piece.8

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piece.8

「本当に来てよかったの? 俺たち」 薄暗い会場の中、隣に立つ烏丸の指が俺をつつく。 「そりゃ……boccoさんの方から、『折角だからライブの日に約束して、ついでに僕のライブ観て行けばいい』って言って来たんだし」 そう言いながらも、こういう空間は正直落ち着かない。無意識のうちにキョロキョロしてた自分に気付いて、烏丸に聞こえないように小さな溜め息をつく。  なんてことのないライブハウスだ。大きくて新しいビルの間にひっそりと佇むささやかなビル、その地下にあるような、ありふれたライブハウス。俺たちは何となく会場の真ん中辺りに立っていたが、周りを見回せば、いっぱいというほどではないが前方にはそこそこ客が群れている。今日はboccoさんの単独ライブではなく他に何組か出演者がいるライブらしい。いい感じにバラバラな客層が、爆音と光に支配される空間に不思議なちぐはぐさを生んでいる。 「あ」 ステージの照明が、この場にそぐわない鮮やかなピンクに変わり、白いミニのワンピースを着た二人組の女の子が出てきた。こういう地下アイドルのような子たちも出るライブなのか。昭和アイドルちっくな古い曲調に乗った、上手くもない幼い歌声になんとなく身体を揺らす。かわいい、といえばかわいいのかもしれないが、あまり派手な感じではない。隣の烏丸を盗み見ると、彼女たちに興味あるのかないのか、焦点の定まらないような目でステージ上を眺めている。狭い箱の中に、相変わらず光と音は渦巻いている。前方の客はやはりそれなりにちゃんと盛り上がっていて、ここの室温は開演前から3度くらいは上がったのではないだろうか。ああこいつは、熱気に当てられてるんだろうなあ、と思う。  こういう所なんだ、boccoさんが立っているステージって。  瞬間的に、それを感じ取った気がした。  それから数組の地下ドルやらバンドやらを聴いた。そして、その人が舞台の上に現れるその時――この閉塞した箱の空気が変わったのは、たぶんどんな鈍感な人間にも分かった。  ただのステージのライトのはずなのに。舞台の中央へと歩を進めるその人の横顔は、どこか――神々しいまでの光を湛えていた。マイクに触れるすらりとした指先と腕の上で、青白い光は動いている。正面に向き直ったその人の眼、その視線は客席を冷たく青く刺すようであった。俺は、思わず息をのむ。その眼は確かに美しい――男か女か、そんなものを超越した、美しさ。  やっぱ実物も性別不明なんだ、なんていうつまらない納得が脳内を走った。  アイドルの曲のきらびやかさも、バンドの演奏の派手派手しさもない、ピアノやギターの弾き語りで綴られるその人のステージは、狭苦しい箱を、不快な暑苦しさではなく、そう、言うなれば――陽だまりみたいなあたたかさで包んだ。ミニワンピのアイドル目当てと思しき客も、烏丸も……それに俺も。その旋律、その言葉、その眼差し、そしてその声が揺らす空気そのものに。ここにいる人間皆、今、ここで作られる時間を共有していた。その人に、その人が作る音楽に、舞台に引き込まれていた、それは呼吸の音を立てるのも憚られるような、あたたかくて繊細な、永久に思える一瞬一瞬。  その人の曲は知っていた、でもこの時はっきり思ったんだ。  ああ、生きている、って。  boccoさんは生きていて、そして俺も、生きてその歌をこの身体に受け止めている。  お互いの表情も満足に見えない暗い客席で。頬を伝う雫の流れに合わせるように自然に動いた手は、何も言わずに、隣に立つ男の手を取っていた。  静か過ぎず心地良い、その程度にざわついたファミレスの店内。  ライブが終演して、俺たちがここに入る頃にはすっかり日も暮れていた。軽く振り返って窓の外を見たら、薄紺の空に弱々しく光る一番星を見つけた。正面に向き直ると、店に入ってから2、30分は経っているだろうに、烏丸はいまだになんとなく落ち着きなげに視線を泳がせている。 「飲まないの? それ」 俺は極力抑揚をつけないように、烏丸の前に置かれたメロンソーダを見下ろした。 「あ、ああ……」 奴は俺に言われて初めて気づいたとでも言うように、俯いてストローをくわえた。溶け切った氷で薄くなっているであろう毒々しい緑色の液体が、ストローの半透明に濁りながらせり上がっていく。その唇と喉の動きを目で追って自分の体温が上がったことに気付き、目を逸らしながらコーヒーカップを傾ける。いつの間にか空になっていたそれを、ごまかすようにまたテーブルの上に戻す。  ……何、俺ばっかり勝手に気まずくなってんだよ。  俺たちはドリンクバーだけで時間を潰していたが、俺はコーヒーを再び注ぎに行くことはせずに、座り心地の良いとは言えない椅子に座り直す。 「んっ」 「どした? てか全然減ってないじゃんw飽きた?」 