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それからの一ヶ月は瞬く間に過ぎた。ドルデモは特殊狙撃部隊に入隊し、新しい上司のもとで自分の任務を果たすことに務めた。
新しい上司は名をウェンといった。ドルデモより長身で体格もよく、豪快な笑みで場の雰囲気を盛り上げた。淡々と任務をこなすだけであったヨクンとはタイプのちがう上司であり、彼は彼で尊敬できる人物であったが、狙撃の腕はヨクンのほうが一枚上手だとドルデモは判断した。
ヨクンが懸念していた最新式の対物ライフルにお目見えする機会は、入隊後早々に訪れた。そのときはさすがに狙撃現場を傍目から見ているだけだったが、今まで見てきた対物ライフルとは明らかにちがうことはすぐわかった。まず規格外の大きさであり、一般的な射撃姿勢である腹ばい状態では使用できないため、膝をついて構える必要がある。しかも、スナイパーが全身にやけに重装な防具を身につけていると思いきや、発砲したとたんに後ろに大きく吹き飛ばされたのである。それだけ巨大なエネルギーを秘めているわけであり、最初は面食らうほどの大きさでもよくこれだけコンパクトにできたものだと、技術の粋を見せつけられた気分だった。黒光りする銃身が禍々しく目に映る。
ある日、ウェンから呼び出されたドルデモは、自分が次の重要なテロ組織殲滅作戦にて対物ライフルのスナイパーとして駆り出されることを知った。
「我々はあるテロ組織の拠点となっている建物を見つけ出すことに成功した。我々はその建物に乗り込み、テロ組織を急襲する。きみには最前線で部隊突入の突破口になってもらうつもりだ」
「……最前線って、あの対物ライフルは遠くからの狙撃用ではないんですか」
ウェンは小さな子を諭すような口調で言った。
「あれは対象の範囲十メートル以内にぶち込めればそれでいいのだ。命中の精度を競うものではないのだよ」
その夜は、うまく寝つけなかった。微睡みの中で、使い込まれた旧式ライフルを丁寧に整備するヨクンの背中が浮かんだ。
果たして、殲滅作戦の決行日とあいなった。
ドルデモは防具一式に身を包み、ほかの突入班の班員とともに作戦の全体像や突入班の役割、注意事項などの連絡を受けた。ドルデモにとっては初めての接近戦だ。今まで経験のある狙撃は遠くの発射地点から動かずに狙い撃つものだが、今回は突入班であるため例の対物ライフルを両手に抱えて近距離からの発砲になる。慣れないことを実戦するため不安もあるが、班長が直属の上司であるウェンであるのが頼もしい。
突入する建物の陰まで班ごとに移動し、作戦開始の予定時刻が来るまで待つばかりとな った。そのあいだ、気が狂いそうなほど長く感じた。次第に早鐘のように打ちはじめる心臓が、これまでに引き金を引いた三回よりも緊張が高まっていることを伝えていた。
両手にずっしりと重みを与える対物ライフルは、あのヨクンが忌避したそれだ。あの人は真に銃の脅威をわかっていて、それを選ばない道を採った。……自分は今、それを手にしている。
「突入三分前。臨戦態勢に入る」
ウェンのかけ声に、ドルデモは余計な思考を捨てた。体内時計を意識する。ドルデモの体内時計は、いつでも精確に時を刻むように制御されている。
「――突撃!」
号令とともに、建物の入り口を固めていた見張りをウェンと副班長が仕留めた。そのまま二人が先陣を切って駆け出すのに続いて、ドルデモも走った。通常より大きな対物ライフルを抱えながら全速力で走るのは至難の業だ。おそらく自分が選ばれたのも、実力的な面でなく体力的な面を優先されたからだろうと冷静に判断する。
廊下を突っ切り、階段を駆け上がったところでフォーメーション1に素早く組み直す。そこでドルデモが先頭になり、対物ライフルを構えたところで廊下のもう一方の端から数人が走り出てきた。
ドルデモは思わず息を呑んだ。現れたのは、どう見ても十代半ばの子どもたちだったからだ。手には小型のナイフを持ち、声変わり前の甲高い声で叫びながらこちらに捨て身で突進してくる。痩せた身体で、自分のしていることをわかっていないあどけない顔で、ただナイフを自分たちに突き立てることだけ考えて向かってくる。
躊躇ったら命取りだ。わかっているのに、人差し指がこんなに動かないと感じるのは初めてだった。
「撃て!」
ウェンの号令が廊下を突き抜けた。その瞬間、反射的に指が動いて引き金を引いた。
そのとき身体に走った衝撃は、ドルデモの想像をはるかに超えていた。目がチカチカして、脳波は一瞬エラーを起こしたかのように何も認識できなかった。
次に認識機能が回復したときには、真の闇が目の前にぽっかりと口を開けていた――それは夜の闇とまったくの別物であると、ドルデモは肌で感じた。
真の闇とは、どんなに目を凝らしても何も見えないものだ。手を伸ばしても触れられず、奥へ、そのまた奥へと引きずりこまれそうなほど深い。
最期、何が起きたのかわからずぽかんとした子どもの顔だけが白く浮き上がり、それが苦痛に歪む前に闇に呑み込まれ、かき消えた。断末魔の叫びさえ吸収され、耳が痛いほどの沈黙があたりを支配したように感じた。
「遅れるな! ついてこい」
ウェンの声に我に返ったドルデモは、自分がしりもちをついていたことに気づいた。慌てて立ち上がり、集団に少し遅れて走りながらも何とか距離を詰め、合流し、あとはそれこそ無我夢中で先頭を駆けつづけた。
怒号と悲鳴と物を破壊する音が響き渡るなか、ドルデモは合計八発をテロ組織の陣中にぶち込み、殲滅作戦は成功した。何人消したかはもうわからなかった。
作戦終了後、木陰で休んでいたドルデモのもとに、ウェンがやって来た。いつもの豪快な笑みで手を差し出す。
「よくやってくれた。やはりきみはおれが見込んだとおりだ。あの対物ライフルを初めてぶっ放して、しりもちをついただけの奴はこれまでいなかったよ。これからもよろしく頼む」
丸太のように逞しい腕と、それに続くごつごつとした手をじっと見つめ、ドルデモはしばし考えた。――この手を取れば、もう後には引けない。
ドルデモは一呼吸おき、ウェンの手を力強く握った。まっすぐにウェンの目を見つめる。
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
Fin.
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