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1.入学
氷室悠一は、今まで生きてきた17年間の人生で初めて「開いた口が塞がらない」という状態を体験した。
いや、現在進行形で、体験している。
なぜそんな状態で氷室が固まっているのか。
その理由は明らかだった。
今日氷室が転校してきた男子高校の、人通りの多い廊下で、おそらく先輩であろう男と男が
キスしているからだ。
今、目の前で!
それもただ唇をチュッと合わせるだけの軽いものではない。
どこぞのアメリカ映画で見るような、舌と舌とを絡み合わせる熱いキスだ。
つまり、ディープキスである。
そしてそれを驚くこともせず、呆れたように見たり、ヒューヒューと冷やかしたり、顔を赤くしながらその二人を見つめたりする生徒たち‥
いや、周りの反応おかしくないか‥??
氷室はしばらく立ち尽くした後、ハッと我に返り、あまりの衝撃に落としてしまった新品の教科書や筆箱を拾い、急ぎ足でその場を立ち去った。
重い教科書を抱え、広い廊下を歩きながらグルグルと思考を巡らせる。
たしかに男子高ってことは、ああいう男同士の恋愛が普通より多くあっても、まあおかしくはない。
でも、だからって
あんな大勢の前で普通キスするものか‥???
男女のカップルだってよほど目立ちたがりの奴じゃなきゃ、あんなところでやらないし。
それに周りの反応、驚きもせず、ただ何事もないような顔して‥‥‥。
やっぱりおかしい。
もしお遊びでキスをしていたとしても、あんなキスしないよな‥。
テレビでしか見たことないようなあの深いキスを思いだし、嫌でも恥ずかしくなってくる。
氷室悠一がこの学園に入学したのには理由がある。
氷室は女性恐怖症だ。
女性を見るだけで、心臓は不安でドキドキと波打つし、電車で隣に座られたり、ましてやよろけて触られたりなんかしたときには、目眩と吐き気で倒れてしまうかもしれない。
そんな状態で男女共学の高校に通えるわけもなく、高校二年生の夏休み前に高校を中退した。
しかしさすがに高校を中退したままというのも、将来や社会からの目などの不安が大きかった。
そこでたまたまネットで見つけたのが、この男子高校、西園寺学園だ。
西園寺学園は男子高であり、それに全寮制で、朝昼晩の食事も提供される。
氷室のように途中からの入学も、第一次試験の学力テストと第二次試験の面接が通れば認められるとのことだった。
氷室はこの学園に入学しようと決意した。
この学校しかない、と思った。
元から勉強に関しては真面目な方だった氷室は、第一次試験のテストは難なく合格した。
しかし第二次試験の面接。
氷室は人前で話すのが得意ではない。
女性と会話できないのはもちろんだが、男となら誰とでもフレンドリーに話せる☆というわけでは決してない。
むしろ氷室は幼い頃から引っ込み思案であがり症だし、何に対してもネガティブで、つまり一言で表すなら「根暗」なのだ。
コミュニケーション能力がないことは氷室自身痛いくらい良くわかっていた。
そんな自分が面接なんかで通るわけはないが、これはもう運に任せるしかない、と緊張で腹が痛くなるのを我慢しながらも第二次試験、面接の会場である生徒会室へと向かった。
そこで面接官として待っていたのは、メガネをかけたおじさんの先生でも、怖そうな顔をした校長でも、派手な色のスーツを着たおばさん事務長
でもなく、
生徒会長を名乗る生徒だった。
質問はたった一つ。
「なぜこの学園に入学したいのか」
氷室は正直に答えた。
僕は女性恐怖症です
だから、男子しかいない高校にしか通えません
途中からの入学を許可してくれる高校なんてそうそうないし
もう親にも迷惑かけたくなくて、全寮制のこの学園しかないと思ったからです。
声は震えたし、練習した敬語もうまく使えなかったが、生徒会長はフンと機嫌が良さそうに鼻を鳴らした。
そして「合格だ」
そう言った。
いきなり合格という言葉を聞き、まさかと信じられなかった氷室だったが、しばらくして自宅に本当に合格の連絡が入った。
そして氷室は夏休みが終わると同時に、この学園へと転入してきたのだった。
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