なぜ皇族にネパール人はいないのか

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「彼は18歳の頃に来日しました。来日当初は日本語がうまく話せず、牛丼屋のアルバイトしか仕事がありませんでした。ヒンズー教徒の彼が、どれほど悲しい思いをして牛丼を作っていたか、あなたにわかりますか」 彼は、隣に座る日本王者に目をやった。 「幸いその店は牛肉と偽り豚肉を提供する店だったからよかったものの、試練は続きました。彼は日本語が苦手なゆえに、同僚や客から何度もからかわれました。彼はネパール政府から奨学金を貰っている優秀な留学生で、英語はほとんどの日本人より堪能です。昼飯に安い牛丼など食べているサラリーマンに馬鹿にされる筋合いなどないのです。しかし、彼はその理不尽な状況に耐え続け、夢を叶えるように必死に努力しました」 日本王者は涙を流した。 「そして彼は大学で経営学を修了し、念願のインドカレー屋を開き、その収入を貧しい母国の家族に仕送りしています。彼は日本での理不尽な生活に耐え、家族のために、夢を叶えたのです。彼を『日本王者』と呼ばずに、ただの生まれのいい中年男性をエンペラーとして崇めるなど甚だ滑稽でしょう」 青年政治家の魂の訴えに、会場がスタンディングオベーションで応えた。 「日本女帝」には在日韓国人が選ばれ、「日本ファイナリスト」にはLGBTや脱北者が選ばれた。いよいよ「日本王族」は日の目を浴び、世間に受け入れられようとしていた。 しかし、結局彼らは日本国民に認められることはなく、青年政治家の野望は頓挫することとなってしまった。日本ファイナリストのうちの一人の女性が、マルチ商法で財を成した成金と結婚してしまったためだ。 「日本を象徴する一族に、そのような下品な輩が存在することなど認められない」という批判が強まり、最終的に現在の皇族が日本の象徴にふさわしいとの世論に落ち着いてしまった。 「男の趣味にさえ文句を言われるなんて、『象徴』ってのも大変だな」 青年政治家はそう呟きながら、納税した。
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