桜のたとえ

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 褐色のアスファルトの上にいくつも桜色の模様ができている。踏みつけられた花びらは、ところどころ染みができたように変色している。  ぼく、夏井翔希(なついとき)は足元の花びらを眺めながら、あてもなく足を進める。 「きゃはは! 待って〜〜!」  元気よく走り回る足音とともに子供達の声が通り過ぎて行く。足を止めずにそちらに視線を向けると、河川敷を彩る桜並木の下にレジャーシートを敷いた家族がいた。子供たちの様子を眺めながら、母親らしき女性が幸せそうに笑っている。  ……幸せそう……――。  物心ついたときからずっと欲しかった物そのものだ。ぼくには家族がいない。とは言え、物心ついたときから一緒に暮らす祖母がいたが、二ヶ月前に他界してしまった。祖母は優しくも強かな女性で、ぼくにとっては祖母であり母親、父親のような存在でもあった。  七五歳の祖母は健康そうに見えたが、ある朝突然そのときは訪れてしまった。唯一無二の肉親を失った哀しみは、自分の魂までも奪われたようだった。  一生のお別れから一ヶ月目は、哀しみの中でも生きなければいけないという気力があった。だが、二ヶ月目に入ったと同時に、自分の中の気力というものすべてが萎んで消えていった。  重い枝を風に揺らしながら花吹雪を舞い散らせる桜から目を背け、地面に張りついた花びらを見やった。天涯孤独な自分を見ているようだ。  ―――桜は、散り際が美しいとよく言うでしょう? でもね、皆んなが知らない秘密があるのよ。最後に残された蕾が開くまで、最初に花ひらいた子は散らないのよ。
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