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源川の家は二十一世紀では珍しい日本家屋だ。私が産まれる前に死んだ父、源川光太郎の実家は三〇〇年続いた呉服屋で父の死後、祖父母が亡くなったことで廃業した後に建てられたのがこの家だ。
祖父は孫の清花に着物を好きになって欲しいとたくさんの着物と小道具を遺産として相続させた。祖父は西洋主義に懐疑的で島国日本にも世界に通用する、誇ることのできる美徳があると考え、それを着物という形で証明せんと清花を通して実験したのだ。結果は十五歳の段階で成功したと言っても差し支えないだろう。清花には今日には見られなくなった、否定されがちになった大和撫子の美徳が備わっていた。容姿の美しさも内面の美しさも待ち合わせていた。性格は温厚ででしゃばるところを知らない、しかしどんな珍事や厄介にも臨機応変に対応できるしなやかさと柔軟さ、一度決めたことや恋愛面に於いては何があっても意見を曲げない頑固とも言える強靭さが背中に合わせに存在していた。また剣道二段という実力の持ち主で中学三年生時には女子個人の部で関東大会の優勝を果たした。団体戦も四位の成績を収めることができたのは清花に依るところが多い。
話を最初に戻すと、祖父の試みは美千代の着道楽も手伝って大成功を収め、清花は学校に行く以外はほとんど着物に袖を通し、それこそ洋服を着る姿は新潟や豊岡市の空を飛ぶ朱鷺や鸛を見かけるのと同じぐらいの貴重さを誇るまでに至っている。
童謡を呻くように歌いながら桐箪笥の中を漁るとチューリップが描かれた袷の着物は無かったが、帯で見つかった。更紗染めの名古屋帯でトルコの絨毯に度々描かれているチューリップの模様が赤、萌葱色、深緑色、青色、瑠璃紺色でとても異国情緒的に隙間無く惜しげも無く描かれている。イスラム教では偶像崇拝を禁じる風習から文字や書物を美しく見せる装飾文化が発達した。植物文様はその付随でやがて独自に発展した。チューリップはオスマン帝国には実在したことはなかったが、時の皇帝スレイマン一世に持て囃され文様に描かれるに至った。
清花は満足げに頷き、次いで着物を選んだ。更紗染めの帯だし、今日はチューリップを目立たせたいから着物は模様の質素な紬にしよう。若緑色と白色の縦縞模様。清花は着物を着、帯を、帯にも在る深緑色の帯〆で結んだ。出来栄えは良く、まるで西洋文化が当たり前のように市井に浸透したは初めの頃にいち早く衣服に取り入って流行の最先端にならんと欲した近代的な娘のようだ。
「ふふっ。なんだかいつもの私じゃないみたい。舜一郎さんにも見て頂きたいわ……そうだ。次の逢瀬で着てみようかしら」
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