ヒマワリの咲く家

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 幼いころ、毎年夏になると、私は両親に連れられて祖母の家に遊びに行きました。  祖母の家は、海の近くの町にあり、私が住む町からは南に向かって何時間も車を走らせる必要がありました。  祖母の家が建つ海沿いの町は、古くから多くの人が住むにぎやかなところでしたが、祖母の家は、町の中心から少し離れた内陸の静かな住宅街にありました。  海を見下ろすことができる高台へと向かうゆるやかな坂を挟んで、東西に階段状に並んでいたのは、祖母の家も含め、どれも南に広い庭を構えた大きな家々でした。坂に面した家は、どれも坂に向かって玄関を構えていて、家と家の間には横道が走っているため、南北が開けてどの家も日当たりがよく、気持ちがいい空間を確保していました。  庭は、隣家に面した東側は素っ気ないブロック塀でしたが、正面に面した南と西はきれいに刈り込まれた垣根が回され、その内側の花壇にはびっしりとヒマワリが並んで咲いていました。ヒマワリの根元にも鮮やかなオレンジ色の花が咲いていましたが、なんという名前なのかそのころは知りませんでした。あとになって、あれはマリーゴールドだったかもしれないと思いました。  祖母の家は二階建てで、二階の窓から見渡すと、低い家が続く街並みの向こうに、かすかに海の気配を感じることができました。私の家は内陸のごみごみした町中にあったので、私は、この祖母の家に遊びに来る夏が楽しみでなりませんでした。  私が、この家に遊びに行くのを待ち望んだ理由は、もう一つありました。祖母は、父の兄である伯父の家族と一緒に暮らしていました。家族は祖母と伯父夫婦、そして私の従姉にあたる梨花ちゃんの四人で、私は梨花ちゃんに会えることを楽しみにしていたのです。  梨花ちゃんは、私より五つ年上で、私が物心ついた時にはもう小学生だったので、年に一度田舎から訪ねてくる幼い従弟を大変可愛がって遊んでくれました。  梨花ちゃんは、面長で鼻筋がすっと通っていて、眼がくりんと大きく、幼い私の目にもとてもかわいい、というより美人だと感じられました。毎年会うのが夏だったせいか、梨花ちゃんのきれいな顔も、Tシャツとスカートから伸びた細い手足も、いつも小麦色に焼けていました。口元に白い歯を覗かせて笑った顔が、とても可愛かったことを今でもよく思い出します。私は、祖母の家に遊びに行った三四日の間、片時も梨花ちゃんのそばを離れず、その背中を追いかけていました。  その年は、祖母の家を訪れた翌日に、梨花ちゃんの家族と連れ立って近くの海水浴場に出かけました。母たちが朝早くからお弁当の用意をして、二家族が伯父の家のミニバンに乗り込み出発します。私と梨花ちゃんは一番後ろの席に並んで座りました。車で15分ほど走ると、もう目の前には海岸が広がり、あまり大きくない海水浴場に着くと、ビーチパラソルやレジャーテーブルや、お弁当や浮き輪をそれぞれ抱えて、砂浜に繰り出しました。  出発前にすでに水着に着替えていたので、私と梨花ちゃんは、砂浜に到着するとすぐに着ていたTシャツを脱ぎ捨て海に飛び込みましたが、あまり海に慣れていない私は、波が来ると大声をあげて浜に逃げ帰りました。梨花ちゃんはそんな私の手を握り、怖くないよと言って海に連れ戻しました。二人手をつないで波に向かってジャンプを繰り返し、時々タイミングを外して頭から水をかぶって大騒ぎする私を、梨花ちゃんは笑いながら宥めたり励ましたりしました。  次の日は海ではなく、庭先に子供用のプールを出して水を張り、そこに二人でちょこんと座って、水を掛け合って遊びました。