piece.4

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 もっと抵抗されるかと思ったのに、重ねた唇をこじ開けて舌をねじ込むと、あいつの方から口を開けて舌を絡めてきた。  熱くて、ふわふわに柔らかいあいつの舌の感触が、悔しいが思った以上にキた。ああくそ、こんなひ弱なガキみたいな奴にふやかされてたまるか――俺はわざと必要以上に音を立てた。冬の夜に吸い込まれ、外の物音も殆ど聞こえてこない二人だけの部屋は気味の悪いくらい静かで、口づけの音はうるさく頭の中に響く。 「ふ……んっ」 その羞恥に耐え切れなくなったのか、烏丸の吐息に上ずった声が混ざり始める。俺の制服の袖にしがみつく指の力が強くなったところで、俺はうっすらと目を開ける。俺の掌に収まろうかという華奢な形の良い頭を支えながら見下ろすと、烏丸の眼が、ゆっくりと開かれた。そのガラス玉のような眼は、今は薄い涙の膜で曇っていた。何も言わないのに、同じ瞬間に互いの眼を覗き込み、見つめ合っている。それが不思議にうれしくて、目を開けたままのキスを続けた。舌先で歯茎をなぞると、頼りない細い腰がびくっ、と跳ねた。そこで漸く、二人の舌と唇は糸を引きながら離れた。烏丸は口の端に零れた、どちらのものともつかぬ唾液を、涙をいっぱいに浮かべた眼で俺を見上げて荒い息をしながら舐めとった。 (あー……なんかそれ、えろ) 烏丸が少しだけ憮然とした表情を作ったのは、俺が楽しそうににやりと笑ったからかもしれない。 「あ、の、天ヶ瀬、くん……んっ」 烏丸の長い睫毛に、柔らかい髪に、首筋に、耳に。俺は次々に口づけを落とす。場所を変える度に、烏丸は声を漏らし、身体を小さく震わせたが、俺には分かっていた。 (お前が、本当にキスしてほしいのは) ああ俺、我ながら性格が悪い――でも、 「ごめん、俺は偽物だから」 耳の良い烏丸でも聞こえないくらい低い声で呟いたのに、やはり烏丸は耳が良くて。その瞳に一瞬、寂しい色が浮かんだのを見て取って、目を逸らしそうになる。  ああ。俺たちは幸せな瞬間のうちにも、奥底に寂しさを抱えながら抱き合わなければいけないのだろうな、しばらくは。 「あ、天ヶ瀬、くん…… 」 「ふふ」 ……案の定だ。物足りないんだろ、こんなところへのキスじゃ。  触れるか、触れないかのギリギリ。半開きの下唇に指を這わせると、細い身体はまたぴく、と震えた。 「んっ…… 」 ……やっと、物欲しそうな眼をしてくれたじゃん。いつもどこか遠慮がちに、一歩引いてこの世界を眺めていたお前の眼が、欲望に滲んだところをやっと見ることができた。 「んう……ふ…… 」 息をする隙も与えないほど。噛みついて離さないほど。お前の欲しかったものを、やるよ。もう一度塞いだ唇は、情欲に従順に開かれた。身じろぎするあいつの身体を引き寄せる。あいつの脚の間にあった俺の太腿に当たったものに気付いて、思わずふっと笑みを漏らした。 「へ…… ? お、俺……なんでっ」 自分の制服のズボンを見下ろした烏丸が半ベソのような声を上げる。 「ふ……なんでだろーねえ」 「ひあっ、あ……や…… 」 捲り上げた隙間から、小綺麗なワイシャツの中に手を滑り込ませる。 (身体、あつ……) それとも熱いのは、こいつの身体に触れる俺の手の方だろうか。 「はあっ……あ、天ヶ瀬くん、あの…… 」 「はー、もう、ちゃんとしてやるから焦んなって。何、お前、思った以上に犯しがいのある奴なのか」 「! んっ」 俺を見上げて斜め上を向く顔に、一気に赤みがさす。その眼は相変わらず涙目だが、口はだらしなく半開きにされている。俺は垂れそうな唾液を舐め取り、もう一度舌を絡ませてやる。  ベルトを外す音。ジッパーを下ろす音。静かな室内には、そんな音すら無駄に響き渡る。  