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2.グレンの特技
シュレンジャー一家は、まるで親戚の子供のようにシリルを扱ってくれた。特にグレンは、同じ年頃の友達が出来るのが初めてのようで、どこに行くにもシリルと一緒だった。
「ほら、この前言ってたキノコ。オレンジ色で綺麗な水玉模様をしてるだろ?」
久々に晴れた日に、グレンが森で見付けたという派手な模様のキノコを自信満々で紹介した。少し離れた切り株の根元に生えたキノコは、自然界にしてはあまりにも目立つ色と模様だ。
「これはシビレタケだ。神経を壊して体の自由が利かなくなる作用がある。猛毒だから、さわってもいけない。毒薬を作るなら別だけど」
「……そっか。綺麗だと思ったんだけど食べるのには向いてないんだな」
肩を落としたグレンが、鞄からノートと色鉛筆を取り出す。
「じゃあ、忘れないように絵を描いて残しておくのはいいか?」
「いいアイデアだと思うよ」
オレンジのキノコをじっと観察したグレンが色鉛筆を走らせてゆく。シャッ、シャッという芯が削れる音が静かな森に響く。手持ち無沙汰になったシリルは食べられそうな山菜やキノコを探しに、あまり遠くに行かないように切り株の近くを見て回った。両手に乗るほどの山の幸を摘んで切り株に戻ったとき、まだグレンは絵を描いていた。背後に立ったシリルのことなど眼中にないようだ。
(ずいぶん集中してるんだな。話しかけたら悪いかな……)
どこまで描けているのだろう、とスケッチを覗き込むと、そこにはまるでもう一個キノコがあるように見えた。
「……すごい、本物みたいだ! グレン、きみってすごく絵が上手なんだね」
突然大声を出したせいか、グレンが誇張でなく飛び上がった。目を大きく見開き耳を立て、シリルを見つめる。尻尾の毛が、ブワッと根元から大きく逆立ってしまった。
「シリルか。びっくりした」
「ご、ごめん。狸みたいに尻尾が大きくなっちゃったね。どうぞ、続き描いて」
「ああ。あと少しで出来上がりだ」
しばらくすると、紙に映されたシビレタケが完成した。この絵を森に置いておくと、本物と見間違える者がいるのではないかと思えるほどの素晴らしい出来映えだ。
「グレン、すごい特技を持ってるんだね。僕はこんなに見たままは描けないよ」
「おだてるなよ。……でも描くことは好きだから、昔よりもましになってると思うと嬉しいな」
尻尾が空を向いて、ピンと立っている。しばらく一緒に過ごして気が付いたが、シュレンジャー一家は尻尾と耳で今の気持ちが少し分かるのだ。立ち上がり上を向いた尻尾はご機嫌で、さっきのように毛を逆立てて膨らむと警戒、ブンブンと振り回すときは不機嫌というふうに。馬に乗って家路に向かうとき、
「家にはこれまで書きためた絵がスケッチブックに何冊もある」とグレンが言うので、即座に「見たい!」と返す。グレンは鼻髭をピンと伸ばして「いいよ」と答えてくれた。これもご機嫌のサインだ。
「最近描いたのはこれかな」
グレンが机の引き出しの奥を探る。「ほら」と一冊を渡されたので頁をめくる。花や動物、家族の絵。どれも写実的で、奥行きのあるものばかりでため息が出た。
「僕は山菜やキノコの種類をお父さんに教わったんだけど、分からないときは家にあった図鑑に頼ってたんだ。グレンの絵を見ていると、図鑑を思い出すよ。ものの特徴が分かりやすいし、正確だ」
「あまり褒められると困るな。……なにか描いてほしいものがあったら描くけど」
「え、描いてくれるの!?」
なににしよう、とシリルは考えた。夏にしか咲かない花でもいいし、精密な風景画でもいい。そのとき、シリルの脳裏をあるものが掠めた。
「……見たことのないものでも描ける? 例えば、似顔絵とか」
「似るかどうかは分からないぞ。やってみるけど」
「狼型の獣人。背が高くて大柄で、悪いことをしてきた怖い顔をしている」
「シリル、それは」
「僕のお父さんとお母さんを殺した奴だ。大きな足跡が残ってたから背が高いはずだ。人相は僕の想像。犯人の似顔絵を持っていたら、大人になっても憎い気持ちを忘れないと思うんだ」
母がむごたらしく傷付けられた姿を思い出す。オメガというだけで、どうして母は理不尽に暴力を受けなければいけなかったのだろう。
「僕は狼型の獣人だというアルファを許さない。でも、この家にいると皆優しくて、だれかを憎むことを忘れてしまいそうなんだ。僕はお母さんが殺された悔しさと、お父さんが返り討ちにあった悔しさを忘れてはいけない。忘れちゃ駄目なんだ……」
途中からは、自分に言い聞かせるように呟いた。殺された両親のことを、シリルだけは覚えておかなければ。犯人を捜し出し、報いを受けさせねば。そうでないと、ひどく傷付けられ殺された二人が浮かばれない。
「シリル。狼型のアルファの絵は描けない。想像の姿だとしても、形にすると頭に残り本物を見付ける妨げになってしまう。だが、お前の親の絵なら描ける。どんな姿だったのか、どんな風に笑うのか、お前をどれだけ大切にしてくれたのか、そんなことを教えてくれ」
「グレン……」
素晴らしい提案だった。何年、何十年か経つと、いずれシリルは、両親の姿をはっきりと思い出せなくなってしまうだろう。その時、絵があるとはっきりと頭に描くことが出来る。シリルから両親は奪われない。
昏い気持ちだったのに、どこからか光が差し込んだような気がする。グレンはシリルを明るい場所へ連れてきてくれた。
「ありがとう、お願いするよ。母さんの髪は茶色で肩より少し長めで、いつもゆったりと後ろで括っていた。父さんは……」
グレンが鉛筆を走らせる。少し描いては「こうか?」と尋ねてくれるので、両親の姿はまるで生きていた頃と同じか、それ以上に幸せそうに紙に映された。
「ほら」と出来上がった頁を破り、シリルへ渡してくる。
「あ……ありがとう、グレン! 大事にするよ」
両親の絵が描かれた紙の端を、皺がいかないようにそうっと持ってみる。絵の彼らは幸せそうだ。実際に、共に過ごした日々はいつも楽しかった。この絵があれば、彼らの姿を忘れることはないだろう。絵を机の上に置くと、シリルはたまらなくなってグレンに抱きついた。獣毛が服に覆われているが、人よりもかなり高い体温が気持ちよい。
「シリル?」
「ありがとう、グレン。きみの絵は幸せを作りあげてくれた。この絵、大事にするよ」
「よかった。シリルが笑ってくれたほうが、俺も嬉しい。犯人の絵を描いてって言われたときは、怖い顔をしていた」
今度はグレンにぎゅっと背に手を回され、力を入れられる。獣人だけあって力が強く、もう少し力を入れられていたら悲鳴を上げたことだろう。しばらくそのままでいると、ゴロゴロ、とグレンが喉を鳴らす音が聞こえ始めた。機嫌のいいときや気持ちが良いとき、猫科の動物はこんな音を発するとシュレンジャーの父に教えてもらったばかりだ。
(僕も嬉しいけど、グレンも喜んでくれてるんだ)
ここには、シリルを心配してくれる友人がいる。間違った考えを諭し、日の当たる場所に導いてくれた。感謝してもしきれない。
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