piece.5

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 ずる過ぎるだろ、こんな登場。できた話過ぎるだろ、こんなの。  どうしてこんなにきれいな景色の中に、触れたら壊れるガラス細工みたいに現れるんだ――!  美しい、お前は美しいよ。薄い、金色の光が今の粉雪のような透明な肌を透かしている。  こいつは、歌を聴いたのかな。世界でただ一人にだけ届けばいい歌だったけれど、いざその返答を聞くのが今は――怖い。 「ごめん、俺、こんな、ずるいこと……」 ……え? 「俺、こんな俺を、天ヶ瀬くんに好きになってもらえて、うれしかった。俺も、天ヶ瀬くんのこと、ほんとにほんとに好きになった。こんなに、うれしかったから、好きだから、俺は……俺は逃げ出した! あなたから。ずるいことだって、分かっていながら……こんな育ち方、してきたからかなあ。誰かに……愛される覚悟が、俺にはたぶん、できてなかったんだ。愛してくれたことへの返し方が、わかんないんだ。天ヶ瀬くんは、表面的な親切心で俺に接してきたんじゃない。俺の闇みたいな部分を知ってもなお、一緒にいようとしてくれた。そういう気持ちから、俺は、逃げるべきじゃなかったのに……俺、心のどっかでずっと、自分には生まれて生きて、幸せになることなんて許されてないんだって、思っていたから。ごめんなさい、ごめん、なさい……」 さっきまでより少しだけ強くなった雪に僅かに視界が霞み、烏丸の姿にヴェールをかける。いつか、今から思えば奇跡みたいに再会したあの日も、こんなふうにこいつの姿は霞んでいたっけ。紺色の地味なマフラーは弱々しく風にはためき、薄く雪を載せている。 「よかった。お前に、嫌われたわけじゃなくて」 「え……お、怒らない、んですか……?」 「怒るもなんも……もうお終いだーって頭抱えて、滑稽にもあんな歌を書くくらいには、俺はもうとっくにお前に……」 そこで互いの言葉は途切れて、白いため息がまた、視界にヴェールをかける。 「……烏丸」 「……うん」 「お前がずるいことをしたって言うなら、俺はもうずっと、ずるいことして生きてきたよ。お前も、分かっただろ? 俺という人間は、全部、作り物なんだよ。今まで俺を好きになって、でも離れて行った人たちには、作り物の俺しか見えてないんだから、上手くいかないのも当然なんだよな。『俺』そのものを好きになってくれた人なんて、たぶんいなかったし。でも、でもさ。今まで“作り物”ゆえに崩れることもなかったのに、お前の前では、『俺』は俺を演じ切れない。お前は脆い人形細工みたいで、お前のことを傷付けたくない、暗く寒い場所から救い出してやりたい、守らなきゃいけないって思うのに、お前のこと、壊したい、汚したいって思う自分がいるんだ。俺は結局、こんな汚くて歪んだ人間なんだよ」 ああ。視界は悪いけど、ぼんやりとは見えている。大きな眼、結ばれた唇。そこにはちゃんと、意志が宿っている。 「烏丸。お前は、人に愛される覚悟ができてなかったって言ったな」 「……」 「それなら俺だって、愛される覚悟も、愛する覚悟も、ちっともできてなかった。でも本当は、俺らが今日からも隣にいるためには、その覚悟ってやつが、必要なんだろうな。俺らが逃げて、目を逸らしてきたものに……」 「……少しは怖いよ。でも俺は、今度はその覚悟ってやつ、できたと思う。そこにどんな闇があっても、歪んでいても。俺は、もう、逃げない」 ふいに雪と白い息の幕を破って、その腕が伸びてきた。殆ど反射的に、俺の腕も差し出され、冷たい指先と指先が、触れる。冷え切った指先から体温が伝わるのを待てずに、俺はその細い腕を掴んで引き寄せると、傾いてきたその身体を抱き締めた。 「はは。でもさ、その決意さえあれば、とりあえずは今は、難しいこと考えなくっていいんじゃない。何かの歌詞にあったよな、愛は奪うものでも与えるものでもない。気が付けばそこにあるんだよ」 「ふふ……天ヶ瀬くんって、何かの歌詞にある、っていう例え、よく、使うよね」 「俺は音楽が好きだからな」 ――「俺は音楽が好きだからな」 ――その人は、静かな、でもはっきりした声音でそういうと、俺の身体からそっと離れた。 ――「俺はただ、音楽の中で生きてたいんだよ」 ――その人は、俺を抱き締めていたその両腕を今度は踊るように空に伸ばした。天気雪と、雲間から差す光がその掌に降りていった。溶けるくらい柔らかな光の中で、ほんの純粋な子供のように屈託なく笑うその横顔を―― ――美しいと思った。 ――あなたはきっと、自分の生きたい場所で、生きることができるよ。俺にはそれが、分かる。
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