2.寮

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「ひ、む、ろかぁ‥‥ひーくんだね!」  伊春はビシッと氷室の顔を指差した。 「ひ‥‥ひーくん?」 「普通に名前呼ぶだけじゃつまらないでしょ?あ、ひーたんの方がいい?」   「いや‥‥ひーくんでいいです‥」  じゃあひーくんで!よろしくひーくん!伊春はそう言うと、パチッと綺麗にウインクして見せた。  なんか子供みたいな呼び方で恥ずかしい‥でもひーたんよりはマシか‥。ひーくんでもかなり無理があるけど、俺みたいな根暗野郎にひーたんなんて似合わなすぎて気持ち悪いし‥。 「ちなみに、僕のことは伊春ちゃんって呼んで!」  伊春が自分の頬に人差し指を当てながら、にっと笑う。 「え、伊春ちゃん‥?伊春くんじゃなくて‥?」 「だって僕可愛いから伊春くんより伊春ちゃんの方が似合うでしょ?まあ、伊春くんってどうしても呼びたいならそれでもいいけどさー」 「えっと‥じゃあ‥伊春くん‥で」  伊春は女の子のような可愛い顔をしているため、「伊春ちゃん」でもたしかに似合うだろう。しかし今までの人生、男相手にちゃん付けをしたことがないばかりか、そもそも人を下の名前で呼んだことすらないコミュ障の氷室には、その呼び方は少し抵抗があった。 「えー!伊春ちゃんがいいのにぃ。あっ!いーくんとか春ちゃんでもいいんだよ?」 「いや、伊春くんでいいです‥」 「むぅ!頑固だなぁ~」  伊春が小さな口を尖らせた。  そのとき、ゴーンゴーンと、鈍い鐘の音が響き渡った。  この学園の広い庭にある、時計台の金の音だ。授業のはじまりや終わり、起床のときなどにチャイムの代わりとして鳴る。小学校からずっと聞いてきたキーンコーンカーンコーンというお馴染みのチャイム音に慣れてしまっている氷室には、かなり違和感のある音だ。 「‥あれ、お昼休みの終わる鐘だ!午後の授業、僕は元からサボる予定だったけど、ひーくんはどうするの?授業受けるの?」  伊春はひょいと後ろのベッドに腰かけると、足をぶらぶらさせながら氷室を見上げた。 「えっと‥今日の午後は教科書買ったり荷物整理したりするので、授業は明日から‥です」 「そうなんだあ。‥あー!荷物といえば、昨日かその前、大きいダンボールが届いてたなあ。たぶんひーくんの荷物だよね?僕他のメンバーの荷物かと思って隣の部屋に運んじゃった。クローゼットに入ってるよ」  空閑さんが、荷物は全部部屋に届いている、と言っていたのを思い出した。その通り、やはり荷物はもう届けられていたらしい。 「あ、ほんとですか‥分かりました」 「もう、一体なに詰め込んであるの?クローゼットに入れるとき超重かったんだけど~か弱い僕の細い腕がポキッてなっちゃうかと思ったよ?」 「‥す、すいません‥」  また怒ったように口を膨らませている伊春に、氷室は軽く頭を下げた。  そういえば、転入してぼっちになってしまっても暇にならないようにと、大量にお気に入りの本を詰め込んでおいたんだった。 「ていうかさあ、ひーくんなんでそんなに丁寧に話してんの?タメ語でいいじゃん。ていうかタメ語じゃなきゃだめ!なんか話しづらいし!」  空閑さんにも似たようなことを言われたな、と氷室は心のなかで思った。 「いや‥なんというか‥話すの下手だし人見知りで‥昔から初対面の人にタメ語で話すのが苦手で‥」 「もう、そんなんだから根暗なの!同級生にはタメ語!じゃないと僕みたいに友達いっぱいできないよー?」    友達がほしくないわけじゃないけど、けっこう一人でいるのすきだし、そんなにいっぱいはいらないんだけどな‥。  でも、大人っぽくてまるで先輩のような雰囲気のある空閑さんと比べて、伊春くんは子供っぽいというか無邪気な感じがするから、タメ語でも話せるかも‥。 「う、うん‥じゃあタメ語で話す‥」 「そうそう、こっちの方がいいよ!」  伊春はそう言って、にこっと無邪気な笑顔を浮かべる。  その顔はまるで天使だ。ふわふわとした白い天使の羽が見える。伊春が自分のことを可愛いと自慢するのも当たり前だ。  思わずその笑顔を見つめていると、伊春は少し意地悪そうにニヤリと笑った。 「あ、また僕の顔見つめてる~‥やっぱり僕の顔かわいいって思ってるんでしょ?ひーくん惚れちゃったぁ?」 「いや、惚れてはない‥けど‥」  惚れてはない、けどたしかに、かわいい。それは事実だ。可愛い赤ちゃんや動物がいると無意識に見つめてしまう感覚と似ている。 「えへへ、まいっちゃうなぁ~生まれたときからこんな顔だから、みーんなに見つめられちゃって!そんなに見つめられると穴が開いちゃうよ~」  伊春は困ったなぁと言うように肩をすくめる。その顔は嬉しそうにニコニコしていて、全く困っているようには見えないが。 「‥ていうか、見つめてるって言っても、ひーくん前髪長くてあんまり目見えないけどね‥。なんでそんなに伸ばしてるの?目痛めちゃうよ?」 「人の目見て話すのが苦手で‥前髪で隠れてると少し安心するっていうか‥」  氷室は長い前髪を少しいじりながら言った。  たしかに氷室の前髪は長い。人と直接目が合うのが怖いし、顔を見られるのも苦手で、中学生の頃から前髪は伸ばしている。 「もう、こんな前髪だから根暗なのっ!ほらっこうやって分けたら少しはよくなるよっ!」  そう言いながら、伊春は立ち上がると、氷室の前髪に手を伸ばした。 「ちょ、やめ‥」 「もう、いいからいいから!ほらっ‥‥」  抵抗しようとする氷室の手を払い、長い前髪をグイッと横に分ける。  いつもより鮮やかで明るい視界。眩しいような気がして、思わず目を細める。  伊春の目が大きく見開かれるのが見えた。 「‥‥‥‥ひーくん‥」  伊春はぽかーんとした顔のまま、つぶやく。  うわ、バカにされる‥。からかわれる。引かれる。  氷室はぎゅっと唇を噛んだ。  毎回そうだ。俺の顔を見るとみんなこんな顔をする。もちろん俺の驚くほどのブスさは自覚済みだ。でもそんなに驚かれると正直傷つくんだよな。 「‥‥‥も‥もういいだろ‥」  氷室は伊春の手を払うと、乱れた前髪を整え急いで目を隠した。恥ずかしさと緊張で顔が熱い。   「ひ、ひーくん!!」  突然、ぐっと強い力で肩を掴まれた。  思わず氷室はうわっと声を上げた。      伊春は、氷室の肩を掴み、前髪で見えにくい氷室の目を真っ直ぐに見つめ、真剣な顔で言った。 「ぜっったい、前髪切った方がいい‥!!」      
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