葛未ツヅルと、小花衣宵

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葛未ツヅルと、小花衣宵

落つる月が桜木にかかる。 家紋だね。 肩にかかる羽織の温もりを連れる声に顔を上げた。 俺はいつまでお前と同じ春を迎えればいいんだろうな。 隣に膝をついた気配に訊ね、穏やかな存在に言葉にしない安堵を呼吸に変える。 咲いたかと思えば死に急ぐように舞い散る。 家紋であっても、俺にとっては縁起の悪い花だ。 呟いた言葉に返る声は無く、そっと握られた手だけが優しさを伝えていた。 *  *  * コツコツと、障子の木枠を器用に軽く打つ音は、入室の許可を伺う合図。 入れと一言返せば、お邪魔しますと改まる言葉と共に障子が静かに開く。 「ツヅル、頂戴物のお菓子を持ってきた。食べる?」 「誰から?」 「鵤(いかるが)様。 一時間前に旦那様への挨拶に見えられたんだ」 「…そう、親父がよく会わせたな」 「話が纏まりかけてきたって聞こえたかな?深くは分からないけど」 顔を覗かせ入ってきた宵が畳に持っていた盆を置くと、床から起き上がった俺に頃合い良く羽織をかける。 盆には急須と湯呑、そして戴いたらしい菓子の箱。 「具合はどう?」 「…少し頭が痛い」 「医師(せんせい)呼ぼうか?今日は終日内勤だって仰っていたから」 「要らない。寝ていれば直に治る」 湯呑にお茶を注ぎながら訊ねる気遣いに、医者は不要だと答えると、宵はどことなく納得していない顔色を忍ばせながらも分かったと短く相槌を打った。 昨晩、厳密に言えば夜明け前から昼過ぎまで眠っていた寝覚めは最悪に程近い。 けれど湯呑から立ち上る甘い玉露の香りにほんの少し頭が冴えた。 「これも貰いものか?」 「そう、菱川様から」 「…そう」 心地よく体を温めるお茶を喉に通し、息を吐く。 隣で菓子の箱を開ける宵の所作を眺めながら、笑みの消えない上機嫌な表情に薄汚れた記憶がちりりと燃えていく。 「あ、凄い。春の詰め合わせ」 「…そうだな」 蓋を持ち上げ中身を確認した宵が意味不明な感想をもらしながら歓喜した。 続いて言葉の意味を確認しようと中を覗くと、そこには確かに春が詰め込まれていた。 桜に此の花、寒椿に桃。そして春告げ鳥である鶯。 それら春の代名詞が象られた練り切りが上質な桐箱に収まっている。掌よりも小さな、可愛らしい菓子から上る上品な香りにも宵は嬉々としていた。 俺としては寝起き早々に甘味など趣味ではない。 ただ空腹であっても特別何が食べたいと言う希望が無いのも手伝って、宵のように素直な喜びや有難味が湧いてこなかった。 「ツヅルはどれがいい?」 「椿」 「それじゃあ俺はー…」 「お前は桜」 「え、何で決めるの?」 「問答させるな。お前は桜を食えばいい」 「…はい」 俺よりも甘味を好む宵がそわそわと菓子を見下ろしているのを遮り、持ち上げた桜を差し出した。 恐らく此の花を気に入っているだろう宵は、ひ弱な拒絶はしたもののもう一度桜を差し出すと、あっさり従い受け取った。 そうして予測を裏付けるように、箱を下げた宵からは『此の花…』と言う悲しげな呟きが聞こえた。 はく、と生菓子を割く歯触り。 過度な甘さではない具合に安堵する。 いつも菓子を戴いてもあまり手を付けない。 纏わりつくような甘さがいつの頃からか好ましくなくなった。 「お茶、渋くない?」 「…いや、お前は上手いからな。いい塩梅だよ」 寒椿を食べきり、お茶も飲み干す。 