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piece.5
『Asくんこんにちは! Asくんは、作詞もご自身でやられてるんですよね? 曲はもちろんなんですが、私はAsくんの書く詞が本当に大好きなんです。顔も、本当の名前も知らない誰かの言葉が、不思議な説得力を持って、すーっと心に入り込んでくるんです。どの曲も涙なしには聴けないんですけど、聴いた後また笑顔になれて、前向いて頑張ろうって気持ちになるんです……まとまらなくて申し訳ない。これからも、私のような人を一人でも多く笑顔にしてください。応援してます。』
巷で流れる音楽には、俺が今まで書いてこなかった言葉が溢れている。
歩く速度を緩めた烏丸の視線の先を見上げると、大型ビジョンに人気歌手の最新CDのCMが映し出されていた。実力もさることながら、そのルックスも武器にしている彼のPVは、いつだってカラフルできらびやかな世界観で、ポジティブをそのまんま視覚と聴覚に表しているみたいだ。
人気なのも頷けるし、俺だってこれはこれで好きなんだけど、自分の心の中や、その周りの小さな世界に向き合って言葉を選んできた俺とは、明らかに歌のベクトルが違うなあ、とぼんやり思う。
この新曲が、俺の何倍も、この世界にメッセージを伝える力を持ったこの歌が道行く人々に訴えかけている言葉は……
『自分らしく生きる』
「 ……なあ烏丸。あれ。どう思う? 好きか?」
「え? あー……好き、なんだけど……なんか、ね」
「自分らしく生きる」
「えっ?」
「この曲、CMのタイアップだろ? 自分らしく。俺らしく。君らしく。ほんとの自分。俺たちがテレビで何度も耳にして、口ずさめるようになっている部分だ。自分らしくなんて言葉、俺は歌詞に使ったことない……いや、単に、俺には書けない、のかもしれないけど」
「天ヶ瀬くん……」
「笑わせんな、って思っちゃうんだよね、俺は。自分らしい、って何だよ? じゃあ最初から、自分なんてものが与えられなかった人間は、それが許されなかった人間は、どうすればいい? ほんとの自分って何だよ。そんなもの、本当にどこかにいるのかよ。どうしてみんな、一生懸命探したら、いつか本当の自分を見つけられるだなんて、簡単に信じるんだよ……」
「……思えば、一度も出てきたことなかったね、Asの歌には。こんなにも使い古された言葉が」
「何かの歌詞にあったよな。自分らしくいられないなら、誰かのフリしたっていいって。そうかーって。聴いた時は思ってなんか安心したし、今でも思ってるけど。でも誰かのフリをし続けることも、やっぱ無理なんだよ。俺もう、よくわかんなくなった。人が自分を保ち続けることって、ほんとはめちゃくちゃ難しいんだよな。烏丸。俺は、お前が思ってるより、ずっと脆いよ」
「……いいよ、それでも」
「……」
「……日が、だいぶ短くなったね」
「……ああ」
烏丸が後ろを振り返った。そこには、薄闇の中に聳える高層マンションが、そのそれぞれの窓に、柔らかい光を灯していた。
「天ヶ瀬くん。こういうの、綺麗だなーって思わない?」
「……思う」
「すごく夜遅くに、部屋のカーテンをそっと開けると、向かいのマンションに一つだけ、灯りが点いている部屋を見つけた時。なんかすごく、心強く思わない? 温かい気持ちにならない?」
「……なる」
「……よかった。天ヶ瀬くんが、こういうの、分かってくれる人で」
いつの間にか、俺たちの凍てついた手と手は繋がれていた。夜の闇が完全に街におりるまで、俺たちはそうしてただそこに立って、高層マンションの灯りを見つめていた。
烏丸がいなくなった。
――といって、本当にいなくなって捜索願が出されたとか、そんな話ではない。
ただ、昼に裏門に行っても烏丸の姿はないし、そう思ってスマホでメッセージを送ってみると、あいつは読んではいるようなのだが何回かに一回しか返信は寄越さないし、待ち合わせをしようと連絡しても何かと理由を付けて断られるし。だから言ってみれば、烏丸は確実にいるんだけど、少なくとも俺はもう何日も、烏丸の姿をこの目で見ていない。
――これは、いなくなったというか、俺、もしかしなくとも――避けられてる……?
「はああああーーー」
「お? 生徒会長様が大きなため息とは、珍しいなー」
クラスメイトに指摘され、はっとする。この俺が、無意識に溜め息だなんて――。ダメだダメだ。「完璧な生徒会長・天ヶ瀬梓」の姿すら、保てなくてどうする。取り繕わなければ。浮かべなければ。「余裕の表情」ってやつを。
――やんなる。なんだよ、俺、けっこう分かりやすく凹んでんじゃねえか。
それでも、凹んでいる暇も、やんなってる暇も与えられず、毎日は、ひとりでに転がるように続いていく。俺は俺で、心はさておき、身体はそんな目まぐるしい日々に順応している。授業は進む。課題も出る。生徒会の仕事も次々舞い込んでくる。そんなあれやこれやを、俺は笑えてくるくらい何事もなくこなしている。
滞りなく運んでいく物事と、ぐちゃぐちゃにこんがらがった気持ちはあまりに乖離していて、動いている流れの中で、心だけが身体から切り離されて、置いてけぼりに立ち止まっている。
――教えてくれよ。
「!」
――お前にとって、俺って、
横切る人影。
――俺はただ
「からす、ま……」
――お前のその声を、もう一度聴きたいだけなんだ。
「ま、って……」
目が合うこともなく。手を伸ばせば、触れられたかもしれないのに、お前は俺が手を伸ばすより前に、行ってしまった。
ああ。そうか。
やっぱり「俺」を好きになってくれる人間なんて、いなかったんだ。俺みたいな奴に、誰かを愛するなんて芸当、できるわけがなかったんだ。
愛することも、愛されることも、ただの高望みだったんだ。
あーあ。もっと早く気付くべきだった。というか、どこかではわかっていた、最初から隠し持っていた恐怖だ、これは。
なんでこうまで、上手く生きられないんだろうな。俺も、多分、お前も。
自分を嘲笑う白い息を薄青の空に吐き出したその時、頬に冷たく柔らかいものが当たった。
(雪)
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