後悔と誤解 ★

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後悔と誤解 ★

 バイトをしていたくらいで、どこの誰が仁王立ちで出迎えられると思う? 「……おかえり」  チャイムを鳴らすなり、和は不機嫌を隠そうともしない顔で玄関を開けた。  車から部屋までずっと颯太を支えてくれていた男が、和に何かを耳打ちする。そうか。見たことがある男だと思ったら、和の舎弟だったのか。 「わかった……。ありがとう……」  和の顔が強ばり、向けられる視線がいっそうきつくなる。  舎弟は颯太を和に引き渡すと、さっさと事務所へ戻ってしまった。一人で立っていられなくて和の腕に掴まっているが、和の態度といい、コントロールが利かなくなってきた体といい、正直気が気じゃない。  和に引き摺られるまま、颯太はリビングへ連れて来られた。抱きしめていた紙袋は奪われ、テーブルの上に雑に置かれる。 「これは何?」  冷たい目で凄まれ、思わず息を呑む。  足はふらついているのに、本能が後退れと言う。──一歩、二歩。だが、その二歩さえ気に障ったようで、和は颯太の腕を掴むと幼い子供を叱るように颯太の目を覗き込んできた。 「酒の匂いさせて、外で何してたの? タバコくさいし、香水の匂いだってひどい」  和が怒っているのはわかるが、何に対して怒っているのか見当がつかない。 「なに、って……」  颯太が返事出来ずにいると、苛立った和が続けた。 「今朝のことがあったから、気になって帰ってきてみれば君はいないし。竜一に聞いたら、今日も朝帰りだったらしいね。その挙げ句、探しに行かせたら、俺を刺した連中のシマにいたって?」 「いッ」  左頬に触れられ、ぴりっと走った痛みに顔が歪む。 「こんな痣まで付けられて……。ヤクザは嫌いなんじゃなかったの?」  和を刺した連中のシマ? 「颯太」  和の声が低く名前を呼ぶ。威圧感に押し潰されそうなはずなのに、腰に響く声はぶるりと颯太の肌を粟立たせた。 「知らない……俺は、バイトで……」 「バイト? じゃあこの汚い金は何? こんな風にバイト代をもらう仕事って?」  颯太の胸ポケットに突っ込まれていた札を抜き取り、和がテーブルに叩きつけた。女に捩じ込まれた金だ。  何から説明すればいいかわからなかった。どんどん息があがっているし、いつの間にか下肢は熱を持ち、ズボンの中で居心地悪そうに膨れている。うまく頭が回らない。 「和さん、ちょっと、話ま、ってください」 「待たない。そんなに金が欲しかったの? こんな端金くらい、俺に言えばいくらでもあげたのに」 「っ、ちが、俺は、金なんていらない……!」  捲し立てられ、最早叫ぶことしか出来なかった。 「金なんていらないのにバイト? おかしいでしょ? もっとマシな嘘ついて」 「和さ……」 「じゃあ聞くけど、……どうしてあいつらのビルだったの?」 「だから、バイトで……」  体が熱くて立っているのもやっとで、今すぐにでもしゃがみこみたい。 「わからない子だな。君は、あいつらの駒だったのかって聞いてるの」  臀部を掴まれ、喉から悲鳴じみた声が出た。 「な、に……?」 「組長の息子なんてやってると、昔から色んな人が寄ってきたけど……まさか、こんな風に騙されるなんて思わなかった……」  和がそう言い放った後には一瞬の沈黙があった。 「残念だけど……本当に殺される前に気づけたし、まだ良かったのかな……?」  あんな連中の駒? 自分が? そんなわけない。とんでもない誤解だ。 「ち、が……」  確かに、颯太にも疑われるに足りる要素があった。しかし、そんな疑いをかけられるまで和の信用を失っていたとは、思いもよらなかった。  すがるように和の顔を見上げると、瞳の真ん中が揺らいだのが見えた。 「……そんなにあいつらが好きだったなら悪いことしたね。債権のこともセックスのことも。あ、違うな……もしかしてハニートラップってやつだったのかな? 上手だったもんね、色々……」 「ちが、う……」 「違う? まあ、何でもいいや。……申し訳ないけど、今、颯太に金を貸してるのは俺でしょ?」  じりじりと距離が詰まっていく。 「あ……」 「他の男のところなんて行かせない」 「和さ……、やめ……」  逃げ場を失い、自由の利かない体は簡単に和の腕の中で抱きくるめられた。 「ひっ、ああ──っ!」  張り詰めていた下肢は和の太腿に掠めただけで弾けていた。大きく肩が上下するのに合わせて、抱きしめられた体が震える。 「あ……っ、あ……はァ……」  一切触れないまま果ててしまった。放心するあまり、溢れてくる涙にまで構っていられない。 「……颯太?」 