎を持ち上げられて嚥下してしまった。 「ちゃんと飲めたー?」  気持ち悪くて涙が出てくる。少し前までは、借金の返済を遅らせるためだけに、平気で男達に体を貸していた。なのに、今はこれくらいのことで嘔吐をもよおしそうになる。 「なんだよ、パトロンに操だてか?」  男の愉快そうな声が聞こえ、颯太は声の方を睨みつけた。唇を拭い、颯太に馬乗りになっていた男を突き飛ばすようにして起き上がる。 「てめぇ……!」  ソファーから落ちてしまった男は、余程恥ずかしかったのか、威勢よく颯太に殴りかかった。咄嗟にかわせるわけもなく、左頬に痛みが走り、殴られたはずみで目尻に溜まっていた涙が頬をつたった。  店内は騒然とし、空気を読めない女だけが、「やだー、泣いちゃったじゃん」と言って笑っていた。 「興醒めだわ、外に放り出しとけ」  男が盛大な溜め息をつく。 「た、大変失礼いたしました!」  放り出すも何も、こんな店、自分から出ていくに決まってる。  颯太はソファーから立ち上がり、他には見向きもしないでスタッフ用の更衣室に入った。  備え付けの洗面台で口をすすぎ顔を洗う。借り物のエプロンをロッカーへ戻し、毛玉のついた黒いコートを羽織った。 「もう来なくていいから」  店内に通じているドアの付近に立ち、面接の時に会ったきりだった支配人が吐き捨てるよう言った。 「っ、来るわけないだろ!」  ロッカーに押し込んでいた紙袋を掴み、颯太は裏口から店を後にした。  給料を昨日のうちに前借りしておいて良かった。そうでなければ、金なんていらない! と、言い捨てて店から飛び出していたかもしれない。もらった給料に対して労働時間が足りないかもしれないが、それはさっきの慰謝料だ。 「……疲れた……」  ほんの半月前まで、睡眠時間を削り、大学に通いながらバイトをしていた。あの男達の相手だってこなしていた。あの時の方が圧倒的にしんどいはずなのに、今日の方が何倍も辛く感じる。  これから五百万円以上を返済していかなければいけないのに、先が思いやられる。  しかし、法律事務所でのバイト代とこの二日分の給料で、急ぎのものは買えた。  颯太は大きな袋を両手で抱え、その中身を思い返して表情を緩めた。和は喜んでくれるだろうか。グレーと水色の――。 「うわっ」  ふいに体がぐらつき、咄嗟に自動販売機にもたれかかった。  駄目だ、頭が回らなくなってきた。そういえば、さっき何を飲まされたんだ?  真冬だというのに、シャツの下にはじんわり汗をかいている。体はどんどん火照ってくるし、立っているだけで息があがる。  無理やり飲まされた酒はハイボールで、決して強い酒ではなかったはずだ。 「……や、ば……」  覚束ない足取りで人通りの多い道を歩く。しかし、人波に押し返されたり、人にぶつかって立ち止まったりしていると、一向に駅にたどり着けない。一度ガードレールにでも座って休んだ方がいいかもしれない。  そう思った矢先、路肩に止まった車から見たことがある顔の男が下りてきた。目が合い、颯太の方へ向かって歩いてくる。 「な、に……?」  男に肩を掴まれ、うるさく何か聞かれた。あと確か、車の後部座席に押し込まれたと思う。体が熱すぎて、それどころじゃなかったせいか、この辺りの記憶は怪しい。  ただ、こういう時に大切なものを離さないというのは本当らしい。両手で抱きしめていた紙袋だけは、部屋に着くまで絶対に離さなかった。
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