piece.1

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 息するように嘘を吐く、とは言わないけど、俺は少なくとも正直者ではない。  昼休みにヤマダにあんなことを言ったのも本心ではなく、おうおう、お前らその他大勢と違って俺は責任ある立場なんだよ、感謝したまえ、くらいには思っているし、Asのことを聞かれた時だって、あの誤魔化し方はあんまりだったと自分でも思う。  俺は所詮、後ろ暗いところのない綺麗な人間になんてなれないんだよ。  薄暗い自室でPCを開く。うっすらと聞こえる、階下で両親が食後の茶を飲みつつ談笑する声を遮るようにイヤホンを耳に押し込む。両親は俺が俺の部屋で何をしているかなんて知る由もない。知ったら卒倒するかもね。なぜって俺が今やっていることは確実に、俺が道に迷わずに歩くために敷かれたレールを、どう見ても踏み外しているから。  さあ編集作業だ。音声ファイルのタイトルは「新曲(仮)」。ああ、そういえばまだ曲名を決めていなかった。考えなきゃな……でもどんなのがいいか、今はちょっとまだ、分からないや。  最近じゃ新曲をアップすれば、すぐに何かしらの反応をもらえる程度には、知名度も人気もそれなりのものになっていた。  ぴこん。傍らに置いていたスマホの画面が明るくなる。動画サイトの通知。 『いつも聴いてます! Asくんイケボすぎ、もう大好き!! これからもずっと応援してます♡』 ――なんだよ。笑わせんな。何が、Asを好きな人に初めてリアルで会ってうれしい、だ。  俺だって、俺の歌を聴いて、面と向かって、良いって、好きだって言ってくれる奴に、初めて会ったよ。  画面越しの、どこか現実感のなかった人とのつながりが、あのもやしと出会ったせいで、急にリアルな形を持った。  はあ……どうするかな、これから…… 。  頬杖の溜息は、俺自身の耳に届くこともなく消えていった。  移動教室のために廊下を歩いていて、またあのもやしを見かけた。  あいつの姿は、2年3組の教室の廊下に面した窓から覗いていた。 (ふうん、あいつ3組だったか) 想像通りといえば想像通りだけど、奴は休み時間だというのに誰と話すでもなく、自席に座ったまま俯いて、あの大仰なヘッドフォンで歌を聴いている。親しい者がいるふうでもないが、かといってクラスの皆から虐げられているわけではなさそうだった。クラスメイトの一人が、「烏丸(からすま)、こないだのあれなんだけど……」と呼び掛けて奴の肩をたたくと、奴は昨日と同じようにヘッドフォンを首にかけ、愛想のいい笑顔すら浮かべて、何かを打ち込んだ画面をそいつに見せた。 (烏丸……っていうのか、あいつ) 俺はそういえばこいつの名前すら知らなかったことを思い出す。 (普段からこうやって、会話は画面使った筆談なんだな) 3組の面々は、「口の利けないクラスメイト」という存在に対して、なかなかにちゃんと理解があるらしい。 (……って、俺が心配することでもないし) 一瞬頭に過ったものを振り払い、見るともなくその様子を眺めていると、ふと廊下の方に視線を移した烏丸が、俺の姿を認めたようだった。烏丸は、こともあろうに――窓の外の俺に小さく手を振ってきたのだ。はにかんだようなニコッという笑顔付きで。  まあ、こいつはしゃべれないんだから、他の奴らみたいに「おお~い天ヶ瀬!」なんて教室の中から気軽に叫ぶとか、そういうことはできないわけだけど。  ……だからってなんだよ、俺はお前の友達でも何でもないだろうが。 「天ヶ瀬、あいつ友達?」 隣を歩いていた7組のクラスメイトに声を掛けられ、俺は我に返る。 「いや……そういうわけじゃないけど……てかむしろ、わけのわかんない奴だよ……」 頭を抱えかける俺を、クラスメイトは不審そうに見ている。  あの裏門のベンチは烏丸の指定席らしく、昼休みの「校地美化」の度に俺たちはなんとなく言葉を交わすようになった。って言っても、あいつは声を発しないから画面越しの筆談だけど。As つながりで勝手に仲間意識を持たれてるみたいだけど、俺としても本来なら誰にも侵されない他人の隠れ家的場所を侵犯した後ろめたさがあるから、彼を拒否することもできなかった。それに、行けばあいつは必ずいるし! 無視するわけにも、いかないじゃん……  何度も繰り返すつもりはないけど別に俺たちは友達じゃないし、話すのは昼休みのほんのいっとき。ただそれだけ。だから毎日のように顔を合わせるようになったからといってお互いのことはほとんど何も知らないままだし、あいつは俺の正体という最大の爆弾にも露も思い当たらず、俺と音楽の話ばかりする。罪悪感はないではないが、逆にこいつの夢を壊すのも忍びなかった。だから、別に知ってもらいたくはないと思った。  かっこわるいけど、今、目の前にいる一人の人間が、間違いなく俺の歌を聴いて心動かされているということが、単純にうれしかった。烏丸はAsの歌を本当に「よく聴いていた」。ここに敢えて2拍のタメを作ったとか、この歌詞には敢えてこっちの言い回しを選んだとか、1番と2番で裏声に切り替えるタイミングをわざと変えたとか。そういう、俺が意図してやっていることが、聴いている者にちゃんと伝わっていると分かることは、心に小さな灯をともしてくれるようだった。大袈裟かもしれないけど、こういうのが、感動の共有、なのかもしれないな、と思う。  俺の歌がなければこいつは今頃……などと言うほど思い上がってはいない。でも、少なからず生きづらさを抱えていそうなこいつは、あの時俺に、俺の歌だけが、自分を孤独から救ってくれると言ったのだ。全米チャートのヒット曲みたいに、どでかいメッセージを歌い上げて世界を変える、時代を動かす、なんて、そんなことはできなくても、俺はこうして、少なくとも今俺の目の前にいる一人の人間の人生に一瞬でも、1ミリでも、影響を与えたのだ。  今まで深く考えたことがなかった、というか、ほとんど、与えられたレールに抗うためだけに音楽をやってきたけど、音楽にできることが、歌う意味が、やっと分かった気がする――。  もう一つ、分かったことがある。烏丸は意外とよく笑う。彼の言葉を伝えるものは画面上の文字しかないが、Asの歌を語る時の奴はちょっといきいきしているように映った。単純に、俺といる時は、好きな物の話をしているから、というだけかもしれない。でも。烏丸が俺に見せる笑顔は、こいつが教室でクラスの奴に見せていたものとは、質の違うものだって思うのは、やっぱり俺の、学校の隅の寂れた空間で、10分そこらの積み重ねの関係でしかない俺の、思い上がりだろうか。
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