side. Azur

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 そう言って彼から立ち去ろうとすると、不意に腕を掴まれる。離してと言って振り払おうとすると、そのまま彼に強く抱きしめられた。 「分かった。一緒にいられないと言うのなら、その考えを尊重する。でも、最後にもう一度だけ、お願いを聞いて欲しい。」  彼の太い腕が私をきつく縛る。今までの抱擁とは違うその力強さが、私を放したくないという意志を物語っている。 「行かないでくれ。本当に嫌なら、振りほどいて突き飛ばしてもいい。不安とか、焦りとか、何があっても俺が守るから。もう悲しませたりしないから…絶対に、幸せにするから…だから、頼む。」  彼の体温。彼の鼓動。声、吐息。その暖かい物に触れているだけで、乾いた心に潤いが戻ってくる。彼の必死の懇願に決心が揺らぐも、私は思い止まりゆっくりと彼から離れていく。 「ごめん。もう、あの日々には戻れない。」  冷えた頬に一筋の熱い雫が垂れ落ちるのが分かる。こんな私でもまだ泣けることが知れて、空っぽの心に火が灯るのを感じ取る。 「でも、ありがとう。君が抱き締めてくれたから、私は前に進める。こんな私でも、誰かを愛して、愛されることができるんだって気付かせてくれた。」    別れるのは、こんなにも辛くて悲しいことなんだって、彼は最後に分からせてくれた。だけど、大切だった彼と。愛していたこの人との関係を捨てて、私はようやく新しい人生を歩める。その想いが揺らぐことはなく、私は私達の関係に終止符を打つ。 「さようなら。今まで、ありがとう…ごめん、なさい…」  今までの日々に感謝しているのか、それともすまないと思っているのか、よく分からない挨拶を思い付く限り彼にぶつける。その中で、最後まで「またね。」の言葉だけは出てこなかった。  私は駅の方へ向き直り、泣きながら歩み始める。彼の方へはそれきり振り返らずに橋を渡りきる。  朝日に照らされながら歩いている私は、ふとあの時二人で見たアサガオのことを思い出した。色とりどりの花に溢れていたけど、今思えばそこに優劣なんかなくて、皆それぞれ誇らしげに花を咲かせていた。  今日からの私は、青色で咲けるかもしれない。地味な白色でも、萎んだ赤色でもいい。今度こそ私を愛してくれたあの人に恥ずかしくない様に、胸を張って生きよう。いつになく綺麗な太陽が、門出を祝福してくれている。そんな気がした。
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