遊び疲れると縁側に座って、庭のヒマワリを眺めながら祖母が買ってきたアイスクリームを食べ、食べ終わると風通しのいい座敷の畳に横になって昼寝をしました。寝転んで見上げる外の庭は、芝生の緑とマリーゴールドのオレンジ、ヒマワリの葉の緑と花の黄色が帯を成して縦に延び、風に揺れるヒマワリの向こうには、花々から湧き出したような白く輝く大きな入道雲が横に迫り出していました。それはとても幸せな景色でした。  夜には、庭で花火をして遊びました。赤や黄色の火花に歓声を上げる私たちを、親たちはお酒を飲みながら眺めていました。  そのころの記憶では、梨花ちゃんはマッチ棒のように痩せていて、髪も男の子より少しばかり長いくらいの短髪で、私は何の違和感もなく梨花ちゃんと一緒にお風呂に入り、一緒の布団で並んで眠りました。  この旅行の目的は、海水浴だけではなく、私が生まれる前に亡くなった祖父の墓参りのためでもありました。三日目は、海に行ったときと同じく家族全員で連れ立って、伯父の運転する車に乗って墓参りに出かけました。  ずいぶん長い時間、車に乗っていた記憶があります。いつの間にか町を離れて山あいの道に差し掛かっていました。道の両側に森が近づいてきて、昼間なのに薄暗く、なんだか心細くなって、私は梨花ちゃんの手を握りしめました。梨花ちゃんも同じ思いだったらしく、私の手を強く握り返しました。  たどり着いたのは、とっても立派な大きなお寺で、本堂の裏には鬱蒼と木が生い茂る山が迫っていました。空から一斉にセミの鳴く声が降り注いで、木陰にいるにもかかわらず汗が吹き出しました。墓地は本堂の正面を左に折れて少し歩いたところにありました。瓦の屋根を乗せた土壁の塀で仕切られていて、入り口になる塀の切れ目から覗く向こう側には、永遠に続くかと思えるほど遠くまで黒や灰色の墓石が並んでいました。  それを見た私はその場に立ち尽くして、お墓には行かないといって泣き出しました。幼い私にとって、お墓はお化けが出る恐ろしい場所でした。その塀の向こうに足を踏み入れたら最後、二度とこちらには帰れないという思いが私をとらえて離さず、親たちが何を言っても私は頑としてその場を動きませんでした。諦めた親たちが梨花ちゃんに私の面倒を見るように言いつけて墓参りに行ってしまうと、本堂と墓地の間の森の中で私たちは二人きりになってしまいました。  梨花ちゃんは、泣き続ける私を少し怖い顔で睨んでから、私の手を引いて本堂に向かって引き返しました。本堂の前まで戻ると、梨花ちゃんは私に向かて、本当はわたしも少し怖かったのと言って笑いました。  私たちは適当な日陰を探してしゃがみ込み、親たちが戻ってくるまで二人して、小石で地面に花やウサギや自動車の絵を描いて遊びました。  時折地面から顔をあげて見上げると、すぐ目の前に、一心に絵を描く梨花ちゃんの横顔がありました。頭にかぶった麦わら帽子が大きな影を作っていましたが、その網目を透かして明るい光が梨花ちゃんの鼻の頭と長いまつげの上に落ちて、神秘的に浮き上がらせていました。  その次の年に私は小学校に入学したので、梨花ちゃんは六年生になっていたはずです。  その年も、いつものように私の家族は海の近くの祖母の家に遊びに行きました。一年ぶりに訪れた祖母の家は以前と変わりなく、私は家に上がり込んで、梨花ちゃんの名を呼びながら玄関と居間を抜けて、庭に面した縁側に出ました。  庭もまた、一年前と同じようにきれいに刈り込まれた芝生が広がり、私の目の高さには大ぶりのヒマワリの花がびっしりと咲き並んでいて、その向こうには広い空と大きな入道雲が浮かんでいました。私はその鮮やかな色の対比に目を奪われ、思わず歓声を上げて立ち尽くしました。