第一章 摩訶雪燃ゆ奈様

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「僕は大学で、現代の魔女研究をしている。書物と標本じゃ限界で、実際の魔女を体験しに来た。僥倖で驚愕だよ。魔女が殺されていて、挙げ句、蘇る場面を見られるとはね。そのうえ再びこんな状況だ」  あたしの口角から血が垂れ、膝頭を汚す。唾液と違い、一滴でさえ宝石の価値を与える気になれない。 「君は興味深いよ」  そんな無様な姿を、悪びれなく見下ろす若造は、問答無用で滅す。  今は魔法が使えるのだ。 「喰らえ」  落雷を落とすため、人差し指を空へ向けた。途端に指の皮膚が爛れる。燃える痛みと火膨れが腕を伝い、全身にまで駆け巡った。 「くるし」  両腕で体を抑えたが、治まる効果などない。 「苦しんでいるところ悪いけど、深く学ぶチャンスなんだ。観察させてもらうよ。質問もいいかい? 魔女自身は、魔女とは何かを知らないんだよね?」  この図々しさはなんだ。魔力以前に美貌が通じていなかった。念には念を入れたのに、次から次へと最悪な日だ。 「侮るなよ。あとで、手足をもぎとる。現代の魔女は、西洋の中世末期に、狩られた魔女とは、別物だ」 「そう。キリスト教以外を信仰する者、とくにアニミズム色の強い者を魔女に仕立てたのとは違う。魔女狩りは文明の過渡期に起こった不幸な歴史さ。ある意味、現在も過渡期かもしれないけどね」  頭上で堂々と喋る若造が憎たらしい。 「近代科学による、計算し尽くされた、美容健康法を実践した結果、絶世の美人が、より美しくなりすぎ、進化したのが、この大魔女、摩訶雪燃ゆ奈様だ。よって対等ではない。跪け、いや、這いつくばれ」  若造が一瞬、笑みを漏らした。 「やっぱり具体的には知らないんだな。細胞膜内にはさまざまな器官があって、その中にミトコンドリアというのがある。エネルギーを生みだす発電機の役割りを担っている」 「下級生物が、頭上でしゃべ、ぐっくるし」 「美しさはエネルギーを必要とする。女性が美しくなるとエネルギッシュになったと表現するが、喩えではない。女性の美しさとミトコンドリアによるATP合成は相関すると解明されて久しいが、それはミトコンドリアが独自のDNAを持ち、母型の遺伝子のみを引き継ぐからなんだ」 「黙れえ、頭上、どけろお」 「女性の中に、美しさを極めすぎ、ミトコンドリアの生みだすエネルギー量では足りなくなった者が出始めた。そこで母型遺伝子は、自律的に追いつこうとして特有の変異を起こした。それがマジコンドリアだ。マジックとミトコンドリアの造語だけど、女性だけに起こる変異なので、日本ではマジョコンドリアで通っている」  こいつは質問と言いながら、なぜ講釈を垂れているのだ? しかも頭上で。魔女相手にエゴの傘を差し、優越に浸るためか。科学に精通する自分が上だと顕示するためか! 「許さ、ない。自ら、地面を掘って、埋まりやがれ、低俗な種が、あぐっ」 「ほんと口が悪いな。マジョコンドリアになると、別次元のエネルギーを生成できる。いわゆる魔力だ。魔力は脳内の意識、つまり神経を伝わる電気信号と結びつき、意図を帯びる。これが魔法だ。魔力がありあまると体外に放出できるようになり、物理的現象を引き起こす。それを行なっているのが、君たち近代の魔女なんだよ」   「説明など、いらない。あたしが、超絶美女である事実で、充分だ。体があ、朽ちるう」  死体のときより、ひどくなっている。皮膚と肉がおぞましく歪み、緑と茶色が混ざった異様な色に変わっている。 「においも、臭い。ありえない、あたしが、こんな、屈辱」  ゴミの肉体が勝手に立ち上がり、歩きだした。  若造がゆっくりと後退する。  あたしは、つまりあたしである魂は同じ位置にいる。  苦痛からは解放されたが、焦りが増大する。 「腐った死体、止まれ!」  魂のあたしは懸命にゾンビの中に戻ろうとするが、痛いイメージが消えず、本気になれない。  精神が肉体と一致できない。
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