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――翌日の昼休み、「校地美化」にやって来た天ヶ瀬くんは、手に持ったスマホの画面を俺の目の前に突き付けてきた。
――「えっ……と?」
――「昨日の歌のデータなら、PCからスマホに移してきた。今から動画、投稿するぞ」
――「え」
――この人はまた、昨日の今日で編集を終えてきたというのか。医学部進学科の課題は、俺たち普通科の比じゃないと聞くのに、この人は寝ているんだろうか、という余計なお世話が頭を過る。
――(まあ、それを感じさせないのが、さすがはエリート、生徒会長って感じだけど)
――「昨日の歌、1日で編集、したんだね」
――「……そりゃ、1日だって早く、お前の歌、世界に届けたかったからさ」
――「……世界って、そんな、大袈裟な……」
――「大袈裟じゃない!」
――天ヶ瀬くんは叫ぶように言って、俺のいるベンチの背もたれにものすごい勢いで手をつく。瞬間、俺の視界が天ヶ瀬くんで埋まる。
―― ……おお。これってもしかしなくとも……壁ドン、的な状況……?
―― ……なんて、おちゃらける余裕は当然俺にはなく。俺が天ヶ瀬くんを見上げてただただ固まっている様を見て、天ヶ瀬くんはぱっと俺から身を離す。
――「……ご、ごめん」
――「……あ、いや」
―― ……一瞬気まずい空気が流れる。たぶん俺は不器用と評されるタイプだと思うけど、この人もたいがいだ。いつでも完璧な天ヶ瀬生徒会長、というイメージからだけでは絶対に想像できない一面だ。
――どんなに穴がない人に見えても。どんなに冷たくて無感情な人に見えても。どんな人間も、本当はとても人間くさい、のだろう。何が本当か、なんて分からないけれど。
――俺は足元に放り出された竹ぼうきをちょっと見やる。
――「……でも、なんで、わざわざ今……?」
――「あー、なんていうか、その、見届けてほしかったから?お前にも。それに、お前からしたら俺は、いまだ何やら怪しい男、だろうし。お前のこと、アブナイ商売とかには使いませんよーってとこ、一応見せないとなっ」
――「そんなの、俺はとっくに……」
―― ……とっくに、何だというのだろう。紙や画面に書くために、一旦整理する僅かな間もなく、なまじ思ったことをダイレクトに発せてしまうことは、自分の声で正確に何かを伝えることは、すごく難しい。
――そういえば聞いていなかった。
――「あの、この曲のタイトル、って……」
――天ヶ瀬くんはほんのちょっとだけ目をまるく見張って、ほんの一瞬だけこちらと目を合わせると、まだほとんど真っ白な画面に何かを打ち込んでいく。その一文字一文字を、息を殺すようにして静かに目で追った。
――『僕らが歌を歌うために/So As』
――その瞬間、俺は殺していた息を密かに飲み込んだ。 ……そうか。ここで全部つながった。あの歌詞のあの言葉。俺が歌って、Asが歌って。二人で歌った、言葉の意味。
――俺の感慨には気づかないフリか。天ヶ瀬くんは画面の上に目を伏せている。まつ毛が作るその影を、美しくも、少し寂しげにも思った。
――「……それじゃ、いくぞ」
――天ヶ瀬くんの長くて骨ばった指が、いやにぴこぴこと光る“投稿”ボタンに置かれる。俺が小さく頷いたのを見て、そのボタンは押された。思わずほおっと息を吐いた俺の隣で、天ヶ瀬くんがははっと笑う。
―― ……うわ、すご。俺の声が、歌が、今本当に電波に乗ってしまった。
――「ほら烏丸、最初の再生きたぞ」
――「え⁉ もう⁉」
――「はは、お前まじで、いちいち反応おもしろ」
――笑顔が陽の光にあたっている。やっぱり綺麗だな、と屈託ない横顔を見て思う。やっぱりまだなんだか夢を見ているようで、色々心許ない。だって、全部がこんなに贅沢で、いいのかなって、思っちゃうよ……
――「そういえばさ」
――「ひゃあっ⁉ は、はい!」
――なんだか盗み見ていたようになってしまって、声を掛けられて不自然な反応をしてしまった。
――「? まあいいや。よく考えたらお前は完成版まだ聴いてないよな。俺らも動画、今…… 」
――「ああっ! い、いいですいいです! 俺は、あとで、聴きますからっ」
――「え。そんな全力拒否wま、それならそれでいいけど……って、わっ、俺そろそろ行かなきゃ」
――天ヶ瀬くんはちらりと腕時計を見ると、いそいそと竹ぼうきを拾い上げた。
――「あのさ、烏丸」
――「? はい」
――「ありがとな、ほんと」
――「――!」
――天ヶ瀬くんは、呆気に取られている俺にさっさと背を向けてしまった。恐らく皆の目がある時にはしないであろう、ダルそうな足取りで遠ざかる背中。それを見送りながら俺にできることと言えば、熱くなった頬を両手で挟んで必死に冷ますことだけだった。
――(まさか本人の隣で動画聴くなんて、気恥ずかし過ぎてできるわけないです……!)
――天ヶ瀬くんの背中が見えなくなった頃、誰が見てるわけでもないのに俺はなぜかそーっとスマホを取り出し、動画サイトを開く。検索窓に「僕らが歌を歌うために」と入れる。
――(わ。動画、本当にある……)
――いや当然なんだけど。この僅かな時間で、再生回数は何十回、100回とそら恐ろしいようなペースで増えている。俺は震える指で、再生ボタンを押した。
―― ……すごい。
――これ、本当に俺が……? それに、ここからの、二人になるところのハーモニー、バランス……彼はこれを、ただ一度俺の声を聞いただけで、ここまで見越していたというのか――
――なら、ずっと見ていたいと思った。この男の才能が、いったいどこまでいけるのかを。俺が、誰より近くで、そうすることが許されているというのなら。これからだってまだまだ俺は、その権利を手放したくはない、絶対に――。
――その時鳴った予鈴の音は、どこか関係ないほど遠くのものに聞こえた。
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