なので、背中からいきなり声をかけられたときは心臓が止まるかと思うほど驚きました。  振り返ると、そこには梨花ちゃんがニコニコ笑いながら、私に手を振っていました。私は名前を呼びながら梨花ちゃんに飛びつき、二人手を取ってぴょんぴょんと飛び跳ねました。梨花ちゃんは一年で急に背が伸びたようで、私より頭ふたつ分ほど背が高くなっていました。そして、髪も肩のあたりまで伸びていて、身体もほんの少し丸みを帯びたように見えましたが、真っ白な歯を覗かせて笑う日に焼けた顔は相変わらずきれいでした。  私の母は一年ぶりに見る姪の成長に驚き、きれいになったねと何度も口にしました。それが私には自分のことのようにうれしく感じられました。  その夜は、伯父一家と夕食を食べてから、翌日の海水浴の準備をして、子供は寝る時間になりました。私は梨花ちゃんに一緒にお風呂に入ろうと誘いましたが、なぜか断られてしまいました。仕方なく父と一緒にお風呂に入り風呂上がりに縁側で涼んでいると、後から一人でお風呂に入った梨花ちゃんがパジャマに着替えて、一緒に寝ようと私を誘ってくれました。  その夜は、二階にある梨花ちゃんの部屋に布団を敷いて、二人並んで眠りました。  翌日は、晴天で朝早くから気温が上がって、絶好の海水浴日和になりました。準備を終えて出かける前に、父が記念に写真を撮っておこうと言い出したので、私と梨花ちゃんは縁側から庭に出て、ヒマワリを背中にして並びました。ちょうど梨花ちゃんの背の高さとヒマワリの高さが重なって、梨花ちゃんの顔のところだけ花が隠れてしまいましたが、顔の両側に大輪の花が並んだので、とてもいい写真だと親たちは言い合いました。  それから、海へと向かい車を走らせ、30分後には私たちは海に飛び込んでいました。  私は去年とは違い、もう波は怖くなかったので、梨花ちゃんの手を引いて自分から波の頂上に飛び込む遊びを繰り返しました。梨花ちゃんも同じように歓声を上げて波にからだを預けていました。つないだ手をしっかり握りしめていれば、決して離れることはないと信じていたので、私は気持ちが大きくなりどんどん沖に向かって進もうとしました。  しかし、それ以上は行っちゃダメといって梨花ちゃんが止めたのが不満で、私はつないだ手をほどきました。その時、ふいに大きな波が背中に被さってきて、私はからだごと持ち上げられ波打ち際に押し戻されました。波にもまれて、からだがひっくり返り上下が分からなくなったまま、今度は引き波にさらわれて沖に向かって流されそうになりました。  恐怖に押しつぶされそうになりながら伸ばした手を誰かが強く握り、その場に押しとどめてくれなければ、私はそのまま沖に流されていたかもしれません。  私の手を握ってくれたのは梨花ちゃんでした。梨花ちゃんは私の手を引いて波打ち際まで引っ張って帰りましが、梨花ちゃん自身も怖くて震えているのがよくわかりました。もう大丈夫というところまで連れ戻ると、梨花ちゃんは泣きそうな顔で私を睨みつけましたが、それより早く、私は火が付いたように泣き出しました。  波打ち際で大泣きする子供に気が付いた親たちが慌てて駆け寄りましたが、私だけでなく梨花ちゃんも泣いていたので、その理由を聞き出すことができませんでした。海から上がり、タオルにくるまれてパラソルの日陰に並んで座らされましたが、気まずさから、私は口を開こうとしませんでした。訊かれるままに、梨花ちゃんが状況を説明し、理由を知った父が私を叱ったので、私はまた声を上げて泣きました。それにつられて梨花ちゃんも泣き出しました。  泣きながら、私は心の中で「ごめんなさい」と「ありがとう」を繰り返し叫んでいました。