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事情聴取
女子高生の名前は蘇芳茉莉といった。
事情聴取、というほどの尋問ではないが…
それでも「不審者扱いされたくない」という気持ちもあったらしく、蘇芳茉莉は積極的に事情を話してくれた。
***************
茉莉は小さい頃からずっとイジメられっ子だった。
一方で二つ年上の姉は要領が良くて、二重人格者かと思うくらいに他人に対する態度を昔から使い分けていたのだという。
そういった裏表を使い分ける生き方が楽だろうと思っているのに、何故か茉莉は姉のように振る舞えなかった。
狡い人間は嫌いだし、嫌いなものに媚びるのは御免だった。
不器用なのだ。
本質的に。
本を読むのは好きだけど
お喋りをするのは苦手だった。
何がいけないのか判らないまま
慢性的に教室では一人孤立していた。
それに加えて去年は酷いイジメを受けた。
ネットで自分の顔写真が使われた合成エロ写真と共に淫猥に捏造された個人情報が晒されていたのだ。
「セフレ募集中です」
「お喋りよりもおしゃぶりが好きな娘です」
「乳輪デカッ」
「ヤリマンなのに高飛車」
「デリヘルサービスのご連絡はこちら×××-××××-××××」
etc
etc
読むに堪えない揶揄嘲笑と罵詈雑言。
あり得ない程の
「迷いのない悪意と嗜虐心」。
そういったものを大勢からよってたかって向けられて教室は針の筵。
教科書やノートは破られたり
ゴミ箱に捨てられていたり。
トイレの個室に入ってると、上からバケツで水がブッ掛けられたりした。
笑い声と共に遠ざかる足音。
トイレの汚物入れに捨てた経血付きのナプキンが御丁寧に机の上に置かれていたことも何度となくあった。
教室を離れている間にお弁当の中身が床にブチまけられていたりするのは日常。
そんな日々の中、何も感じていないフリをして、傷ついてないフリをして、無表情で過ごすということに心底から疲れきっていた。
「限界だったんだと思います」
茉莉がつぶやいた。
自分の心がバラバラに切り刻まれ
蝕まれているような
奇妙な錯覚を覚えながら
少しずつ狂っていたのかも知れない。
おかしな夢を見るようになったのだという。
それはいつも
小高い丘の上から始まる。
そこには
「裸の鳥さん」
とでも呼ぶべき存在が待っている。
茉莉は夢の中では
兎のような鼠のような
毛むくじゃらの生き物だ。
「裸の鳥さん」と
「毛むくじゃら」は
丘の上で契約を交わす。
契約後、「裸の鳥さん」は
羽根が生えて完全な鳥になった。
毛むくじゃらはモモンガのような
コウモリのような生き物になって
滑空して飛べるようになった。
飛べるようになった毛むくじゃらが
丘を下っていくと森が広がっていた。
森では熊がお腹を減らして死に掛けていた。
毛むくじゃらは
熊に捕まり心臓を食べられた。
熊は毛むくじゃらの腸を後から食べようと思ったのか、木の枝にぶら下げたまま、何処かへ行ってしまった。
そこに黒い狗と白い狗が来た。
黒い狗と白い狗は、それぞれに違う方向から毛むくじゃらの腸を食べた。
少しでも多く食べようとして
二匹が引っ張り合いをした所為で
腸の皮が弾けた。
その時に「音」が生まれた。
狗達が食べ終わって去ると
次いで黒雄鶏と白雄鶏がやって来た。
白雄鶏はお腹を空かせていて
地に落ちた狗達の食べ残しを食べた。
黒雄鶏は食べるのではなく
「毛むくじゃらだったものの欠片」を
ひたすら突いた。
そうして細かくなったものは
蟲達に喰われた。
蟲達の食い残しを
今度は菌が食べるのだ。
喰われ喰われ喰われ
「毛むくじゃらの自分だったもの」が
糞と成り果てて、細かく分離したまま彼方此方で存在している。
そして糞でさえも分解され尽くして土に還る。
自分というものが細かく細かく分裂し続けるたび毎に
自分というものが大きく広がって遍在していく奇妙な感覚。
そうしたものを感じながら茉莉は自分という存在が「人間という枠」から逸脱したような
そんな気がしていたのだ…。
自分は確かに人間社会に肉体を持って存在しているのだけど。
それでも肉体を持って此処に居るのが自分の存在の全てだとは思えないのだ。
それでもどこかに人間らしさやなけなしのプライドみたいなものは有った。
姉から「虐められてるんでしょう?」と指摘されて
親にもイジメに遭ってるのがバレた時には惨めさのドン底に突き落とされた気がした。
両親は嘆き悲しみながらも必死に訴訟の準備をしてくれた。
それが牽制として働いたのか「ネットいじめの主犯」だった中学時代の同級生(高校は別の所の奴だった)とは示談で決着がついた。
ネットいじめに便乗して嫌がらせや器物損壊を働いていたクラスメート達も「告訴される可能性」に遅ればせながら気が付いたのか、その後は大人しくなってくれた。
その後は元通りの平穏な日々に戻ったのだ。
友達もおらず
いつも通りに高校まで通って
いつも通りに帰宅する。
いつも通りの日常。
いつも通りの帰り道。
