piece.2

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――翌日の昼休み、「校地美化」にやって来た天ヶ瀬くんは、手に持ったスマホの画面を俺の目の前に突き付けてきた。 ――「えっ……と?」 ――「昨日の歌のデータなら、PCからスマホに移してきた。今から動画、投稿するぞ」 ――「え」 ――この人はまた、昨日の今日で編集を終えてきたというのか。医学部進学科の課題は、俺たち普通科の比じゃないと聞くのに、この人は寝ているんだろうか、という余計なお世話が頭を過る。 ――(まあ、それを感じさせないのが、さすがはエリート、生徒会長って感じだけど) ――「昨日の歌、1日で編集、したんだね」 ――「……そりゃ、1日だって早く、お前の歌、世界に届けたかったからさ」 ――「……世界って、そんな、大袈裟な……」 ――「大袈裟じゃない!」 ――天ヶ瀬くんは叫ぶように言って、俺のいるベンチの背もたれにものすごい勢いで手をつく。瞬間、俺の視界が天ヶ瀬くんで埋まる。 ―― ……おお。これってもしかしなくとも……壁ドン、的な状況……? ―― ……なんて、おちゃらける余裕は当然俺にはなく。俺が天ヶ瀬くんを見上げてただただ固まっている様を見て、天ヶ瀬くんはぱっと俺から身を離す。 ――「……ご、ごめん」 ――「……あ、いや」 ―― ……一瞬気まずい空気が流れる。たぶん俺は不器用と評されるタイプだと思うけど、この人もたいがいだ。いつでも完璧な天ヶ瀬生徒会長、というイメージからだけでは絶対に想像できない一面だ。 ――どんなに穴がない人に見えても。どんなに冷たくて無感情な人に見えても。どんな人間も、本当はとても人間くさい、のだろう。何が本当か、なんて分からないけれど。 ――俺は足元に放り出された竹ぼうきをちょっと見やる。 ――「……でも、なんで、わざわざ今……?」 ――「あー、なんていうか、その、見届けてほしかったから?お前にも。それに、お前からしたら俺は、いまだ何やら怪しい男、だろうし。お前のこと、アブナイ商売とかには使いませんよーってとこ、一応見せないとなっ」 ――「そんなの、俺はとっくに……」 ―― ……とっくに、何だというのだろう。紙や画面に書くために、一旦整理する僅かな間もなく、なまじ思ったことをダイレクトに発せてしまうことは、自分の声で正確に何かを伝えることは、すごく難しい。 ――そういえば聞いていなかった。 ――「あの、この曲のタイトル、って……」 ――天ヶ瀬くんはほんのちょっとだけ目をまるく見張って、ほんの一瞬だけこちらと目を合わせると、まだほとんど真っ白な画面に何かを打ち込んでいく。その一文字一文字を、息を殺すようにして静かに目で追った。 ――『僕らが歌を歌うために/So As(ソー アズ)』 ――その瞬間、俺は殺していた息を密かに飲み込んだ。 ……そうか。ここで全部つながった。あの歌詞のあの言葉。俺が歌って、Asが歌って。二人で歌った、言葉の意味。 ――俺の感慨には気づかないフリか。天ヶ瀬くんは画面の上に目を伏せている。まつ毛が作るその影を、美しくも、少し寂しげにも思った。 ――「……それじゃ、いくぞ」 ――天ヶ瀬くんの長くて骨ばった指が、いやにぴこぴこと光る“投稿”ボタンに置かれる。俺が小さく頷いたのを見て、そのボタンは押された。思わずほおっと息を吐いた俺の隣で、天ヶ瀬くんがははっと笑う。 ―― ……うわ、すご。俺の声が、歌が、今本当に電波に乗ってしまった。 ――「ほら烏丸、最初の再生きたぞ」 ――「え⁉ もう⁉」 ――「はは、お前まじで、いちいち反応おもしろ」 ――笑顔が陽の光にあたっている。やっぱり綺麗だな、と屈託ない横顔を見て思う。やっぱりまだなんだか夢を見ているようで、色々心許ない。だって、全部がこんなに贅沢で、いいのかなって、思っちゃうよ…… ――「そういえばさ」 ――「ひゃあっ⁉ は、はい!」 ――なんだか盗み見ていたようになってしまって、声を掛けられて不自然な反応をしてしまった。 ――「? まあいいや。よく考えたらお前は完成版まだ聴いてないよな。俺らも動画、今…… 」 ――「ああっ! い、いいですいいです! 俺は、あとで、聴きますからっ」 ――「え。そんな全力拒否wま、それならそれでいいけど……って、わっ、俺そろそろ行かなきゃ」 ――天ヶ瀬くんはちらりと腕時計を見ると、いそいそと竹ぼうきを拾い上げた。 ――「あのさ、烏丸」 ――「? はい」 ――「ありがとな、ほんと」 ――「――!」 ――天ヶ瀬くんは、呆気に取られている俺にさっさと背を向けてしまった。恐らく皆の目がある時にはしないであろう、ダルそうな足取りで遠ざかる背中。それを見送りながら俺にできることと言えば、熱くなった頬を両手で挟んで必死に冷ますことだけだった。 ――(まさか本人の隣で動画聴くなんて、気恥ずかし過ぎてできるわけないです……!) ――天ヶ瀬くんの背中が見えなくなった頃、誰が見てるわけでもないのに俺はなぜかそーっとスマホを取り出し、動画サイトを開く。検索窓に「僕らが歌を歌うために」と入れる。 ――(わ。動画、本当にある……) ――いや当然なんだけど。この僅かな時間で、再生回数は何十回、100回とそら恐ろしいようなペースで増えている。俺は震える指で、再生ボタンを押した。 ―― ……すごい。 ――これ、本当に俺が……? それに、ここからの、二人になるところのハーモニー、バランス……彼はこれを、ただ一度俺の声を聞いただけで、ここまで見越していたというのか―― ――なら、ずっと見ていたいと思った。この男の才能が、いったいどこまでいけるのかを。俺が、誰より近くで、そうすることが許されているというのなら。これからだってまだまだ俺は、その権利を手放したくはない、絶対に――。 ――その時鳴った予鈴の音は、どこか関係ないほど遠くのものに聞こえた。
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