30年前のプロポーズ

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 母は元々、『ありがとう』とか『ごめんなさい』とか、素直に言えない人なんだ。  母の息子として生まれて27年、そういうことは、よく解っている。解っているから、もはや怒る気も起きなかった。心の中では反省しているのだと、声色からは伝わってきているから、それだけで充分だ。  母はこの通り、気が強くて、お世辞にも性格が良いとは言えない。俺だって、昔は一緒にいるのが嫌で嫌で仕方がなかった。  しかし大人になり、実家と距離を置いて暮らすようになってからは、俺も少しはおおらかな人間になったような気がする。最近は、そんなキツいところもまた母の個性だと、柔軟に受け止められるようになった。  人間、距離感ってものが大事なんだなと、つくづく思う。 「恋人はいなかったの? 父さんと結婚する前はさ」 「……いたわ。プロポーズもしてくれたけど、断ったの」 「どうして?」 「新潟の米農家の長男で、いずれは家業を継ぐ人だったから。私、農家の嫁はイヤだもの」 「なに、その言い草……全国の米農家に謝りなよ」 「うるさいなあ。私は元々、群馬のネギ農家の長女よ!? 物心つく頃から畑でこき使われてきて、農家の苦労はよォーく知ってるの! だからどうしても、都会のサラリーマンと結婚したかったのよ!」  母は不機嫌そうにそう言った後、ムスッと黙り込んだ。 『こういう打算的なところも昔から変わっていないんだな』と思いながら、俺は肩をすくめた。もちろん、黙っていたけれど。
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