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ヤクザとの夕食
「二人分にしてもらうの忘れてた」
玄関から戻ってきた男は、苦笑いしながら弁当の入った紙袋をキッチンカウンターに置いた。
男は十五時過ぎに部屋から出てきて、「今日の仕事は終わり」と宣言するなり、ソファーで夕方のニュース番組を視始めた。タブレット端末で夕刊の電子版を捲りながら、手持ちぶさたに座っている颯太へ話題をふる。三つを器用に続けること数時間、十八時に玄関のインターホンが鳴った。
男は料理をしないようで、家で食事をする時は、組の若いやつに弁当を届けさせていると言う。他人が食事の面倒まで見てくれるなんて、いいご身分だ。
「弁当は半分ずつにしようか。あとは、ストックが色々あったはず……」
キッチンの中を覗くと、男がシステムキッチンの上棚を漁っているところだった。そんな庶民的な姿さえ、男の容姿だと様になる。
「ん? どうかした?」
「いや……」
「もしかして手伝ってくれるの? じゃあ、飲み物を出してもらえる?」
頷いたはいいが、颯太は冷蔵庫を開けるなり目を丸くした。中に収まっているのは、大量の缶ビールと五百ミリペットのミネラルウォーター、あとは高級そうなチーズとチューブタイプの調味料が少しだけだった。違う意味で、自分の冷蔵庫と同じくらいシンプルだ。料理をしないというのは筋金入りらしい。
颯太が戸惑っていると、男は「あ、ごめん」と言って隣から顔を覗かせた。
「お茶はないかも。お茶がよければ事務所から持ってこさせるよ?」
「え……」
わざわざ誰かに持ってこさせるなんて、そこまでしてもらう必要はない。自分の飲む物なら水道水だって構わない。
颯太が引き気味に首を振ると、男は悪戯っぽく笑い、冷蔵庫のドアポケットから缶ビールを二本掴んだ。
「じゃあさ、ビールは飲める? 未成年じゃないよね?」
「飲め、ますけど……」
「よかった。なら一緒に飲んでもらえない? 一人だと消費が追いつかなくてさ」
「飲むから置いてるんじゃないんですか?」
「んーん。若いやつに飲み物を頼むと、なぜか絶対に缶ビールが入っててね。それがどんどん溜まってきてるだけ」
「……いらないって、言えばいいのに……」
飲みもしないビールを持ってこさせ続ける意味がわからない。困っているなら尚更だ。
だが、男は目尻を柔らかく下げると、わかっていると言わんばかりに肩を竦めた。
「そろそろ言った方がいいよね。でもほら、ビール好きで酒に強い兄貴──が、その子の理想の兄貴像だったらどうする? そういう夢を壊したくないでしょ?」
あんたはアイドルか何かなのか?
絶句していると、「また顔に出てるよ」と笑って肘で小突かれた。
「毎日飲まないだけで嫌いなわけじゃないし、まあ良いかなって。缶ならすぐには腐らないしね」
男は鷹揚に笑っているが、冷蔵庫にはざっと二ケース分以上の各種缶ビールが残っている。
「どう? 飲むの、手伝ってくれる?」
「は、あ……」
「やった」
颯太が飲むと言ったからか、食卓にはありったけの缶詰と乾きもののつまみが並べられた。あと、一人前の弁当。その弁当だってコンビニのものではなく、おそらくデパートで調達されたものだ。
男は当たり前にしているが、極貧生活を送っていた颯太には、とんでもなく豪華な食事が並んでいるようにしか見えない。
「乾杯。今日からよろしくね」
「あ……はい……」
二つのアルミ缶が軽い音を立ててぶつかる。まるで歓迎会が開かれているようで変な感じだ。
颯太がちびちび缶を傾けていると、男は箸を持って首を傾げた。
「もしかしてお腹すいてない?」
「そういうわけじゃ……ただ、こんな時間に食べるのが久しぶりというか」
「そっか。十八時だと早かったね」
「あ、いや……俺がバイトを掛け持ちしてたから、なんですけど」
夕方まであるティーチングアシスタントの仕事から、夜の居酒屋へアルバイトをハシゴし、夕食兼賄いにありつけるのはいつも零時過ぎだった。
「そんな遅くに?」
「別に、慣れれば普通です。バイトをあがるのが二時とかなんで、あんまり早く食べても寝る前にお腹が鳴って困るし」