「あ、もう……い……や、だ……!」  それでも治まらない下肢の昂りに頭が混乱してくる。熱い。 「どう、したの?」 「や、だ……ッ」  何が嫌かわからない。和に勘違いされていることが? コントロールの利かない淫猥な体が? 途方もない熱は颯太の脳まで溶かし、今何を口走っているかさえわからなくさせる。 「さっきから、うるっ、さい……!」  颯太は力いっぱい腕を振り払い、和を突き飛ばした。 「そんな、わけないっ……も、いやだ、触るな……っ!」 「颯太!」  縺れる足でトイレに向かう。だがそれは、トイレに逃げ込む直前で、追いかけてきた和に阻まれた。  無理やり顔をあげさせられ、焦った様子で目を覗き込まれる。 「颯太待って、もしかして、何か飲まされたの?」  下瞼を引っ張られ、上を向くよう強要される。 「やだ……てばぁっ」  羞恥心とぐちゃぐちゃになった下着の気持ち悪さに返事も出来ない。なのに冷めない熱が今すぐに性器を掴んで擦れと颯太を駆り立てる。  和にこんな姿を見られるのは嫌だった。これ以上幻滅されたら……。颯太は腕の中で目一杯暴れた。 「……っ、颯太!」 「や……っ!」  だが、その抵抗も虚しく、和の腕から逃れようとする颯太を抱えて運び、和は寝室のベッドに颯太を下ろした。スプリングが軋み、思わず喉が鳴る。 「は……ぁっ、あ、嫌……嫌だ……」 「颯太」  和が自分の恥態を見下ろしている。見られたくない。羞恥心が強くなり過ぎて、涙が次々溢れてくる。 「嫌っ、……っ、ふぅ……ぅ……」  両手で顔を隠しても、手首を掴んで引き剥がされる。 「俺が嫌でもいいから、何を飲まされたかだけ教えて」 「やだぁ……!」 「颯太!」  和の語気が強くなっていく。 「や……っ」 「嫌なのはわかったからっ!」  苛立つ和の声に体がびくりと固まった。 「あ……、……」 「じっとしてて」と言いつけられ、一人でベッドに取り残された。  和がリビングへ出ていったあと、部屋は途端に静かになった。自分の荒い呼吸だけが耳につき、恥ずかしくて寂しくて消え去りたくなる。 「はぁ……、あっ……」  だが、ベルトに手を掛けたくても和の気配が気になり、なけなしの理性が性的欲求に待てをかける。  和は何をしているのだろう? 「ふ……ぅ、っ……ぁ」  颯太がシーツを握りしめていると、何やら電話で話をしながら和が戻ってきた。 「和さ──」  目が合っていたのも束の間、顎を掴まれ無理やりミネラルウォーターを飲まされる。口の中にどんどん注がれる水を飲み込むのがやっとで、口の端から水が溢れることなんて気にすることも出来なかった。首筋を伝い落ちた水がシャツの襟を濡らし、噎せて吹いてしまった水はズボンの太腿を濡らす。 「そのうち医者が来る。それまで、使いたければ使って」  そう言って和がひっくり返した段ボールには見覚えがあった。 「もともと君に用意したものだから、使いきってくれてもいい」  シーツの上にボトボトと卑猥な道具が落ちてきて、颯太は咳き込むのを忘れて固まった。自慰用のカップに、張り型、用途のわからないものまで目の前に転がっている。  和は段ボールを床に転がすと、手近なところにあった椅子に座ってしまった。足を組み、苛立ちを押し殺すようにタバコを吹かし始める。  君──名前を呼んでもらえなくなった……。 「あ……、……」  颯太は下を向き、しばらく肩で息を繰り返した。 「っ、は、ぁ……は……っ」  じっとしているだけで熱が引いていけばいいのに。そんなことあるわけもなく、かといってベッドの上から動ける気はしなかった。和が部屋から出ていく様子もない。それどころか監視でもするようにこちらを見ている。 「ふ、……ぅ……ッ」  颯太は目に入った道具を床に蹴落とし、覚束ない指でベルトを緩めた。窮屈そうに中から押し上げられているズボンの前を寛げ、誤射して汚した下着の中に両手を突っ込んだ。  はっきりとわかるほどに性器は熱を持ち固く張り詰めている。掻きむしりたい衝動にかられるのに、いくら自分で擦ってみても何も気持ちよくならない。それどころか、擦れば擦るほど、射精できないことに焦りを覚える。 「あっ、……なんっでっ……ぅ、ん……っ」  先程吐精した白濁が性器と手のひらの間でにちゃにちゃ音を立てる。声だけは出したくなくて、口元を押さえたが、鼻からの呼吸だけでは酸素が足りない。息をフゥフゥと吐くことは出来ても、声を殺しながらは上手く吸えない。 「ぅうっ、ふっ……、うっ」  目の縁に溜まった涙を溢しながら、颯太は離れたところで座っている和に目を向けた。 「ん、っ……は、ぁ……っ」  颯太がじっと見つめていると、和はタバコの煙を吐きながら顔をしかめた。  