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見覚えがあったのも当然だ。
「あ、の……?」
「……だってこれ、いつだったか天ヶ瀬くんが置いてったやつじゃないですか!」
「あの時は誰かさんが、無理無理無理無理って死ぬほどごねたからだろ……」
動揺を隠すように言い返すと、目の前の“誰かさん”その人は、色白故に余計分かりやすく顔を真っ赤にし、大きな眼に薄い涙の膜をはると、思いがけない力で俺の腕を振りほどいた。
「え、ちょ、おい⁉」
俺が振り返った時には、烏丸はバタン、とすごい勢いで風呂場のドアを閉めているのであった。
……まじか。
いやいや、俺の方が動揺してどうする。こうなったらこの期に及んで焦ってもしょうがない。
と、いうことで、俺は烏丸を待って素直にベッドに転がっているわけで。
余計なこと考えないようにしよう、しようと思うほど、とりとめのあるような、ないような考えが行ったり来たりする。
今日の烏丸は、いやに積極的というか、気付けば全部、あいつの方からその……俺を求めてきたわけで。まあ、いざ……となると相変わらずのヘタレぶりだったけど。これは、手放しに喜んでいいヤツなのか? どういう心の動きなんだ……
俺の、せいなのか――?
無理は、しなくていい、って、それはお前の方こ、そ――
そこで思考は遮られた――あいつの足音で。
「えーっと……お、おいで?」
「……お邪魔します?」
「いやいや、お前のベッドだろうが。お前の方がお邪魔してどうする」
「ふ。そもそもお互い、語尾に? 付いてるし」
「はは」
あいつの髪に触れる。後頭部を掌で支えて唇を重ねる。
「……なあ、お前ほんとさ、なんで急に……別に、焦ってくれなくて、いい、のに」
「そうじゃ、ないよ。その……俺が、したかった、だけ……」
俺の唇の上で囁かれた言葉に、多分嘘はなかった。その綺麗な瞳には、いつものようなおどおどした怯えの色は浮かんでいなかった。
「大丈夫かー? 苦しい?」
「は……ふう……だ、いじょう、ぶ……んっ」
……俺は俺で、こめかみに浮かんだ汗が一筋、すーっと流れたのが自分ではっきり分かった。多分こいつは、は、初めて……なわけだし……まあ俺も、さすがに男とは初めてだけどさ。
顔も身体も熱いけど、俺はまた、自分が唇の端だけで笑っているのを自覚した……あー、俺ってこんな、性格悪かったんだな……
「なあ、指、何本入ってるか、わかる?」
「ん、わかんな、あっ……や、やだっ」
「ふ。もう、3本入った、から……」
「ぅう……」
「そろそろ、挿れても大丈夫、だよな……今から、本物」
「―― !!」
烏丸の眼が一瞬何かに揺れて泳いだ。
「だーめ。ちゃんとこっち見て。今更怯えたフリしてんじゃねえよ、ずっと、期待してた、くせにっ」
「や、あっ……ちがっ、期待、なんか、ん、う……ああっ」
「は……あ、はあっ、はは、どんな、気分? いちばん欲しかった、モノ、挿れられ、てっ」
「あ、や……やだっ、そんなっ、動かさ、ない、でっ」
「あ……なあおい、もしかして。男が気持ちいいのって……ここ?」
「――っ⁉あ、あ……ぃや、きもち、い、そこ、だめぇっ」
強烈は快楽に耐え切れなくなったあいつの手は、多分無意識に自らの口を抑えていた。
「……なんで声、我慢すんだよ」
「ん……んっ」
俺は白く、細い手首を掴んで、覆われていた口元から引き剥がした。
「俺言っただろ、俺は、お前のその声を好きになったんだよ。だから……もっと聞かせろよ、お前の、声」
「んんっ、あ、あっ……あ、まが、せ、くん……ん……はあっ、ああっ」
――「ん。俺もうちょいがんばれる、から、いいよ、天ヶ瀬くんも、い、いって」
――「あーやば。ほん、とに、だいじょうぶ、か?」
――「うん……ねえ天ヶ瀬くん……俺ね」
――「はあっ、な、に……」
――「あなたが……天ヶ瀬くんが俺の、生きる意味、なんだよ」
――「……なーんで今、んっ。そういう寂しいこと、言う、かなあ……あーあもう、萎えた」
――「うっ、嘘こけっ!ん、んんっ……って、な、なんで…… ?」
――やっぱり俺には、この人が分からないと思った。
――俺の言葉に嘘はない。生きてる意味なんてない、生きているというよりは、ただ死なずにいるだけだった俺の毎日に、ほんの少しの光を、色をくれたのは彼だった。
――それなのに、それを彼は“寂しい”と評した。
――彼の言葉の真意は、結局その時の俺には分からなかった。
――身体まで繋がれた。その声との距離はついにゼロになった。それなのに俺は、ふしぎな寂しさの、ちいさな痛みの底に沈んでいった。
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