誰に向かってごめんなさいなのかはよくわかりませんでしたが、ありがとうは梨花ちゃんに言っていたことだけは確かでした。でも、それを口にすることができず、私はいつまでも泣き続けました。  母親が、ペットボトルのジュースを差し出してくれたので、私はそのふたを開けて、鼻をすすりながら一口飲みこみました。冷たい甘さが口に中に広がりほんの少し気持ちが落ち着くと、隣で梨花ちゃんが、やはり鼻をすすりながらジュースを飲んでいるのに気づきました。横目で梨花ちゃんを窺うと、それに気づいたのか、梨花ちゃんは私を睨んで「もう行っちゃだめだからね」と言いました。  私は黙ってうなずいて、またジュースを一口飲みました。  遅めのお弁当を食べ終わるころ、急に天気が崩れだしたので、私たちは急いで荷物をまとめて家に帰ることにしました。帰りの道中、隣に座った梨花ちゃんに、恐るおそる手を伸ばすと、梨花ちゃんはそっと私の手を握ってくれました。  家に帰りつくとほぼ同時に大雨になり、夜遅くまで降り続きました。私は去年の庭先のプールや花火のことを思い出し、同じような幸せな時間が過ごせないことを不満に思っていました。そのころの私は、人生に繰り返しが利かないことをまだ知らなかったのです。そして、過ぎたことを取り戻すことができないことも、自分も含め、人がいつまでも変わらずにいることができないことも知りませんでした。  翌朝は、昨日の雨が嘘のように晴れて、気のせいかほんの少し空が高くなったように見えました。朝から気温が高いのは変わりませんが、どこか秋めいた乾いた風が山のほうから吹き降ろしてきて、一抹のうら寂しさを感じさせました。  その日は、祖父のお墓参りの日でした。去年、私がお墓に行くのを嫌がったので、親たちは、今年は子どもを連れて行こうかどうか相談していました。それを聞いていた梨花ちゃんが、自分が一緒に留守番をしているから大丈夫だと言いました。  梨花ちゃんはもう六年生だったし、加えてとてもしっかりした子だったので、親たちもその申し出を受け入れました。梨花ちゃんのお母さんは、出がけにできるだけ早く帰るからねと言いましたが、梨花ちゃんは大丈夫だからゆっくりしてきてねと言って、両親たちと祖母を送り出しました。  留守番をすることになった私と梨花ちゃんは、昼前はゲームをしたり、漫画を読んだりしながら時間を潰しましたが、お昼を過ぎて蒸し暑さが我慢できなくなったので、庭にプールを出そうと決めて準備に取り掛かりました。  プールを納戸から引っ張り出し、ホースを引いて水を溜める間に、昨日海水浴から帰ってきて洗っておいた水着に着替えました。昨日は、そんなに気にしなかったのですが、今日改めて水着姿の梨花ちゃんを見ると、その姿は明らかに去年とは違い、華奢だった手足にしっかり肉がついて、ほんのりと胸も膨らんでいて、なぜか私は見てはいけないものを見てしまったような気まずさを覚えました。  太陽はちょうど頭の上に来ていて、家や私たちや、庭のヒマワリの影が極端に短くなっていました。水は、まだくるぶしの上あたりまでしか溜まっていませんでしたが、その冷たさが気持ちよくて、私たちはホースの先に付けたシャワーを空に向けて落ちてくる水しぶきに歓声を上げながら、プールの中で転げまわりました。  プールの底から見上げると、降り注ぐ水しぶきの向こうに青い空がまぶしくて、眼を細めるとほんの少し暗くなって、その視界の端に鮮やかな黄色い花が浮き上がりました。  頭をそちらに向けると、ヒマワリたちは揃って大きな花を私に向けていて、私は一瞬目が合ったと思いゾッとしました。  それは本当に、巨大な目玉、それもハエの複眼のような目玉が何十個も並んで、一斉に私を見つめているようでした。