そういえば和がタバコを吸うのは久しぶりだ。初めて会ったとき、屋上で火傷をしてから止めたと言っていたのに。 「前、自分の体なんて金にならないって言ってたけど、きっとそんなことないよ」 「な、……? ぅ……んっ」 「相手さえ選べば、そこそこの金になるんじゃない? 淫乱なネコなんて需要ありまくりでしょ。それを三下なんか相手に……」  和はタバコの火を灰皿に押しつけると、苛立ちを隠そうともせず颯太の脇に座った。和の香水の匂いが鼻腔を掠め、それだけで鼻から息が漏れる。  和を感じながら手を動かすと、先程までと違って肌が泡立つほど快感を感じた。 「あ……っ、んん……っ」 「何かわからないようなものまで盛られて。このまま薬がまわったら、使い物にならなくなるかもしれないんだよ?」 「あっ、や、だっ、……あっ」 「死んだりしたら、どうするの……?」  颯太は体を捩らせながら必死に和を仰ぎ見た。 「あっ、んぅっ、っ……」  和が目の前にいるのに、和をおかずにして自慰をする。はしたないことこの上ない。だが、達するには和の声と目線だけで十分だった。 「……さ……んっ、ぁ……ッ!」  掠れた嬌声をあげ、颯太は手の中に白濁を吐き出した。ピンと伸びた膝下が痙攣し、足が吊りそうだった。  目の前が白んで見える。胸を上下させながら、颯太は和に視点が合うのを待った。昂りを解放した性器はぐちゃぐちゃに濡れそぼりながらも僅かに芯を残して震えている。二度吐精しても尚、足りないと言って疼くのだから、もはや自分の下肢とは思えない。 「和さん……、ぅ……はぁ、ぁ……っ」  和の名前を呼んだのは無意識だ。口の端から唾液が溢れていることにも気づかず、颯太は勃起したままの性器を握った。 「んっ、和さん……、ふ、ぅ……っ」 「さっき、さんざん触るなって言ったくせに……」  まだ何も言っていないのに欲を言い当てられる。今の自分はどれだけ物欲しそうな顔をしているんだろう。溢れた唾液を拭ってくれた和の顔は苦く歪んでいる。 「自分で出来るでしょ? それとも、後ろに何か必要なの?」  和が言葉でもって颯太を蔑んでいるのはわかる。だが、浅ましくも颯太の喉はゴクリと鳴ってしまった。  力の入らない膝が立ち、開いた足の間から臀部へと勝手に手が伸びていく。下げきれていないジーンズが邪魔だったが、そこは力ずくで押し退けた。そして、強い刺激を期待し、固く閉じた絞りに指を挿れた。 「ひ、……あ……」  だが、後孔に指を挿入したところで、得られたのは落胆だけだった。  和に触れられた時はこんなんじゃなかった。無茶苦茶に指を動かしても、得たい快感は得られない。 「う、ふ……っ」  何も気持ちよくない。涙が次々溢れてくる。これじゃまるで、欲しいものを買ってもらえない子供のようだ。欲しいものを訴えて泣きながら、駄々を捏ねる子供と同じ。視線だけじゃなくて、触ってほしい。 「……和さ、んっ、……触って、ほしい……」  和の肩がぴくりと揺れた。 「ごめ、なさ……っ、おねがぃ、触ってっ」  いくら熱に浮かされているとはいえ、いかに自分本位で、いかに自分勝手なことを言っているかはわかる。でも、どうしても和に触ってほしい。 「……あとで、後悔するくせに……」  和の手が伸びてくる。期待で肌が震えた。 「しな、い……っ、だって、好き──」  だが、全てを吐き出す前に、和の胸ポケットに入っていた携帯が震えた。二人の間で止まろうとしていた時間が、堰を切ったように動き始めた。  頭上で舌打ちが聞こえた気がした。 「和さ……っ」  和は行き場を失った手で颯太に布団を被せると、振り返ることなく部屋から出ていってしまった。間もなく、玄関のドアが閉まる音も聞こえた。 「あ……」  正真正銘、部屋に取り残されてしまった。 「あ……」  呆然としながら、込み上げてくる嗚咽に耐える。  去り際に向けられた和の顔からは、一切の表情が抜け落ちていた。今度こそ謝らないと、誤解を解かないと。そうじゃないと二度と和に会ってもらえない気がした。 「……っ、は、ぁ……和さ……ん……っ」  頭は水でも被ったように冷静だ。なのに体はそれを許してくれない。颯太がどれだけ泣こうが噎せようが、射精するために手を動かせと命令してくる。 「うっ、ふ、ぅ……っ」  それから、いつ気を失ったかなんてわからない。  目が覚めたとき、颯太を攻め立てる熱は消えていた。その代わりに、瞼は腫れて熱を持ち、弄りすぎた性器はひりついて痛みを訴えていた。  そして、どこを探しても、家の中に和の姿はなかった。
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