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【本編後SS】和が風邪をひきました
※twitterに掲載していたSSです※
はじめは、他人と一緒に暮らすことに違和感があった。
自分から声をかけた手前、絶対に颯太には言えなかったが、プライベート空間に他人の気配があることが少し落ち着かなかった。はじめは――。
「ソファーじゃなくてベッドで寝てください」
「でも、もうごはん出来るでしょ?」
「出来ますけど、出来たら部屋まで持っていきますから」
「ベッドでお粥を食べるなんて、そんな病人みたいなのイヤだな」
「まぎれもなく病人でしょうが……」
颯太はじっとりこちらを見てきたが、和に移動する気がないと察すると、短い息をついてキッチンに戻っていった。
日中と夜の寒暖差が一段と大きくなった今週、和は見事に風邪を引いた。なんとなく嫌な予感はしていたが、だましだましいつもの生活を続けていた。
組の仕事に穴を開けるわけにはいかないし、ましてや株価の変動は体調管理も出来ない男など待ってくれない。
しかし、その無理が募って、先ほど……颯太に怒られるほど体調を崩した。
発熱、食欲不振、鼻水に咳。今年は十一月にしてすでにインフルエンザが流行っていると聞いていたから、体の節々が痛くないだけ儲けものなのかもしれない。
「ちゃんと休まないと、治るものも治らないんですからね」
颯太の厳しい言い方が火照った頭に心地いい。
「お粥、たまごと梅とどっちがいいですか?」
「……梅」
喉の中がかさついて声が出しづらい。少し話しただけで、その倍の咳が出る。
「白湯、置いときますね」
「お湯は……美味しくないね」
「わがまま言わない」
「はい……」
和はソファーに深く沈み、キッチンに戻った颯太の背中を眺めた。
他人が自分の家のキッチンに立っている。自分のプライベート空間を好き勝手使っている。ミネラルウォーターと缶ビールでいっぱいだった冷蔵庫が、今や肉やら野菜やらヨーグルトやら、調理しないと食べられない食材に占領されている。
今だって、自分は食べたいなんて一言も言っていないのに、当たり前のようにお粥を作っている。
他人にペースを乱されるのが苦手だったはずなのに――なのに、その他人が颯太となるとすべてが心地よく感じる。
「和さん? 大丈夫ですか?」
一瞬眠っていたらしく、額に触れる冷たい手の感覚で目が覚めた。
「あんまり辛いなら、先生呼びましょうか?」
「いや、それは明日の朝で大丈夫」
「でも……」
「お粥食べて、薬飲んで、今晩はちゃんと休むから」
和がそう笑いかけると、颯太は何か言いたそうな顔をしたものの何も言わなった。病人の隣に座り、茶碗にお粥をよそってくれる。
「熱いから気をつけてくださいね」
「ありがとう」
息を吹きかけて冷ましてくれるサービスはなかったが、心配そうにこちらを覗きこむ顔が愛しい。
「いただきます」
れんげでお粥をすくい、ぎこちない動きで口に運ぶ。
「どうかしました?」
「あ……いや、美味しいと思って……」
和がそう言うと、颯太は目を大きくしてからふっと表情を緩めた。
「ゆっくり食べてください。俺、布団用意してきますね」
「え?」
意図せず声が漏れていた。
ベッドはいつでも寝られる状態なのに、何を用意するのか――。
そう考えて、和は自分の配慮のなさに苦笑した。
それはそうか。いつものように同じベッドで寝て、颯太に風邪がうつってはいけない。むしろ今日まで一緒に寝ていてうつさなかったのが奇跡だ。
「だって、人と一緒に寝たんじゃ、ゆっくり眠れなくないですか?」
「え?」
「え、って……え?」
颯太はぽかんとしている和に困っているようだった。
「……和さんがちゃんと眠れるなら、俺は……ベッド……で、寝たいですけど」
尻すぼみになっていく言葉に、うまく反応できなかった。熱にやられてぼーっとするうえ、言われ慣れない台詞のせいで頭がまわらない。
「なんて! 俺、今晩はソファーで寝ますね!」
「ま、待って待って!」
なんとか脳内の処理を追いつかせ、和は勢いよく立ち上がる颯太の手を掴んだ。颯太を見れば、熱を出している和と同じくらい耳が赤い。
「一緒に寝てほしい」
汗ばんだ手には力が入り、まるで颯太の手にすがるようだった。
「……あ、……」
「颯太?」
「俺――」
「あ――」
顔まで赤くする颯太を見て、心拍数があがった気がした。
いやらしい気分になったとかそういうことではなくて、病気で辛いのに、それでも颯太と一緒に寝たいと思っている自分を知ってしまって――どぎまぎしている感覚。
颯太に、究極のプライベート空間にいてくれることを望むなんて……。
「俺、着替えてきます! 和さんは食べててくださいっ」
「……うん」
颯太がどたばたと寝室に消えていく。
颯太が見えなくなったあとも、和はその後ろ姿から目が離せなかった。
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