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ここまで勉強ばかりしていたら、勉強好きだと思われるのかもしれない。しかし実際には、高校生になってからの咲は勉強以外にやることを見つけられなかった、というのが事実だ。また何か特技があるわけでもなかった。女の子はグループを作りたがるが、クラスの所属グループ内で流行っているものに別段興味を惹かれることもなく、話にはついていけず、なかなか会話は弾まなかった。そのグループに同化することは咲にはできなかった。部活動では中学の頃にやっていたハンドボール部がなかったので他の部に入ったものの、他の同級生たちが経験者ばかりだったので追いつくこともできなかった。こうして勉強の方に力が入る一方だったのだ。やればやるほど点数が伸びていくのが楽しかった。一時は学年トップにまで躍り出た。
しかし、第一志望の大学に入ることはできなかった。もともとそこはレベルが高くて志望人数も多かった。担任の先生に、難しいかもしれないがもっと成績を伸ばせばいけるかもしれないと言われて、さらに打ちこんだ。すると本試験の前日熱を出してしまったのだ。翌日の試験はもちろん受けたものの、模擬試験の点数を上回ることができなかった。国公立の第一志望校は他に記述式の試験があって、そこでは思いのほかよくできたと思った。だからこそパソコンのホームページで公開される合格者一覧に、自分の数字が載っていなかったことが大変ショックだった。
咲は受験が終わったその日から一度も教材を開いていない。もうやる必要はなくなったのだ。とはいえ、それまで勉強一筋でやってきた咲にとって、ほかにやることがない。新たな勉強をしたいとも思わず、とくに今まで我慢してきたことをやりたい、という気にもならなかった。強いて言うなら、服やバックが欲しくて買い物に行ったことだろうか。しかしそこではいくつか買っても満足できなかった。
少ない友達は先に進路が決まっていて、この時期はバイトの予定が入っていてあまり遊べないと言われた。旧友と久しぶりに会うとかいう人もいるだろうが、咲は小学校五年生のとき、父の仕事の都合で田舎からこの都会に引っ越してきたので、なかなか連絡の取り合える旧友はいない。また、引っ越してからも都会の学校になじめず、小中学校での友達もごくわずかだった。
今頃受験の終わった高校三年生は友達と一緒に遊園地のジェットコースターで「キャー」とか叫んだり、ショッピングモールで両手に持ちきれないほどの買い物とかしたり、お腹がふくれあがるまで甘いスイーツをほおばったり、そういうことをして大学生になるまでの休みを満喫しているのだろう。咲の携帯電話は、今日も静かだった。
ガチャ、音がした。
「ただいまー、すごい雨だな」
「お父さん、今日も早いわね」
声を聞いて、とっさに母は蛇口を止めて玄関に向かった。
「おかえりなさい。お疲れ様」
母は小走りで急ぎながら洗面所のタオルを持っていく。父、義雄は濡れていたトレンチコートの雨粒を手で払った。母からタオルを渡されると、少しばかりくたびれたカバンをささっと拭き、コートとカバンを母に預けた。
「今日も仕事が早く済んだの?」
「ああ、下の子たちに任せられる内容だったから、上に頼んで早く切り上げてきたんだ」
リモコンを持った咲の手はテレビの音量を少し上げる。
「そうだったの。疲れてるでしょ、先にお風呂入る?」
「いや、お腹が空いたから夕飯が先のほうがいいな」
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