piece.1

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――彼の声は、なぜだかどこか、「あの人」の声に似ていた。  なんでこんなことまで生徒会役員の仕事なのか、と愚痴を垂れる「俺」が顔を出そうとするのを、ぶんぶんと頭を振って抑え込む。  いかんいかん、今の俺は品行方正、成績優秀な「天ヶ瀬生徒会長」。嫌な顔一つせず、爽やかなオーラを振りまいて歩いていれば…… 「よっ、天ヶ瀬! 生徒会の仕事か? 毎日お疲れだねえ」 「おーヤマダかあ、久し振り。いやいやこれくらい、大したことじゃないから」 「さっすが~、新生徒会長様は器が違うね~」 好印象、支持を得るのなんて容易いことである。はは、大袈裟だなあ、やめろよ~、と適当に流しながら視線をちょっとずらせば、「あっ、天ヶ瀬先輩だ!」「は~やば、今日もかっこいい~!」とか何とかヒソヒソ言い合いながら、1年の女子が逃げ隠れるように通り過ぎていくのが目に入る。そんでついでに、すれ違った先生にきちんと立ち止まって礼をして挨拶なんてすれば、天ヶ瀬は礼儀正しくて感心だよ、なんつって先生もニコニコ。はい、完璧。  ……完璧、じゃなきゃいけないんだよ、俺は。  それにしたって、「校地美化」と称して昼休みに生徒会の面々が学校の敷地内のゴミ拾いやら落ち葉掃きなんかをやっているこの仕事、いくら爽やかさ振りまいたって持っているのが竹ぼうきなのだから締まらない。ま、こういう庶民的なイメージはそれだけで好感を持たれやすいから、ある意味理に適っちゃいるけど。それに、校地内の見回りを兼ねた、秩序を維持するための活動でもあるから~、と言われてしまっては文句も言えない。  校地美化の仕事をやるようになって、うちの高校って意外と敷地は広くて、2年のこの時期になるまで立ち入ったこともないような場所がまだあることに驚かされた。  だから、思いがけず、誰かの秘密の場所を見つけてしまうことだって――  殆どここから出入りする者はない、グラウンドも増築のプレハブ部分も突っ切った、ひと気のあるところからは遠く離れた裏門周辺。  突然の突風に、落ち葉が巻き上げられる。俺は思わず腕で顔を覆い、小さな竜巻をやり過ごした。ぴゅうぴゅう、ごうごうという音が鳴りやんだ頃、おそるおそる目をゆっくりと開いていくと…… (! あいつ、昨日の……) 錆びたフェンスやら手入れの行き届いていない植込みやらに囲まれて、文字の半分以上消えかけた、古ぼけた飲料メーカーのロゴ入りの安っぽいベンチがある。そこにちょこん、と座る人影……たいへん視界が悪いが、小柄でやせた身体、さらさらの髪、何よりあの大仰なヘッドフォン……垣間見える全てに、見覚えがあった。間違いない。そこにいるのは、昨日助けた口の利けないもやしだ。  まだ微妙に吹き止まない風、飛び交う細かい落ち葉とキラキラとした砂越しに、奴とは決して目が合わない。向こうはまだ俺の存在に気づいてないようだが、彼に近付く一歩を、俺は踏み出せなかった。少しでも俺が身動きして、俯いているその顔を上げさせることが、躊躇われた。砂混じりの薄汚れたスクリーンが引く境界線を、なぜか越えられないでいる俺を突き動かしたのは――耳に突き刺さる、鼻歌……いや、鼻歌と呼べるかも怪しい、それは、あまりにも掠れて、途切れ途切れだったから。  でも俺はその歌を知っていたんだ、知らないはずがなかったんだ。  何キロにも思えていた、ほんの数歩の距離を縮めると、ようやくもやしも俺に反応する……といっても、それは端から見ればごく薄いものだった。顔を上げない彼は、目だけで隣に立つ俺を見上げている。表情に乏しいような、それでいて怯えたような微妙な揺らぎを湛えた瞳―― 。あの時と違って、ヘッドフォンは首にかけないで奴の耳を塞いでいる。そのヘッドフォンが繋がれた画面が目に入った時、それは確信に変わった……密かな充足感、高揚感とともに、しかしどこかに空しさ、物寂しさを伴った、確信――。 「お前、As(アズ)知ってるのか……?」 As。動画サイトへの投稿や配信などネットの世界で活動する歌手。顔出しをせず決して自分のことは語らないので、その正体は謎に包まれている。  もやしは一瞬固まった後、黙ってこくこくと頷いた。そして静かな動作でヘッドフォンを外して首にかけると、手元の画面に何かを一生懸命に打ち込みだす。抑えつけられていたさらさらの髪がはらりと落ち、画面を目で追う動きに従って揺れる。  その様子をぼんやりと眺めていた俺の顔の前に、突然、画面がぬっと突き付けられた。 (え⁉  ……ああ、筆談ってことか……) 『好きなんだ。As の歌だけが、この声だけが、俺に、一人じゃないよって言ってくれるんだ』 俺は思わず、画面から目を上げてもやしの顔と見比べた。もやしは薄く頬を染めている。 (何、こいつ……バカじゃねえの) ……落ち着け、動悸、収まれ―― 『天ヶ瀬くんも As 、好きなの?』 「え⁉ 俺? あ、ああ……まあな」 『そっか、俺の他に、 As が好きな人に初めてリアルで会ったから、うれしい。しかも天ヶ瀬くんみたいな有名人なんて、なんかすごいや』 「は、そうかよ」 俺が足元の落ち葉を竹ぼうきでどけつつ背を向けかけると、もやしは慌ててまた画面に何か打ち込み、俺の腕を引いて引き留めた。思いがけないその強い力に、俺の足は止まり、視線すら自由を奪われたようにこいつの上に引き戻された。 『昨日は、どうもありがとう』 「い、いいんだよあれくらい。じゃあな、授業に遅れんなよっ、俺が見回りしておいて遅刻なんかされちゃ、生徒会長の面目も立たないっての」  別にこんな奴の手、振り払うのなんて難しいことじゃないはずなのに。なんだか無理に目を逸らすようにして、俺は裏門のスペースを後にした。   ……何だったんだあいつ、妙に律儀だし。はー、もう、ほんと、バカじゃねえの…… 。
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