piece.3

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 烏丸は多分、しゃべれない分耳が良い。 「……ごめん。今のところ、ずれてた気がするから、もう一回録ってもいい? 」 「……あ、ああ……そだな」 俺が指摘するより前に、納得いかないと申し出てくることはしばしばだった。正直俺も、こいつがここまで筋がいいとは驚いていた。  烏丸はこれまでの人生でずっと、人の話にじっと耳を傾ける側だったのだろう。それが、どこまで関係あるのかは分からないけれど、だから彼には、声色や話すスピードなんかから、人の気持ちを見透かすことができるのかもしれない―― 「……天ヶ瀬くん、何かあった?」 「なんで。何もないよ」 「でも……声がちょっと、いつもと違う、気がする……大丈夫?」 だからいつか、こいつに“俺の気持ち”がばれてしまうんじゃないかって、怖かった……いや、これに関しては俺にとってもまだ、不確定要素なんだけど。 「何でもないから。今日はこのくらいにしておくか。防音練習室の予約時間も、もうすぐ終わるし。俺の分は、後で一人で録っとくから」 「あ、もうそんな時間なんだ。うん。お疲れさまでした」 烏丸はちょっと頭を下げる仕草を見せると、後片付けの作業を手伝い出す。揺れる後頭部の髪を、俺はなんとなく見下ろしている。が、いざ少し視線を上げた烏丸と目が合いかけると、反射的に逸らしてしまう。  やんなる。何を、意識してるんだよ。  外に出ると辺りはもうすっかり暗い。日が短くなったな、と思うと同時に、冬場特有の澄んだ空気に空の星は鮮明に見え、冬の到来を嫌でも感じさせられる。 「ここまででいいから。悪いな、機材半分持たせて。大して大きい物でもないから、別によかったのに」 二人の方向が分かれる交差点で足を止め、俺は烏丸に手を差し出す。 「ううん。じゃあはい、これ」 ぽつんと立つ街灯に弱々しく照らされる中、俺はふと、烏丸が手渡してくる荷物を受け取る動きを止めた。 「……天ヶ瀬くん?」 「……お前さ」 ちょっと首を傾げながら烏丸がこちらを見上げてくる。薄明りの中で、その姿は一層儚げである。変な話だが、こいつは顔はかわいいと思う。肌、瞳、髪……すべての色素は薄くて、初冬の空気に冷たく光るそれらは、この時間の暗さに映えていた。 「だいぶ、しゃべるのもすらすらいくようになったよな。初めはお前と会話してると陽が暮れんじゃねえかってくらい、ぽつぽつゆっくりとしかしゃべれなかったのによ……お兄さんは成長がうれしいよ、うんうん」 最後の方は照れ隠しになる。茶化した口調の延長線上で、さすがに厚かましいかと思いながらも、おずおずとその頭に掌を載せる。ふわ、と、さらさらの細い髪が指に触れ、子供のような体温に少しぬくもりを感じる。烏丸は俺を見上げたまま、丸い眼をちょっと見開いて、頬を薄ピンクに染めている。透き通った肌には、それがとても分かりやすくて、こちらも一瞬、どぎまぎする。  もし、こいつが女の子だったら。  時々、そんなことを考えるようになっていた。 「……書けねえ」 そう呟いて俺は、机に突っ伏した。  曲が書けない。詞が書けない。 ……いや、正確に言うと、今は何を書いても、その歌はあいつへと向かってしまいそうで、筆が進まないのであった。  卓上スタンドの白熱球に頭頂部を焼かれるような感覚になって、俺はむくりと顔を上げると、もう一度画面とにらめっこを始める。  あいつが女の子だったらって、どういう意味だろう、と自問する。  違うな。あいつが女の子じゃなくても、俺はきっと――  この気持ちは、あんまり正しいものじゃないのかもしれないな、とぼんやり思う。俺たちが繋がったのは、音楽のためだ。それ以外の関係なんて、望んでいなかったはずじゃないか。そんな迷いに満ちた感情を、So Asに、俺たちの歌に、持ち込んでいいのか? 「うう…… 」 言葉にならないうめき声と共に再び突っ伏しかけたところへ、階下から声がする。 「梓ー、夕ご飯ですよ。降りてらっしゃい」 母だ。ドアの隙間から流れこんでくるこの匂いは―― 「今日はシチューよ」 湯気の向こうで、母が満面の笑みを浮かべている。俺もにこにこと、やったあ、という顔を、“作る” 。  シチュー。それが俺の好物ということに、 “なっていた” 。  自分が本当にシチューが好きなのか、それはいまだに分からなかった。俺の好きな食べ物って、何なんだろう。――考えてみると、分からないや。  要らぬことに頭を使ってしまい、俺はやや虚ろになった目で食卓の上の冬の風物詩を見つめる。椅子を引くと、同時にガチャ、と玄関のドアが開く音がする。 「あ、父さん、お帰り」 「ただいま。お、今日はシチューか。よかったな梓」 タイミングよく帰宅した父と、母と、俺。3人で食卓を囲む。  ああ。考えてみたら、何と気味の悪い光景なのだろう。  仕事があって普段より少し早く登校した俺は、生徒会室にいた。誰もいない部屋には、紙を繰る音すら響き渡っている。冬の朝の陽射しは柔らかい。