ヤクザとの出会い2

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ヤクザとの出会い2

 地上に、戻ってきてしまった……。  急展開についていけず呆然としていると、視界いっぱいに男の顔が映る。隣に立ってわかったが、男はかなりの長身だ。見上げなければその綺麗な目が視界に入らない。 「ねえ。とっさに助けちゃったけど、まさか泥棒じゃないよね?」 「泥棒……? は?」 「違うならいいんだけど」  冗談なのか本気なのかわからなかった。だが、颯太を見る男の目には余裕があり、自殺しようとしているやつなんて取るに足りないと言わんばかりだ。 「だってほら、飛ぶならもっと無難な建物を選ばない? 俺が言うのもなんだけど、ヤクザのビルで自殺なんておすすめできないよ」  そう言われ、颯太は顔をしかめた。 「ヤクザ……の、ビル……」  そういえば、男はさっきもそう言っていた。 「そう。もしかして、知らずに入ってきちゃった?」  颯太が否定せずにいると、男は「それはうっかりだね」と笑った。  ヤクザのビルで自殺なんてすれば、建物の資産価値が下がっただ何だといちゃもんをつけられ、遺族に法外な慰謝料を請求される。両親不在の颯太ならば、遠い親戚まで調べあげられるだろう。颯太の知っているヤクザとは、そういう連中だ……。  そこまで頭が回らない馬鹿じゃない。わざとではなく、このビルがその手のビルと知らずに選んでしまっただけだ。知っていたら、絶対にヤクザのビルなんて選ばなかった。  最悪だ……。  わりと好きだと思った景色も、途端にくすんで見える。 「ご自宅じゃ自殺できなかったの? 珍しいよね、縁も所縁もないビルから飛ぼうとするなんて」  男は浅くタバコを吸い、颯太から顔を背けて煙を吐き出した。  タバコを吸っているだけなのに、えらく絵になっている。男の雰囲気にタバコは似合わないが、手が大きいからだろうか。 「だめ? 教えられない?」  颯太は息を吐き、ヤクザ関係者らしい男の顔を見つめ返した。 「ん?」 「……二階建ての木造アパートじゃ、屋根から飛び降りても死ねない」  颯太が答えると、男は目を瞬かせ、「声まで可愛いんだね」と言った。 「確かにそれじゃ難しいか。この辺に木造のアパートなんてあったっけ? 家はこの辺なの?」  男はずいぶん話好きらしい。雰囲気も口調も声も柔らかいが、次々質問が飛んでくる。颯太が戸惑っていると、男はそれを否定と取ったようだった。 「住んでるわけじゃないなら、どうしてこんな住宅街に?」  どうにも逃げられない空気を感じ、颯太は男から視線を反らした。 「利便性は良いけど、この辺って何もないでしょう?」 「大学が──」 「あ、別に答えたくなければ──」  二人同時に話し始めて、二人同時に驚いて黙った。  なんだ、答えなくてもよかったのか。声を発したそばから後悔していると、男は笑って柵に肘をついた。 「そうか、慶京大学の学生さん? 頭がいいんだね。じゃあ、今はその帰りなんだ?」 「…………、まあ……」  颯太が答える度に、男はどこか嬉しそうな顔をする。 「あれ? でも大学生は春休みじゃなかったっけ。休みの日にわざわざ登校?」 「まあ……」 「じゃあ、学校で何かあったの?」 「何か、って……」  不穏な流れを感じ、颯太は口をつぐんだ。何か、とは、自殺するに至る理由という意味だろう。そんなこと、初対面の相手に話すわけない。  しかし、男は険しくなった颯太の顔などお構い無しのようで、「無理に聞きたいわけじゃないから、嫌なら話さなくていいよ」と笑っている。タバコを吹かしながら、まるで喫煙所で会った同級生に話し掛けるように颯太に話し掛けてくる。一本吸い終わるまで待っててよ、とでも言うように。 「今日は風が強いね。君細いから、飛ばされなくて良かった」  風に靡く髪を押さえながら男が笑う。その横顔さえ整っていて、話す内容はともかく、フィルターを浅く咥える唇、気怠げに煙を吐き出す唇に思わず目を奪われた。 「ん?」 「俺は死のうとしてた。それを、あんたに邪魔されたんだ……」  別に、風に飛ばされても構わなかった。気づけば、言わなくても良いことを口にしていた。  男のペースに巻き込まれ、この場所でどうこうする気持ちはすっかり削がれてしまった。というより、きっとここでは自殺なんてさせてもらえない。  颯太は唇を真一文字に結び、男の視線を振り切ってその場所から離れようとした。  場所を変えて仕切り直そう。  だが、そう思った矢先、腕を掴まれ、再び男に体を引き寄せられていた。 「もしかして、別の所で死ぬつもりなの?」  上から顔を覗き込まれ、優しい空気のなかに威圧感を覚える。 「あ……あんたには関係ない」 「確かに関係はないんだけど。でもほら、こうして会ったことだし、もしそうだとしたら……すごく後味が悪い」  綺麗な男の真顔は怖いのだと知った。  だが、切れ長の目はすぐに細められた。 「だったら、君の二週間を俺にくれないかな?」 「は?」  想定外の提案に気の抜けた声が出る。 「二週間だけ、俺の花婿修行に付き合ってくれない? 来月結婚することになってるんだけど、ちょうど困ってたんだ」  花嫁修業ならぬ花婿修行? 一体何を修業するって言うんだ。話の展開についていけない。話が呑み込めない。胡散臭いにもほどがある。  颯太が警戒を強めていると、男が頭上でくすくす笑った。 「やっぱりこの理由じゃ怪しいよね。さっきヤクザだって名乗ったばかりだしね」  咄嗟に男の手を振り解こうとしたが、男の力は思ったより強かった。 「でもお願い」 「お願いって、そんな、何かもわからないこと……」 「ああ、そうだね。セックスの練習相手になってほしい」  今度は「は?」という音さえ口から出てきてくれなかった。
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