男は神妙な顔をしたが、そんな顔をされるのは面倒以外の何物でもない。颯太は途中で切り上げ、アルバイトの話は二度としないと決めた。
「いただきます」
小皿を持ち、缶詰めの焼き鳥に箸を伸ばす。
「調子に乗ってたくさん開けちゃったから、いっぱい食べてね」
男は弁当箱を手に取ると、弁当の蓋を裏返して持ち、その上に炊き込みご飯をよそった。他にも、玉子焼き、焼き魚、煮物も。美しい箸使いで切り分けては、少しずつ蓋へ乗せていく。
新しく皿を出せばいいのに、そこで立ち上がろうとしないところに男の為人ひととなりが窺える気がする。
「あとは食べられる? 俺、飲むときってあんまり食べなくて」
そう言って寄越された弁当箱を受け取り、颯太はじっとその中を見つめた。
「どうかした? 嫌いなものでも入ってる?」
「あ、いや、嫌いなものは。……なんだか懐かしい感じがして」
「懐かしい?」
男に尋ねられて、はっとした。また余計なことを言ってしまった。
男に自分のことを話すつもりはないのに、つい思ったことがぽろぽろと口から出てしまう。
「聞かせてよ」
「……中学の時、遠足に弁当を忘れたことがあって、その時も担任の先生がこうやって自分の弁当を分けてくれて……それだけ、なんですけど」
取り立ててその時のことを覚えているわけではなかった。弁当の蓋を皿にする機会なんてそうはないから、ふいに思い出しただけだ。
あの時も先生が蓋を使い、颯太に弁当箱の方を渡してくれた。その優しさが嬉しかったのに、同時に気を遣わせたことが申し訳なくて、先生の隣で俯きながら食事をした記憶がある。
「そういうお弁当って、すごく美味しそう」
「……玉子焼きが美味しかったです」
気まずい思いをしていたのに、与えられた弁当はとても美味しかった。
他人の作った玉子焼きを美味しいと感じたのは、あれが最初で最後だと思う。好き嫌いの多い性質ではないが、玉子焼きは家庭によって味にばらつきがあるし、母親の作るものが一番だと思っていた。
もし、優しさに味があるとしたら、あの玉子焼きはまさしくその味だったのだろう。
颯太は弁当箱の中から半等分された玉子焼きを摘まみ、ぱくっと口に入れた。
甘さはない。鰹が薫る薄味のだし巻き玉子だ。弁当に詰められるぎりぎりの水分を含んでいて、咀嚼するたびに出汁を感じる。
好みの甘い味付けでもなければ、手作りとは違うデパ地下特有の味も舌に残る。なのに、今まで食べた玉子焼きの中で一番美味しく感じるのだから不思議だ。
「美味しい?」
笑顔でこちらを見ていた男に、嚥下して頷いた。
「じゃあ俺の分もどうぞ」
「そんなにいいです……!」
「好きなんでしょう? 遠慮せずいっぱい食べて。俺なら、自分が食べるより君が食べるのを見てる方が楽しいから」
「はあ……?」
「リアクションは薄いけど、美味しそうに食べてて可愛い」
まるで犬猫を見るような目だ。可愛いと言われると萎えてしまうのに、睨めつける気も起きない。これでは餌付けされている気分だ。
だが、美味しい玉子焼きに罪はない……。
「い、ただきます」
「どーぞ、たんと食べて」
夕飯のあとは、地上波初放送だというアクション映画を見た。
てっきり男が映画好きなのだと思っていたら、そうではなかったらしい。
ストーリーも中盤に差し掛かってから、「緊張を紛らしてるだけ」と言われ、思わず笑ってしまった。さっきまでそんな素振りは見せなかったのに、初体験だと練習台でも緊張するのだろうか。
律儀にエンドロールが流れるのを見計らって風呂をすすめられた。
それにしたって慣れというものは怖い。自分の適応能力が並外れているのか、男の雰囲気がああだからか。風呂場で一人になるまで、男への警戒心はすっかり薄れていた。ソファーで昼寝しておいて今更だが、憂慮さえしていなかった。
シャワーを浴びながら、綺麗になった体をバラバラにされて臓器を売り飛ばされるんじゃないか? とも考えてもみたが、当然の事ながら、それはただの妄想に終わった。
颯太がリビングに戻ると、男は入れ替わりで風呂場へ行ってしまった。
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