30年前のプロポーズ

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「……そういえばあの人とも、この辺にドライブしにきたことがあったな」  そう独り言のように母が呟いたのは、しばらく経ってからのことだ。  まるで大切なことを思い出したかのような口調だった。俺は興味を引かれて、横目でちらちらと母の様子を窺った。 「あの人って、父さん? 米農家の長男?」 「米農家の人」  母がフロントガラスを指差す。  視界の先には、水墨画のように霞んだ山の峰々が連なっていた。 「ドライブの途中、『山の向こうに見える夕日が綺麗だから』って、車から降りて、二人で橋の上で肩を並べてね……たしかその時よ、プロポーズしてくれたの」 「へえ……ロマンチックじゃん」 「そうね。今思えば、結構ロマンチックな人だったわね」  母がかすかに笑うような気配がした。  横目で見ると、母の顔には、珍しく穏やかな笑顔が浮かんでいる。  こんなに柔らかい表情を見るのは、いつぶりだろうか。俺はなんだか嬉しくなって、声を弾ませた。 「それって、どこの橋?」 「そんなの、もう覚えてない」  ちょうど、もう少しで辺りが夕暮れに染まる時間だった。  俺は路肩に車を停めると、カーナビの地図で近くの川を探し、そこに架かる大きな橋を目指して進路を変えた。  母は最初、俺がどこを目指そうとしているのか分からなかったようだ。走り始めた時は、キョトンとしたまま助手席に収まっていた。しかし、しばらく走って、景観の良い橋の近くに車を停めた時、その顔にはみるみるうちに怒りの色が浮かび始めた。
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