大切な人

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大切な人

あなたのために命を落とそう。 ちっぽけな命であなたを救えるのなら。 どうか、あなたは生きてください。 ******** ここ数年、同じ夢を見る。 自分が命を断つ夢。 でも、それは幸せなことだと、微笑みながら。 事切れる時に思っていたのは、大切な人のはずだった。 それは、誰だったのだろう? 親が見ていた情報番組に現れた湖。 それを見た時、心臓が大きく脈を打つ。 信州にある湖で、名前も知っていた。 でも、この景色を見るのは初めてなはず。 この湖の辺りにわたしは誰といたのだろう。 お前と自由に生きていけたらー-- それはありえないことだった。 あなたとわたしは違うから。 そんなことをさせてはいけない、と頭ではわかっていた。 でも、離れることは出来なかった。 その夢を見て起きた朝、涙が出ていた。 そして、テレビで見た湖の景色を思い出す。 スマホで新幹線の時間と料金を調べる。 聞いたことのある宿泊予約サイトを検索して、空室と料金を調べる。 概算が出ると、通帳の残金を確認する。 多くはないが、必要な金額くらいはある。 大学の再試験期間に入るとともに、荷物を詰めた。 電車とバスを乗り継いで来た湖。 お土産物売り場やレストランがある場所から見える湖の景色。 湖を見渡せる場所にあるベンチに座る。 湖面からの風を受け、目を閉じると、車や人の音が消える。 わたしは、小石が転がる湖の浜辺にいた。 わたしの母は京の公家の娘だった。 正室の娘ではなく、母は嫁ぎ先に売られた。 武士の権力が強まり、幕府に土地を取られ、没落していく公家が武家に娘を売って、身を凌ぐ。 そして、武家で使用人のような扱いを受けた母は女のわたしを産むと、武家から2人で逃げた。 わたしは母の縁のある尼寺で育った。 長年の苦労が祟ったのか、母は尼寺でわたしが14歳の時に身罷った。 そして、決して豊かではなかった尼寺に世話になるのは心苦しく、尼僧の伝でとある武家の使用人となり、嫡男であるあなたと出会った。 戦があまり好きではなかったあなた。 でも、誰よりも弓を引き、剣を振るった。 湖は二人でよく息抜きに来た場所だった。 わたしは仕事から、あなたは勉強や鍛錬から。 公家の末席であったが、母は書物を好んでおり文字をわたしに教えてくれた。 勉強が好きだったあなたと一緒に漢詩や軍記をここで読んでは話が弾んだ。 幕府の混乱により下克上が起こり、戦乱が深まると、戦の頻度が増え、規模も大きくなった。 そして、賢く強いあなたは功績を讃えられ、仕えている武将から姫を賜った。 それでも側に居させてもらえた。 武功を立て続けいくあなた。 ある日その成果を妬んだ男がわたしに言った。 「俺の妾になったら、今度の合戦で奴を優遇してやるよ」 同じ武将に仕える武士だった。 そこそこの家柄で、武将の軍勢の中でも古参で発言権もある。 ただ、若輩者の彼を毛嫌いしているため、意見が合わない。 しかし、わたしがこの男の元へ行けば、次の合戦で先鋒の一軍に彼を推してくれるという。 次の合戦は隣国の総大将との大戦だ。 なんとしても勝利したいと、あなたは言っていた。 自分があなたの役に立てるのであればと、その男についていくことにした。 しかし、男の言葉は嘘だった。 優遇するどころか、わたしを人質にして、彼を後方に退けようとした。 自分は男の家から逃げると書いた紙と母の形見を下男に渡し、形見を報酬として使いに出した。 そして、その日に男の家から逃げた。 そして、あなたにこの男の言う通りにする必要はないと、伝えなくては。 しかし、逃亡が見つかり、彼の屋敷の手前で男の手にかかる。 「余計なことをしおって」 このまま、生きてこの男に連れて行かれたら、彼は男の言う通りにするかもしれない。 そして、自分もこの男の妾になるのは嫌だった。 胸ぐらを掴まれ殴られる直前に、男の剣の柄を握った。 殴られ倒れ込んだが、柄を握ったままだったので、鞘から剣が抜ける。 剣は長すぎて動かせないので、立てた剣に自ら動いて首を当てた。 首が燃えるように熱かった。 でも、これであなたと別れられる。 姫に寄り添うあなたを見て、胸を痛めることも、もうない。 ふと体から力が抜ける。 慌てる男達とは別の方向から声がした。 ああ、これはあなたの仲間達の声。 こんな近くまで来ていたのか。 よかった。わたしが逃げたことを早くあなたに知らせられる。 愚かなわたしがいなくなれば、彼は何も煩わされることはないだろう。 あなたの腹心が駆けつけてくれた。 自分の名前が呼ばれる。 どうか、あの人に伝えてください。 迷惑をかけてごめんさいーーーー。 これでわたしは安心していける、とほっとした。 目を開けると、日が既に傾いていた。 ここで見た景色は、彼と見た景色だったのか。 一番楽しかった頃の思い出の場所。 全ての記憶が蘇ると、この場所がとても幸せな場所だったのだと知る。 彼への思いは実らなかったが、満たされた最後だったと思う。 それが自己満足だったとしても。 自分もそんな恋がしてみたい。 漠然とした平和な今の日常も悪くないが、そんな情熱的な想いを抱けたら。 いつになく、晴れやかな気持ちで立ち上がる。 長く座っていたので、お尻が痛い。 軽く伸びをすると、名前を呼ばれた。 「いちか・・・」 それは、遠い記憶の自分の名前。 驚いて振り向くと、男の人が立っていた。 着ているものも髪型も違うが、記憶の中のあなた。 「・・・政親(まさちか)様」 わたしも記憶の中のあなたの名前を呼ぶ。 力強く引き寄せられた。 記憶の中でこれほど近づいたことはあっただろうか? 「いちか、すまない・・・」 苦渋に満ちた謝罪の言葉に、記憶の中のわたしが泣く。 こんな声で謝らせてしまった後悔と、また逢えた喜びに涙が止まらなかった。 腕の中で聞いたのは、わたしを選ばず、姫を娶ったことへの謝罪、男の元へ行かせてしまった後悔であった。 姫を娶った時あなたはまだ18歳だった。 そんなあなたは、状況に逆らえるすべなどなかったに違いない。 男のことはわたしが愚かだっただけだ。 あなたの役に立つつもりで、逆足を引っ張ってしまった。 あなたのせいではない、と伝えたが、あなたの腕が緩むことはなかった。 今から、やり直してもいいだろうかーーー 「昔のようなしがらみがないいま、君と新しい関係をつくりたい」 はい、とうなずいた。 お互いの自己紹介、今の環境を伝え合うことから始めた。 初対面だけれど、すぐに打ち解けた。 遠い昔、漢詩とかを読んでいた幸せな時に戻ったようだった。 これから、どうなるかわからない。 でも、過去のように間違えないように、たくさん話そうと、二人で誓った。 完
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