不安そうに濃さを訊ねた宵に答えた直後、何故か静まり返った。 別段静寂が気に障る性質でもないがふと宵に目を向けると、これまた何故か下を向いて固まっている姿があった。 「…何してるんだ、お前」 「…突然褒められるから…」 右手に桜を持ったまま、深い意味などありはしない褒め言葉に照れている。 普段から俺は褒めることをしない訳ではない。 寧ろ昔よりも叱る頻度の方が減ってきているくらいだ。 褒められるのが嫌な筈はないのだから、素直に喜べばいいだろうに。 「…面倒な奴だな、お前も」 「…自覚してます」 ただお茶の淹れ方を褒めただけで、宵の頬が微かに染まっている。 まるで開花したばかりのソメイヨシノの様に。 ぎこちない所作でお茶を飲む宵を眺めながら、俺はいつの間にか消えていた頭痛に気が付いた。 宵が食べ終え一式片付けるのと同時に部屋を出よう。後回しにした諸々を、俺も片付けなければいけない。 「―……ツヅル、鵤様の少し前に吾妻が来た」 「……」 しかし宵は空になった湯呑を持ったまま、まるで俺の予定を邪魔するかのように新しい用件を持ちだした。 その名前を出せば、俺が無視できないと知っているような顔つきで。 「何しに来た」 「…ツヅルに詫びたいって」 「そんなもの俺は必要ない」 「…、そう言うと思ってお気になさらずってお断りしたよ」 だけど、吾妻は申し訳ないから一度会わせてほしいと言付けした。 「あいつが罪悪を感じる必要こそ無いだろう。俺の自業自得だ。今度来たらそう伝えろ」 羽織をかけ直し、だらしなく足元に追いやっていた布団を畳む。 宵は『そうする』と俺の意向を受け取った様子だったが、その後いやに真剣な眼差しを向けてきた。 「何だよ、まだ何かあるのか?」 「…ツヅル、本当に体平気なの?」 「二度も言わせるな。…大体不用意に首を突っ込むなと言っただろ」 出来心だった。 出来心を理由に吾妻と言う親友を巻き込み、俺は無用な恥まで家族に背負わせることとなった。 酒と夜半の色付いた惑わし。 宵は引き止めなかった己を恨んでいる。 俺は見誤っていたのだろうか。 けれど、出来心でその後に背負う代償など量れる筈がない。 宵がまたつまらない懺悔を始めない内に立ち上がり障子へ向かう。 しかし俺の手を掴んだ宵はまだ話が終わっていないと強く引き止める。 「放せ。 …お前、何か勘違いしてるだろう」 「してない。俺は母さんと旦那様からツヅルを任されてる」 「それは親父と絃(いと)との勝手な取り決めだろ」 「俺は言いつけを守って仕方なくツヅルを気にかけてるんじゃない。 母さんだってそれは同じだってツヅルも知ってるだろ?」 「それでもお前と絃の気遣いを俺は求めてない。 余計話が拗れるんだよ…」 部外者なら弁えろ。 吐き捨てたと同時に掴む手を振り払う。 手にかけたままの障子を引こうとした直前、今度は先程よりも乱暴な力で腕を掴まれ、何事かと理解する前に敷いたままの布団に引き倒された。 背と尻を打ち、衝撃で視界が一瞬暗転した。 次に目を開けると怒りを湛えた目で俺を見下ろす宵がいた。 お前まで俺の邪魔をするのか。 「ツヅル…本気で言ったの?」 「なんだよ、俺が優しさの裏返しでお前を拒んだと言いたいのか?」 「俺はツヅルの力になりたいだけだ。 それはツヅルの傍にいることを許されて以来変わらない」 「…お前が俺に許された距離は単にお前が女中頭の息子ってだけだ」 「それでも俺は屋敷内の女中達よりツヅルに意見できうる権利がある」 「お前いつからそんな過ぎた物言いが出来るようになったんだよ。 