その時初めて、私はこの花を「怖い」と思いました。  そのことを教えようと思って隣を窺うと、梨花ちゃんは、私とは違うものを見つめていました。  その目に、明らかな怯えを見て取った私は、その視線の先を追ってもう一度ヒマワリのほうに向きなおりました。  一列に並んだ花の上に、二つの顔がありました。  男の人と女の人が、ヒマワリの花の向こうから私たちがいる庭をのぞき込んでいたのです。女の人は白い日傘をさし、男の人はカンカン帽をかぶっていましたが、傘や帽子がつくる陰の下でその顔は蒼白く浮き上がっていました。  二人とも、この世のものとは思えないくらい美しい顔で、まるで一対のひな人形のようでしたが、女の人はどこか、絵本で見た西洋のお妃さまのような意地悪さを漂わせ、男の人は、頬がこけて目つきが鋭く、オオカミのようなすさまじい雰囲気を秘めていました。二人は、梨花ちゃんを見つめながらにこにこと笑っていましたが、それは、獲物を追い詰めた獣が見せる余裕じみた、邪な喜びが漏れ出すような笑い方でした。  二人とも、首から下はヒマワリの花の向こうに隠れて見えませんでしたが、二人が醸し出す自信からは、みすぼらしい身なりを想像することができませんでした。  私は目を逸らすことができませんでした。恐ろしい反面、禁忌に向かう好奇心を抑えられず、気持ちだけが二人の姿に吸い寄せられて、歩み寄っていきました。だんだんその顔に近づいて行って、やがて目の前いっぱいに迫った時、女の人の、日傘の陰にあってもなお鮮やかに赤い唇が、こう囁きました。 「お嬢ちゃん、可愛いわね」  その瞬間、全身に鳥肌が立って、私は慌てて梨花ちゃんに振り返りました。 私が振り返るのと同時に、梨花ちゃんは飛び上がるように立ち上がり、プールを飛び出して、縁側から家の中に駆け込みました。  あっという間に梨花ちゃんが家の中に消えてしまうと、私は、思い出したようにまた二人のほうに振り返りました。  そこには、ヒマワリの花が揺れるだけで、誰もいませんでした。  夢を見たのかしら、と一瞬思いましたが。まだ鳥肌は全身を覆ったままでしたし、梨花ちゃんは家の中に駆け込んだまま、帰ってきません。急に、腰まで浸かった水の冷たさが思い出され、視線を落とすと、水面はざわざわと波立って太陽を照り返していました。水が揺れているのは、私が震えているためでした。  セミの声が大きくなったので、私はのろのろと立ち上がって、縁側から家の中に上りました。濡れた足跡が部屋を横切って廊下の奥に続いていました。私はその跡を目でたどりましたが、きっと梨花ちゃんは二階の自分の部屋にいるのだろうと思っただけで、その場に立ち尽くしていました。  どうしても気になって、もう一度、恐るおそる振り返ってみましたが、こちらを向いてびっしり咲き揃ったヒマワリの向こうに何かを見つけることはできませんでした。  独りでぽつねんと座敷にたたずむ私を見て、帰ってきた親たちは、何があったのかと、私に訊ねました。しかし私の返事が要領を得なかったため、梨花ちゃんのお母さんが二階に上がって、梨花ちゃん本人に訊ねましたが、やはりはっきりした答えを得られずに下りてきました。そして、具合が悪いみたいだからこのまま休ませるといいました。  その夜、梨花ちゃんは部屋から出てきませんでした。  その夜だけでなく、翌日も部屋にこもったきりで、具合が悪いと言って二階から下りてきませんでした。その日は、私たち家族が家に帰る日でした。  親たちは、あわただしく帰宅の準備をし、祖母と伯父夫婦にいとまを告げ、ぐずる私を無理やり車に押し込み、家路につきました。