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大山雄二は、首を捻った。
彼は今、電車に乗っている。時刻は午前十一時であり、朝のラッシュ時に比べると、客の数はだいぶ少なくなっている。おかげで、ゆったりと座ることが出来ていた。
そんな大山の前の席には、ひとりの男が座っている。この男、どこかで見た覚えがあるのだ。
さりげなく男を観察してみる。年齢は二十代半ばか、いってても三十代前半だろう。大島と、ほぼ同年代だと思われる。座っているからわかりにくいが、背は高そうだ。目はぎょろっとしており、真面目で融通が利かなそうな顔つきである。眉毛は濃く太い。まるで、昭和の劇画に出てくる主人公のようだった。
あの太い眉毛と、融通の利かなそうな顔は……あいつではないか。
恐る恐る声をかけてみた。
「お前、高田じゃないか?」
その瞬間、男はビクリとなって顔を上げる。怯えたような表情で、じっと大山を見つめた。
「だ、誰だ?」
とんでもない形相で聞いて来た。明らかに普通ではない。何か、トラブルにでも巻き込まれているのだろうか。相手を怒らせないよう、出来るだけにこやかな表情を作って見せた。
「お前、高田敏行だろ? 俺だよ、大山雄二だよ。高校で一緒だったろ。覚えてないのか?」
言った途端、高田の表情が変化していく。最初は、何を言っているんだ……といいたげな様子で、まじまじと大山の顔を見た。次に、目が丸くなり口が開く。どうやら、思い出してくれたらしい。
だが、直後に複雑な表情で下を向く。いったい、どうしたのだろうか。異様なものを感じた大山は、重いリュックごと彼の隣に移動した。いかにも親しげに、肩を叩く。
「いや、久しぶりだなぁ。元気だったか?」
そう、高田と大山は南高校の同級生であった。三年生まで同じクラスであり、仲も良かった。ところが、ある事件が元で大山は高校を退学してしまう。その後は、何となく気まずくなり連絡も取らなくなっていた。
かれこれ、十年近く会っていなかっただろう。
「お前、何やってんだよ? 暇なのか? だったら、ちょっと飯でも食わないか?」
一方的に語りかける大山を、高田は無言でじっと見つめる。
おかしな感じだった。こんな男ではなかったはずなのだが。大山は、また首を捻った。
「大丈夫か? もしかして、具合でも悪いのか?」
その時、高田はやっと口を開いた。
「お前こそ、何してんだよ」
「えっ、俺? 実はな、今ニートやってんだよ」
おどけた顔つきで、胸を張って見せた。すると、高田はクスリと笑う。
「威張って言うことじゃねえだろ」
その口調は、昔のままだった。ボケの大山と、ツッコミの高田。当時は、そんな関係だった。
「そりゃそうだな。実はさ、ついこの前まで介護の仕事してたんだよ。派遣型のホームヘルパーって奴さ。だけど、辞めちゃったよ」
「何で辞めたんだ?」
「いやね、担当してたお婆さんが、目の前で亡くなったんだよ。ショックだったな。人間ってさ、死ぬ時は本当に呆気ないんだよね。それ見てたらさ、生きるって何なんだろうって考えちゃったんだ。だから、自分探しの旅に出ることにしたんだよ」
大山は、そこで言葉を止めた。高田の顔が、真っ青になっているのだ。
「大丈夫か? なんか、すげえ顔色悪いぞ」
「ああ、だ、大丈夫だ」
そう答えたが、どう見ても大丈夫ではない。胸を手で押さえ、体は震えている。大山は、これはまずいと左右を見回した。
タイミングよく、電車が停まった。一瞬の間を置き、ドアが開く。大山はリュックを背負い、高田の手を掴んだ。
「タカ、降りよう」
「いや、大丈夫だよ」
「大丈夫じゃねえだろ。お前、死人みたいな顔してるぞ」
半ば無理矢理に高田を降ろし、駅のベンチに座らせた。
高田は、荒い息を吐きながら下を向いている。顔色は、さっきよりも悪い。近くでよく見ると、目の下には隈が出来ている。昨日から寝ていないのではないか、と思われた。
「おい、救急車呼ぶか?」
尋ねたが、高田は無言のままだ。大山は、しばらく待つことにした。何があったのかは不明だが、肉体的な疲労だけでなく精神的なダメージもあるらしい。ならば、落ち着くまで待とう……介護の仕事で、多くの人と接した経験から得た知識である。
ややあって、高田は顔を上げた。
「お前、相変わらずいい奴だな」
「今ごろ気づいたか」
ドヤ顔をした大山を見て、高田はクスリと笑った。だが、表情が一変する。
「ユウジ、あん時のこと覚えてるか?」
「えっ? あん時って?」
「お前が、トオルを殴って退学になった時だよ」
聞いた瞬間、大山は思わず苦笑していた。
・・・
高校時代の大山は、かなり目立つ存在であった。高田と共に、スクールカーストでも上位にいる生徒だったのだ。
ところが、そんな状況を一変させる事件が起きる。ある日、大山が登校すると、同級生の遠藤徹がスマホの画面を見せて来た。
「何だよこれ! お前、ウンコ漏らしたんだろ!」
その画面には、大山がトイレから出てくる姿が映し出されていた。なぜか、下半身がジャージ姿である。