それとも何か?俺がお前の権利に甘んじて、お前を頼れば満足するのか?」 「―…そんなこと言ってないだろ」 掴まれた手首が徐々に締められる。 痛みは確かにあったが、相反して宵の目からはみるみる内に怒りが抜け落ち、悲しさが満ちていく。 傷付けている自覚はあった。 けれど、俺は宵に知られた一件が持つ重大さを背負うだけで精一杯だった。 「…俺は、本当に義務や情でツヅルを支えたいわけじゃない」 「……止せ、聞き飽きた」 「…ツヅルが聞き飽きても俺は言い足りない。 俺はツヅルが好きだ。だから、ツヅルの傷に俺以外の手が触れることは許さない」 上機嫌だった笑顔が消えている。 代わりに出てきたのは俺だけが知っている宵の本性。 穏やかな口調で名前を呼んでいた宵は、許されてない目線で口をきいている。 もうそんな口調は止めなさいと、絃が言い聞かせていたのを思い出す。 けれど昔から物分かりは良い方だった。 だから、俺に思いを告げるまで健気に世話を焼いてくれた。 『ツヅルが好きだ。何があっても俺は傍から離れない』 (脅迫なんて、いつの間に覚えたのだろう) 字の読み書きすら、成人してやっと人並みにできるようになった奴が。 「宵、離れろ」 自由なもう片方の手を伸ばし、強張る宵の頬に触れる。 重なった体温に、宵の目が感情を追い越す速度で潤む。 宵は聞こえない声量で何かを呟き、俺の唇を震える唇で塞いだ。 「っ…っる…」 「…っ―…」 口付けの合間に紡ぐのは俺の名前だろう。 宵は幼少の頃から、俺の傍にいた。 五つ年上の俺が一緒に眠ることが日課になっていた。 最初は、宵にとっては兄同等の位置付けだった。 それなのに、お前はどこで間違ったんだ。 「ツヅル…、俺はツヅルの傍でないと生きる意味が無い…」 唇を離した宵が首元に顔を埋める。 そして空いた片方の手を着物の襟から差し込み、冷えた肌を撫でた。 「っ…大袈裟な言い方をするな…、俺はお前をいつだって捨てられる…」 着物を剥がれた肌に宵の唇が何度も降る。 知っている施しの微熱に声が濡れていく。 締め付けられる手首から感じる痛みは和らがないと言うのに、それが気にならない程、宵が与えるそれは俺の理性から逃げ道を奪っていく。 「…あの日、どこまで許したんだ?」 「…そんなこと、っまえに…言うわけ無い…っ」 「こんなに綺麗な体なのに…、俺以外の奴が触れたなんて考えるだけで全員殺したくなる…」 「っあ…っ、ゃ、めろ…っ」 硬く突き出た尖りに宵が歯を立てる。 びく、と体が弾み、反射的に宵の頭に手を伸ばした。 けれど快楽に流され始める体が言うことを利かず、手は掴んだ筈の宵の頭をまるで甘やかすかのように撫でた。 抵抗に取り合わない宵は構わずそこを責め続け、次第に甘くなっていく声を誘うように淫らに体に触れた。 両方の胸が宵の唾液で濡れる頃、宵は再び俺に口付け、優しく舌を絡ませ脱力する俺の頭を撫でた。 「っぁ、は…っょ…る…っ」 「ツヅル…可愛い」 「っ…!や、っ止めろ…っ!」 体の奥底から禁じた筈の交わりへの欲求がふつふつと熱を生む。 甘やかす言葉を吐いたかと思った宵が、無防備な下腹部へ手を滑らせた。 触れた五指の違和感に思わず声を上げ、俺は勢い良く腰を引いた。 しかしそれは何の効果も無い拒絶で、すぐさま引き戻された。 乾いた手が不本意にも熱くなっている性器を掴む。 掌でゆっくりと擦り上げられ、合間で顔や胸に口付けられると情けなくも水音を立て始める。 羞恥に歯を食いしばった。 