いつも通りの夕刻ーー
茉莉はお宮の石畳を歩いていた。
そして何気なく足元を見ると
進路方向の石畳の上に蜻蛉とも蜉蝣ともつかぬ羽虫がちょこんと停まっていた。
(気付かなかったら踏む所だった…)
そう思いながら跨いで通り過ぎようとした時だった…。
急に酷いイジメを受けた時期の奇妙な感覚が蘇ってきたーー。
自分がバラバラになって
喰われて喰われて喰われて
小さくなって彼方此方に広がって
無数の小さな粒子の全てが
一粒一粒が「自分」でありながら
それらの連携した纏もまた「自分」なのだという不思議な感覚。
そしてそうした粒子の纏が遥か遠くにも存在しているような…
自分が二箇所に同時に存在しているような、そんな錯覚を覚えたのだ。
自分が居る二箇所の空間。
その二つが折り紙を折る事で
紙の端同士が重なるように
空間が折り紙のように
グニャリと曲がり
二箇所にいた自分が
一箇所に重ね合わされたかのような
そんな気がした。
ーーそれと同時に
無数の星々や隕石の間を、極限まで小さくなった自分という小さな粒子の纏が光速で擦り抜けているような、そんな気がした…。
ふと気がつくと
身体は硬直して小刻みに震えていた。
鼓動は激しくて息苦しい。
(何だったんだろう…今の感じは)
茉莉は今しがたの感覚に戦慄した。
足元を見るとやはり石畳。
蜻蛉とも蜉蝣ともつかぬ羽虫がちょこんと停まっていた。
しかしーー
それ以外のものはというとーー
(おかしい。さっきまでお宮の石畳の上を歩いてたのに…。ここは石畳が敷かれてるけど建物の中だ。しかも暗い。…何処からか光が射して来てるので様子は判るけど、何故、突然知らない場所に来てしまったんだろう?まさかこれが『神隠し』という奴なのかな?)
そう思い、茉莉は戸惑った。
不意に足元にいた羽虫が飛んだ。
ヒラヒラと羽ばたいて
茉莉の胸まで飛んで来て
そして消えた…。
(…全てが不思議だ。ここは夢の中なのか?)
茉莉は首を傾げた。
(このまま待ってたら、またおかしな感覚が起きて元の場所に戻れる?)
右も左も分からない場所ーー。
これがラノベの『異世界転移』のような現象だったのだとしたら、「神様」とかいう存在が出て来て何か説明してくれたり、或いは「勇者召喚」で呼ばれたのだと、何処かの国の王族や重鎮が説明してくれる筈なのだろうが。
どうやらそこまで親切な世界ではないらしい。
何が起きたのかも判らず
何の説明もなく
ただ放置プレイ…。
茉莉はこのままじっとしていても元の場所に戻れる訳でもなく、或いは夢から醒めて「実は夢でした!」という夢オチが起きる訳でもないのだと、シビアに現実を受け入れる事にした。
「いつまでもここにジッとしてても仕方ないし、外に出て探険してみよう…」
茉莉は思わず、ボソリと呟いたのだった…。
**************
階段があった。
最初の1段目は幅広で魔法陣らしきものが刻んであったが、それがどんな意味のものなのかは判らない。
踏むのは危険かも知れないと警戒して
踏まないように跨いで階段を登っていった。
すると目眩くような光が目を刺した。
どうやら今までいたのは地下だったようだ。
目が外の光に慣れるのを待ってから自分が出現した建物をジックリと眺めてみた。
(どう考えても日本じゃないよね…)
改めて茉莉は自分が随分と遠い場所に転移したのを悟った。
建物も石造りで日本では見られない様式なのだが、周りの植物も見た事もないようなものも多い。
ーーというか
それ以前に周り中緑緑緑で、どうやら密林のど真ん中にいるようだ…。
(もしかして本当に此処は異世界で、地球ですらないのかな…)
そう本気で疑いかけた時に樹木の陰から子供くらいの大きさの生き物が此方を覗いている事に気が付いた…。
異様に肌の色が悪い。
濁った黄緑色の肌の色がその存在の正体に関する推測を裏付ける。
「ゴブリン…」
茉莉は思わず呻いた…。
まさかと思って他の樹木の陰にもよくよく注意を払うと、同じように何かが隠れて此方を伺っているのが感じられた…。
囲まれているようだが
襲ってくる気配はない。
(もしかして「ゴブリンは実は良い奴」みたいな世界?という可能性はない?)
茉莉は希望的観測をしそうになったが
(いやいや、単に襲う機会を伺ってるだけなのかも知れない。そもそもこの建物の中は、こんな密林のど真ん中に在るにしては綺麗すぎる。人間か人間に類する知的生命体の手が確実に入ってる筈だ。もしかしたら人間しか入れない「結界」みたいなものも張られてるのかも知れないし)
そこまで考えて茉莉は「自分が此処から(結界から)出られない」という事に思い当たった…。
(でもこのまま此処に居続けても飢え死にするんじゃないか?…)と。
そう思った時。
やっと茉莉は自分が窮地に居る事を実感したのである…。
(このまま膠着状態が続くのだろうか…)
と、茉莉は思ったのだが。
直ぐにその考えが甘かったことを理解したのだ…。
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