「んー。ちょっと炭酸が……あと、甘くて」 「……そ」 困ったように笑う烏丸に、俺は強いて声に抑揚をつけないように返した。内心のちょっとした感慨を悟られたくなかった。  味、分かるんだ。メロンソーダの味。 「……まあ、大丈夫、だよ、多分。boccoさんには、お前がしゃべれないことは言ってあるし」 「……ん」 ただでさえ表情の乏しい烏丸がまたメロンソーダに向き合って俯いて、やりとりは宙に浮く。  ぴこん。  コーヒーカップの脇に伏せていたスマホが通知音を鳴らす。 「お。boccoさん、店着いたって」 メロンソーダで喉が鳴る。俺も、乾いた喉に唾を飲み込み、ファミレスの入り口のガラス戸を振り返る。  艶のあるおかっぱ状の髪に、白いTシャツ姿の青年(?)が店員に案内されかけ、待ち合わせです、とそれを制している。さっきステージの上で着ていたTシャツとは微妙に形が違うが、間違いない。あれがboccoさんだ。  俺たちはboccoさんの顔を知っているが、boccoさんは俺たちの顔を知らない。俺はちょっと身を乗り出し、きょろきょろと店内を見回すその人に手を振る。ばちっ、と、目が合った一瞬後に安堵したようにふにゃあっと笑ったその笑顔の、さっきのステージの上とのギャップにドキッとしたような、拍子抜けしたような。  歩いてくるその姿は、ステージで見た時は線が細いからあまり気付かなかったけど、割と背が高かった。子供のようにコップは両手で押さえたまま、おどおどとメロンソーダから顔をあげていた烏丸は、俺より1.8秒くらい遅れてよたよたと立ち上がった。 「Asです……と、こっちはSo」 俺が軽く掌で示すと、烏丸はぺこっ、とお辞儀だけした。その仕草に向けられたboccoさんの視線にどんな感情が乗せられていたのかは俺には分からなかった。 「初めまして。boccoです」 boccoさんが加わり、再び席に着く俺たち。烏丸の隣、俺の正面に陣取ったboccoさんをそれとなく観察する。そうだろうとは思っていたが、彼は俺たちより少し年上……まあ20代前半といったところだろう。 「若いんだろうと思ってたけど、二人とも高校生……だよね?」 俺の思考を読んだのかと思うようなタイミングで話を振られ、思わず軽い挙動不審になる。 「あ、ハイ! 俺ら、おんなじ高校で……」 「あれっ、じゃあリアルの知り合いだったの?」 「あー……そうというか、そうじゃないというか……」 考えてみれば奇妙な俺たちの出会いに、俺が説明しかねていると、コツコツ、とテーブルを叩く控えめな音が聞こえて、俺もboccoさんもその白く小さな手元に振り向く。 『最初は俺が、Asのファンだったんです』 差し出された画面で、彼は語る。boccoさんが文面を読んだのを認めると、何かに微笑むような不思議な表情を浮かべて、続きを打ち込む。 『でも最初は俺も、彼がAsだって知らずに近付いたんです。彼はAsじゃない時も、普通に学校の有名人で、すごい人なのに、俺みたいな奴のこと、 』 そこで指は止まった。 「Asくんが君に歌を持たせてくれたんだね。いい相手に出会ったね」 空白の数行を満たすboccoさんの言葉は、陽だまりの暖かさを持っていた。 『はい』 唇の動きだけで発した、声にならない声。  ……何だよそれ。俺がどんな表情してていいか、わかんないじゃん。 「僕もね」 語り始めたboccoさんの声は、歌ではないのに心地良い緊張感をもって空気に響いた。 「ネットで好きに歌ってるだけだし、ああいうリアルの場で歌う必要もないかな、と思ってたんだけど。でもライブに出るようになって、生身の人間を前に歌ってみて。何ていうのかな。あ、僕今、生きてる、って思ったんだよね」 からん。氷のぶつかる音。 「僕は、歌は世界を変えられる、って信じてる。僕は今、数センチ、数ミリかもしれないけど、確かに世界を動かしてるって。その実感が欲しいから、ライブを続けてるのかもしれない」 ふにゃあっ。凛とした声に似合わない、僅かに首を傾げた頼りない笑顔が、俺たちに向けられた。  とりあえず、僕や仲間のライブの手伝いから始めてみなよ、あまりしゃべらなくてもできる仕事を回してあげることもできるし、ステージに立つ気になったら言ってよ、という話になってその日は解散になった。 「あの、boccoさん。今日は誘ってくれて、ありがとうございました」 「僕、君たちの才能は本物だと思ってるんだよ」 立ち上がりながらboccoさんが言う。 「だけど今まで意地でも顔を出さずにやってきた。それ相応の、訳アリなんでしょう、君たち」 「え?」 その去り際の、ほんのちょっと歪んだふにゃふにゃの笑顔が、俺はその後しばらく忘れられなかった。 「だって君たち、どっか生きづらそうにしてるんだもん」
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