けれど、先端の窪みに爪を立てられると、呆気なく宵を悦ばせる嬌声を上げてしまった。 「…ツヅルは確か、根元を弄られるのが好きだったよね…」 「っぁ…ゃめ、っ止めろ…っ…」 「どうして?ツヅルの体は俺を待ってたみたいに素直に開いてくれるのに…」 両脚を難なく肩にかけた宵が、目の前で更に激しい淫欲を求め屹立している性器に口を寄せた。 先端が触れ、言い様のない感覚に目を固く閉じた。 直後に口内へと深く咥えこまれ、宵の舌全体が急激に熱くなるそれを舐る。 じゅく、と淫猥な音が口内から溢れだす。 吸われ、指摘された弱い根元も執拗に愛撫され、時折立てられる歯がより一層何も考えられなくさせた。 「ぁ、あっ…や、宵…っぃや、だ…っ」 「駄目だよ…ツヅルの体は『全部』欲しい筈だからね…」 解放されても勢いを緩めないに濡れた熱に舌を這わせながら、宵は耐え切れず溢れた欲液で塗れた指を隆起する二つの割れ目へと潜らせていく。 何をされるのか確認せずとも分かっていたが、俺は強まる射精感を耐えるだけで精一杯で碌に抵抗の言葉も出せなかった。 やがて宵の指が、探り当てた窄まりの中へじくじくと痛みを連れ体内へと入ってきた。 怖かった。けれど、宵が俺の恐怖を宥めるように何度も口付け、優しく名を呼ぶので、俺は涙を流すだけで、もう『止めてくれ』などと言えなかった。 「ツヅル…俺、もう…っ」 「は…っぁ、ょる…っ、」 欲しいものはいつも、手の届く距離にあった。 俺から離れてほしくないと言う自覚だって、もう随分前からある。 お前が俺を抱いた十五の白昼も、俺にとっては忌まわしい過去じゃない。 だけど俺はお前を飼殺すだけで、お前に不幸しか与えてやれない。 お前が、俺を兄同等に見ていれば、何も囲いたいほどお前に執着する自分を知らずに済んだ。 「っ、あ…っぁ、あっ…!」 「…っツヅル…っ」 求めあう体が繋がって、宵は俺の胸で低く呻いた。 全身に宵が齎す快楽が駆け抜ける。 衝撃と言葉を失うほどの悦に、俺は耐えきれず吐き出してしまった。 迸った精液が腹と宵の胸に飛ぶ。 宵は思いがけず体に飛んだそれに構わず、未だ止まらない射精さえも無視して腰を揺らし始めた。 緩慢な動きが一度果てた体に真新しい悦を注ぎ、俺は自分が働く背徳行為さえ快楽の材料にして声を上げ続けた。 「ん、ぁっ…!ょるっ…っよる……!」 「ツヅル…っもっと、もっと俺を呼んで…っ?」 「宵っ…ぅ、んっ…!あ、ぁ…っ!」 「ツヅル、っ…俺はツヅルのものなんだって…もう一度教えてよ…っ」 俺はお前が欲しいよ。 それはお前が俺の傍にいることを親父が許した頃から変わらない。 変わらないけれど、俺はその変わらない自分の甘えが怖い。 宵、俺はお前をいつか、お前が掲げる『権利』を理由に殺すんじゃないかと本気で怖れてる。 お前が俺の傍にいるのは、女中頭の息子と言う理由だけじゃないんだよ。 「ツヅル…っもう…俺、出したい…っ」 「んっ…ぁ、いい…出せ、全部…」 「いいの…?」 「いいから…っ宵…っ」 宵の腕が俺を強く抱きしめ、一番激しく律動した後、体内に宵の全てを注ぎこんだ。 俺は宵が放った全てを受け止め、霞んでいく意識の中で何度も宵を呼んだ。 何度も何度も宵を呼んだ。 宵の腕の中は温かく、俺の罪を残らず赦しているようだった。 量れない代償も何もかも、お前は背負いたがる。 俺は心底、そんなお前が愛しくて、不愍でならない。 * 続 *
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