走り出した車から見上げる家の二階の窓には、カーテンが引かれていて、中の様子を窺うことができませんでした。  その年の、秋も遅くなったころ、私は梨花ちゃんが亡くなったことを教えられました。  両親に連れられて、梨花ちゃんのお葬式に出かけた日は、強い風が吹いていて、テレビでは木枯らし一号だと言っていました。  道すがら、私が何度訊ねても、両親は梨花ちゃんが亡くなった原因を教えようとしませんでした。  それは、お葬式の会場でも同じことで、梨花ちゃんのお母さんと祖母は、部屋の隅で泣いていて話を聞くことはできず、梨花ちゃんのお父さんは、近づくことができないくらい恐ろしい顔で黙り込んでいました。  会場には、何十人かの大人に混じって、梨花ちゃんの同級生と思われる女の子も何人かいて、みんな示し合わせたようにハンカチで目を覆って泣いていました。  私は、祭壇に飾られた梨花ちゃんの写真を見上げました。白い歯を見せて明るく笑う梨花ちゃんは相変わらず可愛らしかったのですが、私が驚いたのはその顔がとても白いことでした。いつも夏休みに遊びに行っていたので、私は日に焼けた梨花ちゃんしか知りませんでした。本当はこんなに色白の女の子だったんだと、妙なことだけが深く印象に残りました。  お葬式の間中、あちこちから参列者の押し殺したような泣き声が聞こえていました。私はお葬式に参列するのは初めてだったので、これがあたりまえのお葬式の情景なのだと思いました。  そして、お坊さんがお経をあげる間、眠くなるのを必死でこらえながら、梨花ちゃんが亡くなった原因は、子供が訊いてはいけないことなのだと自分に言い聞かせました。  ただ、私の梨花ちゃんに関する記憶は、あのヒマワリが咲く夏の庭の昼下がりで止まっていたので、梨花ちゃんにちゃんとサヨナラを言えなかったことが、心残りでなりませんでした。  それから二十年が過ぎて、この夏、祖母が亡くなりました。享年は八十六歳だったそうで、大往生と言っていい亡くなり方でした。  私は、大学を卒業して地元の企業に就職し、数年が経っていました。祖母の葬儀に向かうため車を運転するのは、今度は私の役目でした。祖母の町を訪れるのは、梨花ちゃんのお葬式以来でした。  助手席に座った父は、運転する私の横で、それまで教えなかった梨花ちゃんが亡くなった理由を、初めて話してくれました。本当のことを言えば、私はもう梨花ちゃんの記憶は朧気で、それほど興味もなかったのですが、父にしてみれば、祖母の家から足が遠退いたきっかけでもある梨花ちゃんの死の理由は、ぜひとも話しておかなければいけない重大事だったのかもしれません。  梨花ちゃんは、病気でも事故でもなく、変質者によって殺されたのだということでした。  そう聞かされる前から、私はなんとなくそんな予感はしていました。なぜ葬儀の時、大人たちが自分に梨花ちゃんの死の理由を話さなかったのか、なぜ葬儀場の雰囲気があんなにも重苦しかったのか、それを思えば容易に想像できました。  梨花ちゃんは、二十年前の秋、学校帰りに誘拐され、翌日自宅近くの雑木林の中で死体が発見されたのだといいます。当時は、テレビや新聞でもずいぶん取り上げられていたのですが、私の目に触れないよう、懸命に隠していたのだと言いました。  私は父に、犯人は捕まったのかと訊ねました。  父の話では、犯人はそれから間もなく逮捕されたということでした。犯人は隣町に住んでいた二十代後半の新聞配達員で、以前から警察に目をつけられていた人物だったということでした。梨花ちゃんの事件の後、幼女誘拐と強制猥褻の余罪も発覚して、結果無期懲役となったということでした。  話を聞きながら、私は、本当の犯人は別にいるのではないかと、漠然と思いました。