piece.1

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piece.1

――この世界は、俺には少し、騒がしすぎる。この世界に、1ミリだって影響を及ぼす術を持たない俺には。別に、今すぐ死にたいとも思わないが、生きてる意味があるようにも思えない。生きてる意味がある人間というのは、彼みたいな人のことを言うのだろう。今、全校生徒の注目を浴びながら壇上に立って大演説を垂れる、この男のような…… 「先日の生徒会役員選挙の結果により、生徒会長に就任しました、2年7組の天ヶ瀬(あまがせ)(あずさ)です。皆さんの支えに、心から感謝します。我が校の伝統の継承、そして新たな時代に向けた改革に貢献するために、私は……」 ――天ヶ瀬くんって、生徒会長なんかなる前からずうっと、有名人だよなあ。医学部進学科に入試成績トップで合格したって噂の…… 。今も模試では校内トップはおろか、全国1桁も平気で取るような…… 。平凡な成績で普通科に入って、入学以来平凡な成績しか取ったことのない俺と彼みたいな人とでは、生きる世界が違うんだ、きっと。 ――俺と彼の人生が交わることなんて絶対にない、遠い存在だ。俺が膝を抱えて三角座りをする体育館の冷たい床と、彼が立つ講壇とのほんの数メートルの差が、じめじめした地下世界と天上界との差ほどに思える。 ――放課になる。外に出る。人の声。足音。風が吹きすさぶ音……やはりこの世の全てが、喧しい。うるさい。息が苦しい。おまけに今日は、さっきの天ヶ瀬くんの演説の光景が、瞼の裏にしつこくこびりつく。眩しすぎて、俺には直視できない風景……振り払いたい。耳を塞ぎたい。中毒患者さながらの切迫感で、俺はヘッドフォンを引っ被る。ああ。いつもの声。いつもの歌。 ――この声だけが、この歌だけが、俺と共にあった。薄暗い場所を蹲りながら歩く俺に、たった一筋、光をくれるものだった。  思えばあいつは、いつも下を向いて歩いていた。  今日の演説は、まあまずまずのものだろう。俺の華々しい生徒会長ロードは、何の滞りもなくスタートした。冬は目の前まで来ている。帰り道の頬に当たる冷たい空気が、どこかよりいっそう、気を引き締めさせる。  おや、と歩みを緩める。この清々しい緊張感におよそそぐわない光景が、俺の目の前に広がっていたからだ。 (おいおい、不良のケンカかよ……というよりは、一人が一方的に標的にされて取り囲まれてるな……囲まれてる奴も、抵抗しようともしないどころか、なんで一言だって何も言い返さないんだ…… ? 情けないったらありゃしねえな) 標的にされてる奴は、じっと俯いて、顔も上げない。不良たちを刺激しないよう、静かに動向を見守っている、と…… (っ、やばっ、あんにゃろうあのリーダー格っぽい図体でけえの、拳振り上げやがった!) さすがにまずいと、俺は慌てて囲まれてるもやしと不良グループの間に割って入る。咄嗟にリーダー格の手首を掴んで制止する。 「あ? んだてめえ、このもやしのお友達かよ⁉」 凄まれ、俺の額に汗が浮かぶ。俺の後ろでもやしが腰を抜かしたのが視界の端に入った……たしかにリーダー格の図体はでかいが、あとの連中は……大丈夫、体格では俺は負けてない。いける、という確信からか、口元に薄い笑みが浮かんだのが自分でも分かった。よくない、こういう表情で相手を激昂させる前に、一刻も早く片付けなければ。 「……おい、お前たちが橋向こうのS高の奴らだってことは分かってんだよ。でかいの何人もで一人を囲んで、随分卑劣なやり方してくれるねえ……ほら、人様の学校の通学路で派手なことしてくれちゃあ、さ……うちの生徒もさっきからひっきりなしに通ってんだよ。大ごとになる前にさあ、帰ってくれないかなあ!」 俺はリーダー格の手首を決して離さぬように細心の注意を払いながら、取り巻きたちに蹴りを入れる。全員が倒れたのを見届けたあとで、リーダー格のことも護身術の要領で地面に倒す。 「な、ケンジがやられただと⁉」 「なんだこいつ! 生意気な」 取り巻きたちが惨めに喚く中、リーダー格がむくりと起き上がり、ちらちらとこちらを見ながら通り過ぎるうちの生徒の様子に、諦めたように俺たちに背を向ける。 「おいお前ら、今日のところはもう行くぞ……なあおいそこの優等生風情、覚えておけよ」 「……何とでも。言っとくけど俺、ここの生徒会長なんだよね。うちの生徒を大量に動員することくらい、簡単だから。それこそ覚えておきなよね」 リーダー格は舌打ちをして、歩き出した。取り巻たちも慌ててばたばたと起き上がり、その後を追う。 「まったく、なーにが覚えておけだっつの。お前らの残念なおつむじゃ、明日には俺の顔なんて忘れてるっての。なあ?」 俺は蹲っているもやしを振り返る。 (やっぱりうちの高校の制服……それに、このネクタイの色、同学年じゃん……こんな奴、いたっけかなあ) 「なあお前、なんでせめて、一言だって何か言い返さなかったんだよ。そんな態度じゃ、ますます舐められるだけだって」 俺が何を話しかけても、もやしは黙ってふるふると首を振るだけだ。見かねて屈みこみ、その肩に手を伸ばす。それでもこいつは頑なに顔を上げない。さらさらとした髪が落ち、その顔に深い影を作る。俺と10センチ差……とまではいかないが、同学年の野郎にしては小柄な肩が震えている。そのはずみで、彼が首にかけている大仰なヘッドフォンが、俺の指先にこつんと当たる。 「……なあ、お前もしかして、本当に口が利けないのか?」 もやしが、今度は首を縦に振った。そしてがばっと、初めて――顔を上げた。透き通る程に血の気のない、冷たい陶器を思わせる白い肌。怯えたように俺を見上げるその大きな目には、涙をいっぱいにためている。その目と俺の目が合ったその一瞬、俺が目を見開いて小さく息をのんだことを、悟られないようにするのは、やはり無理だったか。もやしは弱々しく俺の手を振りほどくと覚束ない足で無理に立ち上がり、駆け出した。 「あ、おい!」 俺の声に奴が引き返すことはなかったが、一瞬足を止めて振り返った彼は口パクで――出ない声で伝えていた。 (ありがとう)
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