窓からは、登校してくる生徒たちの頭が小さく見える。俺はなんとなく、その人の波を見下ろしていた。  と、その中に烏丸の姿を見つける。あのいつものヘッドフォンをしている。 (やっぱりな) と俺が心の中で呟いたところで、彼はヘッドフォンを外した。その視線の先で、誰かが片手を挙げている。烏丸は控えめな笑顔を浮かべながらぺこっと頭を下げて彼に近付く。 (3組の奴かな) 何か話しかけられたので、烏丸はいそいそといつもの画面に何か打ってそいつに見せている。  あいつの言動には、悪意も計算も一つもないんだろうな、と急に考える。  彼は級友に人当たりよく接しているけれど、でも、俺だけなんだよ。あいつの声にふれて、誰にも見つけられていない、その声の温度を、色を、湿度を、質量を、見出すことが許されるのは。  烏丸と3組の人の姿が見えなくなったところで、俺も生徒会室を後にした。  気にならないわけがない。意識するなという方が、無理だ。  で、またいつも通りの昼が来る。いつものベンチの上で、烏丸はいつも通りの笑顔で俺を迎える。  ――なーんか、いつ見てもケロっとしてるんだよなあ、こいつ。なんとなく、張り合いがないというか。  果たしてこいつは、毎日毎日、俺のことを“待って”いるのだろうか。いつの間にか、こんなところに押しかけるのは俺の身勝手になっていないだろうか。  ――なんでこんな、つまらないことばかり考えてしまう。 「お前ってさ。多分、本当にすげえ良い奴なんだろうな」 この気持ちが正しいか間違ってるかなんて、もうどうでもいいんだ。 「あ、まがせ、くん……?」 本当は自分でも気づいていたはずなのに。 「俺はお前にとっての、特別じゃないのかよ⁉ 」 もう、抑えられないところまで来ていたということに。 「天ヶ瀬、くん……? 一体、何言って…… 」 「だからあ、お前のことが好きだって言ってるんだよおお! 」 「は…… 」 あーもうさいあく。こんな、勢いで言ってしまった、みたいな。何これ、すげえかっこ悪い。 「俺だって悔しいよ。何だよこれ。俺、医学部志望の生徒会長、学校一の有名人だよ。その裏の顔は、ネットでは人気をものにしてる歌手だよ。そんな俺が、なんでお前みたいなどうしようもない奴のことをさ……なんで……なんで」 震える声を引き取るものは何もなかった。烏丸は俯いてじっと黙っていたからだ。  勘弁してくれよ。何か言ってくれよ。ていうか…… 「なあおい。ちょっとは引いたら? お前今男に告白されたんだよ? なんで引かないんだよ」 やっと烏丸が顔を上げて、力なくふわっと笑う。 「引かないよ。わかるでしょ? 俺は最初から、普通じゃ、ないし」 「え…… 」 なんとなく視線のやり場に困って、自分の手元なんかを見つめてみる。 「 ……普通って何なんだろうな」 俺はわざと能天気な声を出して、よっこいしょ、と、烏丸の隣に腰を下ろす。  普通か、普通じゃないかで言ったら、生まれてから今までの俺の人生も――いや、何なら生まれる前から――普通とは言えないのだろうな、と思う。 「寧ろうれしいよ。ありがとう」 「は……」 は? お前、今何て言った?  自分の顔がさーっと紅潮するのが分かる。俺今多分、他の奴には絶対見せられない顔してる。 「そういう顔」 「えっ?」 「天ヶ瀬くんのこと、完全無欠な人のように思ってた。でも、そういう人間臭い表情もするし、24時間シャンとしてるわけじゃなくて、ダルそうに歩いてきてベラベラ駄弁っていくし、ちゃんと人らしく悩むこともあるし、誰にも言えない隠し事も抱えてる。だけど、そういう弱いところは、たぶん他の人には見せてないんだよね? 俺の前では、天ヶ瀬くんの素を出してくれてるんだって。だから、俺も、もしかして、天ヶ瀬くんの特別になれてるんじゃないかなって、そうだったらいいなって、思ってたから。だからうれしかった」 「 ……俺の、素ねえ…… 」 そんなもの、本当に俺にもあるのかね。……まあいいや、今はそんなこと。 「は~~ 、なんっか気ぃ抜けた~ 。お前に何とも思われてなかったらどうしようって思った」 「え」 「だってお前、俺がキスしかけても全っ然動じないんだもん!」 「え、何の話……え! もしかしてあの時のこと⁉ あれ、キス、だったの⁉」 おいおいおい。気づいてなかったのかよ。烏丸は今更おろおろしている。まじか。 「お前ってやっぱどうしようもなくとろいな」 子供の悪戯のような空気感で。俺は烏丸の頭を掴むようにしてこちらを向かせると、今度こそ、未遂じゃなく本当のキスをその薄い唇に落とした。その時烏丸の頬を流れた一筋の温かいものが俺の頬にも触れたが、それは俺がやや図に乗って奴の下唇に歯を立てて、互いの口の中に血の味が広がったことへの抗議の涙ではなかった。だって烏丸は、ふふふ、と妙な笑い声を、俺の唇の上で小さくたてていたからだ。 あーあ。喜んでんじゃねえよ。好きだからって、別に優しくしてやるつもりねえ。
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