piece.6

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 どのくらいの間、そうしていたのか分からないが、やがてどちらともなく身体を離した俺たちは、また向き合って座った。 「俺さ」 「うん」 「最近じゃ、今、この瞬間の選択が、行動が、栞としてのものなのか、梓としてのものなのか、分かんなくなって、どうしたらいいのか、自分でも、分かんないんだ。栞でいればよかった時には、自分というものが、少し俺の手を離れた場所にある感覚だったんだ。自分、なのにな。なんか今になってやっと、自分ってやつがちょっと近くまで迫ってきた感じでさあ。自分って何なんだろうな~、ホント」 これもまた、いつかのようにわざと明るい声を出したところで、ちょっと言葉を切る……呑気な声音に、涙声が混じりそうになったから。 「俺もう、栞と梓で、ぐちゃぐちゃで……! 多分、さ……お前に出会ってしまったことで、ぐちゃぐちゃが加速したんだと思う。お前の前では、なぜか、今まで崩れたこともなかった、作り上げた完全体な自分でいられなくて……多分、初めて声を聞いた瞬間から、通用してなくて。だけど、後悔とかいっこもしてないんだ。この出会いのお陰で、俺は家族とぶつかってでも、自分の痛みと向き合う決意ができたから」 言葉も挟まずに俺を見据えていた烏丸の大きな瞳が微かに揺れた。と、次の瞬間――  ためらいがちな、でも丁寧なキスが俺の唇に落とされた。それはほんの一瞬、触れるだけのキスに近かったが、その舌先がごく軽く俺の下唇をなぞり、そしてあいつは離れていった。 「え……」 自分の顔を見ることはできないが、その時俺は恐らく、目をまるくして間抜けな驚きの表情を浮かべていたと思う。  多分初めて、烏丸の方からキスされた。  情けない「えっ」から言葉を継げないでいる俺の手を引いたまま、烏丸は大きな瞳に涙を溜めて、白い頬を紅く染めて、初めて見せる激情に声を震わせた。 「梓か栞か、そんなこと、どうだっていい。分かんなくなって、葛藤して、そうして作られた天ヶ瀬くんが、ぐちゃぐちゃになったところもひっくるめて、今俺の目の前にいる天ヶ瀬くん、あなたの、全部が、俺は好きなんだよ、だいじなんだよ」 ああ。お前は……俺のために、そんな表情(かお)をしてくれるんだな。首筋に伸びかける手に、俺はほんの少しだけ、目を伏せる。 「……いいのか? 俺は最初から、小賢しくて汚かったんだよ。愛を、それも偽物の愛を得るために自分を偽り、裏切り続けてきた……」 烏丸はまた、力なく首を振った。頼りなく映るその仕草と表情が、今はとても優しく、温かかった。 「……俺みたいなの相手じゃ、本当は、話しづらいことのはず、なのに……でも、俺に全部話してくれたのは、覚悟ってヤツ、してくれたから、でしょ? 俺言ったでしょ、闇も歪みもって。だから見せて。天ヶ瀬くんの、醜いところも全部。俺は、それがうれしいから」 俺は黙って頷く。と共に、珍しく俺が烏丸を見上げていたその視界はぐるん、と反転して、俺は、頼りなくはにかんだ烏丸の微笑みを腕の中に閉じ込めていた。 「んっ……ふ……」 噛みつくようなキスに、すぐ喉の奥からくぐもった声が漏れる。酸素を求めて開いた唇の隙間に侵入り込み、柔らかい舌を捕まえる。2つの舌は絡み合い、追い掛け合い、動きは激しさを増す。互いの舌が立てる音と、舌に纏わりつき、口内に流れ込む唾液に、頭はぽーっと熱くなり、理性が遠ざかっていく。 「はあ……舌、あっつ」 糸を引きながら舌と薄い唇が離れたタイミングで思わず呟くと、さらさらの髪の隙間から覗く耳がさーっと赤く染まった。それを見逃さなかった俺はその細い髪を耳にかけて、露わになった耳朶を指でなぞる。ぴく、と微かに身体が震えるのが目に入ると、自分の唇の端が意地悪く持ち上げられたのが自分でも分かった。唇を耳元に寄せてはあっとゆっくり息を吹きかけて、ちゅっ、と音を立てて軽く口づけた後、真っ赤で艶やかな耳に舌を這わす。 「あ……んっ、ひあっ……」 「何? そんなにいいの、これ」 「ん……」 目をぎゅっと瞑ってこくこくと小さく頷くと、烏丸は吐息の隙間から言葉を返してくる。 「俺……こんなに幸せで、いいのかな……大好きで、大好きで、毎日聴いてた声が、こんな、ありえないくらい、近くで……こんな贅沢が、許される……?」 「じゃあお前は、毎日聴いてた俺の声だけで、ここ、こんなにしてんの」 「いや、あっ!」 俺は自分の腿に触れていた硬いものに手を伸ばした。脈打つものの体温にふ、と小さな笑い声を漏らしつつ、俺はそこに自分のを押しつける。 「⁉や、あっ」 「はあ……苦しいな、服越しなんてもどかしいな?」 烏丸の大きな眼にじんわりと涙が滲む。俺は烏丸のワイシャツのボタンに指をかける。襟元も何もかも、こいつのシャツは相変わらず眩しいほど真っ白だ。でも、こんな綺麗なものを―― 「ごめん、烏丸。俺が、汚すんだ」 露わになった首元に噛みつこうとする俺を、力ない手が無意味に制止する。 「っ! あ、跡、つけたら、な、なぐる……」 「ふ、そーかよ。お前に殴られたって、ぜってー、痛くねえ」 「んっ、あぁっ……」 「はあ……まあ、たまにはいいんじゃない、誰よりも大人しそ~、なお前の首元に、こんな……なかなか夢あるよっ」 「~~……ばかぁ」 「何とでも言え……はあ、お前の身体、すげー、綺麗」 あいつの身体はどこをとっても、その肌は滑らかな陶器を思わせ、なんかもう神聖すら覚え始めていた。思わず鎖骨に口づけると、その身体は過敏にびくびくと反応する。 「お前さ~、もうどこ触っても感じるんじゃないの」 「ん……や、あ……」 「じゃあ……ここも?」 「ちょ、や、やだっ、そんな、とこぉ」 薄い胸の上の突起を蹂躙すれば、涙に濡れた声が訴えてくる。 「やだとか言いながら、固くしてんじゃねえよ」 「う……」 指で弄んでいたそこに舌を這わせると、呼吸は乱れていき、身体はまたびくびくと震える。その姿すら美しく、恍惚としかける頭の隅で、でも流石に意地悪が過ぎたかな、と思い始めたところで―― 「はあ……あ、も、お、俺っ…… !」 烏丸の腕がどこかに伸びる。その先は傍らの机の引き出しで、やがて烏丸の手は何かを探し当てる。見覚えのあるドラッグストアの袋が姿を現し、予想外の行動に頭がついていかない俺の目の前に、ことん、というやや空虚な音を立てて、コンドームの箱が転がり落ちた。  ……まじか。
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