私はその時、ヒマワリの花の向こうで笑いかけてくる蒼ざめた顔の紳士を思い出していました。  祖母の通夜と葬儀は、近くの斎場で行われました。その後火葬場に行き、収骨の後また斎場に戻って初七日の法要と精進落としを行い、祖母の家に戻ったのは夜になってからでした。  二十年ぶりに訪れた祖母――実際には伯父の家は、記憶にあったものより随分くたびれて見えましたが、中央の座敷とそれに続く縁側から見下ろす庭は、相変わらずよく手入れされて広々としており、そして、庭の端には夏の湿気を帯びた闇の中から大輪のヒマワリが群れだって、こちらを窺っていました。  夜を背にしてなお強烈な色彩を放つ花の群れに圧倒されて、私はその場を離れようと目を逸らしましたが、その刹那、私の脳裏には眩しい太陽を浴びて輝く草の葉と、跳ね上がる水しぶきと白い入道雲、そして、一点を見つめて怯える梨花ちゃんの顔が溢れ出しました。あの時と同じように、全身に鳥肌が立ち、抑えきれない震えが足元から駆け上がり、私は思わずヒマワリの向こうに続く闇に目を向けました。  何かの気配を感じたつもりでしたが、そこには、ほんの少し紫がかった夏の夜が横たわるだけでした。  翌日、私たち親子は遅い朝食をとってから、帰り支度に取り掛かりました。とはいえ、大した荷物もなく、準備が終わると、後はやることもありませんでした。母は、居間で伯母とお茶を飲みながらいつまでも世間話を続けており、父はテレビの高校野球をぼんやり眺めていました。  私は、玄関先に停めた車に荷物を詰め込んでトランクを閉めると、時間を持て余して、辺りを散歩してみようと思い立ちました。子供のころは見晴らしのいい高台に建つこの家に来ることだけが嬉しくて仕方なかったのですが、改めて周囲を見渡すと、どれも南に広い庭を構えそれぞれ凝った意匠の大きな家が建ち並んでいて、そこがいわゆる高級住宅街であることがわかりました。いまさらながらに感心して、伯父はいったい何の仕事をしていたんだっけ、などと考えながら坂道を少し下って振り返ると、思いのほか高いところに家の庭の垣根が回され、その向こうにヒマワリが咲いているのが見て取れました。  坂道に面して東西に延びる区画に並んで建つ家々の前と後ろには区画に沿った道路が走っていて、ちょうど家の裏手を走る道路は敷地と同じレベルに取り付けられているため、その北側に位置する家は坂の勾配分盛り土をして一段高くなるのです。坂の勾配は緩やかですが、さすがに家一軒分の敷地を張り出させると、先端は1メートル以上道路より高くなっていました。その上に垣根を巡らした庭はそこからは当然窺えるはずがありません。加えて垣根より高いところに顔を出しているヒマワリの花。  その時私は、自分の記憶と目の前にある光景との間に横たわる違和感に気づきました。  海水浴に出かける前に、父が私と梨花ちゃんを庭に並ばせて写真を撮った時、ヒマワリの花は梨花ちゃんと同じ高さに咲いていました。夕べ縁側から見たヒマワリも、垣根の上に花を咲かせて、ちょうどあの時の梨花ちゃんの背丈と同じくらいの高さでした。そして梨花ちゃんは、当時私よりも頭二つ分背が高く、たぶん1メートル3、40センチはあったはずでした。  あの夏の昼下がり、私たちが対峙した、蒼ざめた顔の男女二人連れは、確かにその花の上から私たちを見下ろしていたはずでした。 「お嬢ちゃん、可愛いわね」  そう囁いた赤い唇がにっと吊り上がるのを、私ははっきりと思い出しました。  セミの声が、私を押し潰すほどの勢いで、一斉に鳴き渡りました。  
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