第1章 追っても逃げない獲物

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「客なら、客らしく振舞え」  突然の背後からの声に、ライアンは愛用のナイフを抜いて振り返った。素早い動作は、ライアンの高い能力を示しているが、声の主はまるで気にした様子がない。  平然と部屋を横切り、ライアンの向かいのソファに腰を下ろした。優雅な所作はすこし物憂げで、逆に彼の育ちのよさを感じさせる。  光を浴びて艶やかな黒髪、深紅の吸い込まれそうな瞳、赤く色づいた唇、抜けるように白い肌。そして特筆すべきは、顔立ちの美しさだった。ブラウスとスラックスの姿から男だと容易に気づけるのだが、ライアンが知っているどの女性より整っている。  陽光が降り注ぐ部屋を歩いているのだから、吸血鬼ではないだろう。今までの経験から判断し、それでも用心深くナイフの柄を握る。吸血鬼は昼間動けない自分の手足とすべく、人間を操って側に置くことがあるのだ。この青年がその傀儡でないと言い切れなかった。 「留守かと思ったんでね」 「留守宅に上がり込むのが趣味か?」  整った姿形に似合う、きりっとした印象の声と話し方。彼はほぼ無表情に近いながら、微かに口元に笑みを浮かべた。 「まぁね。この時間なら眠ってるだろうと思ってさ。下見」  鎌をかけるつもりの言葉に、青年は楽しそうに笑みを深めた。ふと顔を逸らすと、音のしない所作で立ち上がる。  ドアを開いて廊下に消えるかと思えば、すぐに戻ってきた。片手に紅茶がセットされたトレイを持っている。あまりに短い時間の為、ライアンは他にも誰かいるのかと気配を探るが、廊下は無人のようだった。 「何にしろ、久しぶりの客だ」  紅茶をカップに注いで差し出される。香り高い紅茶の湯気の状態から、どうやら淹れたばかりだろうと思われた。しかし、この古城に人間はいなかった筈だ。 「どうも」  軽い口調で応じながら、口をつけずにいる用心深さに、青年はくすくす笑う。 「心配か?」  首を傾げて自分の前のカップを避けると、ライアンのカップに口をつけた。 「久しぶりの客だと言っただろう。薬など使わない」 「血が濁るから?」  以前殺した吸血鬼の言葉を思い出した。睡眠薬や毒を服用した人間の血は濁り、まずくて飲めたものではない――と。  薄く微笑むだけで答えない青年に焦れて、ライアンは話題を変えた。 「この城に吸血鬼が住んでるって聞いたんだ。で、わざわざ訪ねてきたんだけど、主はどこ?」 「ここの主は、シリル・ヴィンクヴィストと言う。俺だ」  ライアンは目を見開き、ごくりと喉を鳴らした。  この青年が……?!
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