「おい、なんでジャージ履いてんだよ!? お前、ウンコ漏らしたんだろ!」
遠藤の言葉に、大山は無言のままだった。顔が真っ赤になり、全身がプルプル震えている。
その姿を見た遠藤は、さらに調子づいた。
「これ、学校のみんなに拡散したからな! お前、学校一の有名人だぜ!」
嘲笑しつつ、遠藤は顔を近づけていく。
その時、大山が動いた。遠藤の顔面に、強烈な頭突きを叩きこむ。遠藤は完全に不意を突かれ、そのまま倒れた。だが、大山は止まらない。さらに遠藤を蹴りまくる──
傍にいた高田らが、慌てて止めに入った。しかし、大山は彼らの手を振りほどき、無言のまま帰ってしまう。
大山は、その後高校を辞めた。
・・・
「今から思えば、なんてことないんだけどな。当時十七歳の少年にとっては、ウンコを漏らしたことをバラされるなんて、死刑にも等しいものだったんだよな。ましてや、学校のみんなに拡散されたなんて……完全な晒し者だろ。俺は耐えられなくてさ、高校を辞めたんだよ」
苦笑しながら、大山は述懐する。
その時、高田が震えながら口を開いた。
「あれは、俺がトオルに教えたんだ」
「えっ」
大山は、驚きのあまり二の句が継げなかった。一方、高田は声を震わせながら語り続ける。
「俺は見たんだ……放課後に、お前がキョロキョロしながらトイレから出てくるのを。だから、スマホで撮ってトオルに見せた。そうすれば、あいつはみんなに拡散させると思ったんだ。トオルは、お前のこと嫌ってたからな」
「なんで、そんなことしたんだ?」
問い掛ける大山の声に、怒りはなかった。むしろ、当惑の色が濃かった。
すると、高田の目つきが変わる。
「お前、真島幸恵のこと覚えてるか?」
「えっ、あ、ああ……覚えてるよ。昔は、ちょいちょい一緒に遊んだな。懐かしいな」
同じクラスに真島がいたのは、はっきり覚えている。大山や高田とは、とても仲が良かった。目鼻立ちのはっきりした、綺麗な娘だった。三人で、よく一緒に遊んだことも覚えている。クラスでも人気のある女子だった。もっとも、大山は友だちという認識しかしていなかったが。
その時、高田の口元が歪んだ。
「幸恵はな、お前のことがずっと好きだったんだ」
「えっ、えええ! そ、そうだったのか!?」
素っ頓狂な声を出した大山を見て、高田はクスリと笑った。
「やっぱり、気づいてなかったんだな。じゃあ、俺が幸恵を好きだったことにも気づいてなかったんだろ?」
「い、いや、全然……」
混乱のあまり、大山は口ごもる。
言われてみれば、思い当たる点がなくもない。三人で遊んでいた時も、真島は大山だけに話題を振ったりイジッたり突っ掛かったりして来たことが多かった気はする。真島も目立つ存在だったし、気にならなかったと言えば嘘になる。
しかし、真島が自分を好きで、高田が真島を好きだった……そんな三角関係になっていたことなど、微塵も気づいていなかった。
「お前は、いつもそうだった。鈍感で、人の気持ちなんか気づかなくて……そのくせ、みんなに優しくて、周りから好かれていた。そんなお前だから、ウンコを漏らしたくらい大したダメージにならないと思ってた。まさか、学校を辞めるとは思わなかったよ」
静かな口調で、高田は語った。だが、直後の行動に大山は度肝を抜かれる。
目の前で、高田が土下座したのだ──
「本当に、すまなかった。俺がトオルにバラさなければ、お前は学校を辞めなくてすんだんだよな。ひょっとしたら、幸恵と付き合っていたかもしれない。なのに、俺がめちゃくちゃにしちまった。気のすむまで、俺を殴ってくれ」
「お、おい、何バカなこと言ってんだよ。みっともないから頭上げろ。ここに座れ」
言いながら、高田を無理やり起き上がらせてベンチに座らせた。すると、高田は上目遣いでこちらを見る。
「俺が憎くないのか?」
「あのなあ……まあ、怒ってないと言えば嘘になるよ。でもな、今さらンなこと言ってても仕方ないだろ。もう十年も前の話なんだからさ。にしても、そんな青春ドラマみたいな三角関係が出来てたとはな。全然知らなかったよ。そういえば、真島の奴、今頃どうしてんだろな。あいつ、いい女になったろうな」
その時、またしても想定外の事態が起きる。大山の言葉を聞いた途端、高田の顔が歪んだ。直後、大声て泣き出したのだ──
大山は何も言えず、ただただ目の前の友人を見つめるだけだった。
しばらくして、高田はようやく泣きやんだ。涙を拭き、晴れ晴れとした顔で立ち上がる。
「ここで、お前と会ったのも運命なんだろうな。やるべきことが、やっとわかったよ」
言った直後、駅の出口に向かいすたすたと歩いていく……大山は、慌てて声をかけた。
「おい、どこ行くんだよ!」
しかし、高田はその声を無視して歩いて行く。大山は追いかけようとしたが、リュックが重すぎて速く動けない。その間にも、高田は早足で歩いている。二人の距離は、みるみるうちに開いていった。
やがて、高田は駅を出ていった。
その後ろ姿を、大山は呆然となりながら見送っていた。
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