あらわになったそれは、触れればはち切れそうな―― 「あ、やらっ、さわら、ないでっ…… 」 「……嘘」 「へ……?」 「だって口ではそう言いながら、身体はこんな、喜んでんじゃん」 「うう……んっ、はあっ」 「……垂れてる。透明なの」 「! っっ」 耳元に囁きながら、そこを翻弄すれば、烏丸は快楽に身をよじり、押し殺していた声がまた漏れ出る。 「天ヶ瀬くん、もっかい、キス、して……さっきみたいな、はあっ、ん、キス」 思いがけず烏丸の方からねだられ、一瞬目を見開いてしまう。しかし涙に溺れたその瞳を覗き込みながら、俺はすぐに頼りない唇を再び塞ぐ。  深く、熱く。吸い尽くして、蹂躙して。なんか、俺の方が逃げる舌を追いかけるシチュエーションをなんとなく想像していたけれど、俺の舌が少しでも動きを止めて引き下がろうとすると、あいつの舌の方が離してはくれなかった。  その間に―― 「は、も……ん、はあっ、あ…… 」 「……何、お前……いったの」 「っ……!」 「お前、キス、好きなのな」 「……うん」 頬を染めて俯いた烏丸の頭を、俺は何も言わずにわしゃわしゃと撫でた。 「な、何⁉」 「……かわい」 「はあっ⁉」 ……だってお前がやっと、素直なこと言うから。 「すっかりそこそこ遅い時間になっちゃったね。大丈夫?お家のひと、心配しない?」 「まあ家に連絡も入れなかったからな……まあ、いいんだよ、親なんて、時々心配させておけば」 「え…… 」 「確かに心配はするかもしれないが、本当に俺のことを心配してなんていないだろ」 「天ヶ瀬くん?」 「……悪い、何でもない」 「あ、あの、天ヶ瀬くん」 「んー?」 「その、よかったらまた、夕飯、食べに来てくれませんか?」 「……そんくらい、いつでも。俺いちおう、彼氏……なんだし」 「……」 「何だよっ、何まともに照れてんだよっ。ああもう、じゃあ、また明日な!」 「……はい。おやすみなさい」  まばらに立つ街灯の間をすり抜けて、 “天ヶ瀬”の表札の前に立つ。  ふうっとため息とも深呼吸ともつかない息を吐くと、黒い夜の世界に白い靄が広がる。ドアにかけた手は、鉛のように重かった。  予想できていたことだが、玄関ドアががちゃりと開く音を聞くなり、家の中から母が飛び出してきた。 「梓っ! こんな時間まであなた、どこに行ってたの!」 「ごめん母さん、ちょっと、友達の家に……んっ」 俺の言い訳を遮るように、きつく抱き締められる。  17にもなった息子にすることか、普通?  母の腕の力が強いほど、その鼓動が速いほど、俺の頭は、さーっと冷めていく。 「あなたに何かあったら、私……」 「……何かって、例えば、交通事故とか?」 自分でもぞっとするくらい冷たい声で、言い放っていた。  母がどんな表情(かお)をしていたのかは見えなかったが、瞬間、母が小さく息をのんだのが聞こえた。俺を掴んでいた指は解かれ、痛いほどきつく俺を抑え込んでいた腕は、力なく下ろされた。母はへなへなと床にしゃがみこんで顔も上げられず、歩き去る俺を目で追うこともしなかった。  だから、母の表情は最後まで分からなかった。  母の後から玄関に飛び出してきた父とすれ違ったが、父には多分、俺たちの会話は聞こえていなかったんだろう。父は何かを言いかけて開いた口を、静かにまた閉じた。父が蹲る母に何と声をかけたのか。それを気に掛けることもなく、俺は階段を昇った。  ……我ながら最上級の嫌味を口にしたと思った。  母からしてみれば、生まれてから今日まで、親の思う通りの良い子に育ってきた俺が、初めて見せた抵抗が、よほどショックだったのだと思う。  それでも俺は分かっていた。母には、どんなに俺のことが憎くなっても、俺を殴ることは絶対にできない―― 。
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