piece.5

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――街は、色で溢れている。 ――ビルにかかる大きな広告。信号、標識、電光掲示板。すれ違う人々のパステルカラー、ビビットカラー、その他実に様々な色の衣服。それと、嫌になるほど濁りのない空の淡い青。 ――いつか観たミュージシャンのPVみたいに整えられた美しさじゃないけれど、この世はけっこうカラフルだ。 ――目に毒なくらい、眩しい。 ――折角少しくらいは、自分だって目を背けずに、明るいものと向き合うことが許された気がしていたのに。今はただ、光と色が溢れた街の空を見上げることが苦しい。 ――結局視界は、自分のスニーカーの爪先と地面だけになる。 ――これではあの頃に、あの人の瞳に、指先に、触れる前のあの頃に逆戻りだと、分かってはいるけれど。 ――これでいい。これはただ、俺が本来いるべき世界に戻ってきただけのことだ。そうだよ、最初からそのはずだったじゃないか。所詮、俺が生きていくべき場所は、色も光も届かない、誰からも忘れられた日陰の世界だろう。暖かい日だまりを望む方が、身の程知らずというものだ。ほんの一瞬、幻を見せてもらっただけでも、ありがたく思うべきなんだ。 ――あなたが俺に触れてくれた、初めての、その手の熱が、忘れられない。忘れられないからこそ―― ――さよなら。 ――ああ。やっぱり。息苦しいと思えば思うほど、色と光だけじゃなくて、人の声、信号のメロディ、クラクション、全部全部、ああ、この世は喧しくて、耳を塞がなければ、壊れてしまう、頭が、身体が。 ――あなたという人間を知る前の、遠い世界にいる顔も姿もないAsに戻ったあなたの歌を―― ――ヘッドフォンに手をかけた、その時―― ――「わ! 見て見て! Asの新曲上がってる! ほんとに、ついさっきのアップみたい」 ――「ほんとだ……あれ、でも、ソロだねこれ。ここのところずっとSoとのコラボだったのに、久し振りだねー」 ――「ま、それはそれでうれしいけど? ……」 ――う、そ。 ――俺は冬だというのに首筋に流れる一筋の汗に構う余裕もなく、スマホの画面に指を滑らす。ああ、鎮まれ心臓、ヘッドフォンで塞がれた耳の中、心拍音を掻き分けるようにして聞こえた歌は――   会いたい 新雪を踏みつけて 僕は立ち竦んでいる   会いたい 君の姿探して 街灯に嘲笑われ   神様 もしいるなら 一つだけ願いを聞いてくれませんか   夢の中で 道に迷って 光も声もなくした僕の   僕の たった一人だったんだ   聴きたいんだ その声 もう一度だけ   会いたいんだ 最後に もう一度だけ  今までこれほどまでに頑なに、どうかすると繋げるメロディー、書く言葉全部がお前に向かいそうになるのを、力ずくで抑え込んできたというのに。手垢のついたありきたりな言葉を、嫌ってきたというのに。  ふつうの温かい幸せが、自分たちの手に入るものではないと分かっていても。  それでも、言葉が溢れて止まらないところまで、どうしても伝えなければいられないところまで、俺はもう来ていたんだ。  初めて多くの人に聴いてもらって受けることを意識せずに歌を作った。この歌は、万人に受けるためにはあまりに飾らな過ぎた、一つの工夫もなかった。  ただ、お前だけに伝わればよかった。  ほんと、俺は悔しいよ。なんでお前程度の男に、俺がここまで振り回されているんだか、本気でわけが分からない。  いつか、薄く積もった雪はすっかり解けていて、それでも冷たいガードレールにもたれていたからか、それともそれが理由ではないのか、震える指で“投稿”ボタンを押したのが数分前。動画サイトには次々反響のコメントが届くが、今はそのどれにも俺の関心はなかった。  弱い風が髪をくすぐり、陽の光の中を旋回しながら白い軽い羽が舞い落ちてくる。  天気雪。最近、よく降るな。  重さを持たない粉雪の粒たちは、太陽の光を反射しながら、自由に踊り回る幼子のようにすら見えた。生まれ落ちた瞬間から背負わされたものに、そして気付けば自分の気持ちにすら雁字搦めになってここから一歩も動けない俺自身とのあまりのその差に、焦がれて俺は光に手を伸ばす。  ああ、この雪の子たちの中に混じって、思うままに身体を揺らして、手足を伸ばして踊り回れたら……  再びうっすらと雪に覆われた地面に、足を踏み出しかけたその時、天気雪の幻想を切り裂いたのは、それこそ子供のそれのように、重さのない足音が駆けてくる気配、不規則に揺れる白い息―― 「からす、ま…… ⁉」
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