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高一の六月。私がナツ――菊池さんと少し仲良くなってから、二週間くらいだったと思う。
まだその頃は菊池さんも私のことを鹿島さんと呼んでいて、彼女の軽い口調の中でその呼び名だけが妙に浮いていた。
そのことは菊池さんも気になっていたらしく、あの日……どの日だったか正確には覚えていないが、菊池さんは帰り道でこんな提案をしてきた。
「あだ名をつけよう!」
あだ名。ニックネーム。小中とクラスで浮きがちだった私には到底無縁の概念だった。どんなに馴れ馴れしい人間でも、せいぜい聡子ちゃんと呼んでくるくらいが関の山だったから。
「何がいいかな……」
菊池さんは横を歩く私のほうを見て腕を組み、首をかしげてじっくり考える素振りをみせる。この頃の私はまだ、こういうときの菊池さんが実は大してものを考えていないということに気づいていなかった。
しばらくしてから、菊池さんは諦めたように小さく溜め息をつきながら腕を解いて、手のひらをこちらに見せて言った。
「何も思いつかない!」
「はぁ」
菊池さんの扱いが今以上によく分からなかった私は、一人でどこまでも会話を進行させるこの変人に対して、気の抜けた相槌をひとつ打つのがやっとだった。
「明日までに考えてくるから、鹿島さんも何か考えてきてね」
「私も?」
菊池さんには友達が多い。彼女の人付き合いセンスは尋常ではなく、クラスの人間の大多数は菊池さんと何らかの接点があるし、自由奔放に振る舞っている割には誰からも嫌われている様子はない。
そもそもの容姿が小柄で、仕草も何となく小動物っぽく、誰にでも分け隔てなく接する彼女は、男女問わず最初から結構人気が高いのだ。
私に嫌がらせをしようとしたクラスの女子どもを結果的に止めたことがあったが、そいつらとも特にギクシャクすることなく仲良くやっているっぽく、本当に意味が分からない。
……何より、人と関わるのが根本的に好きではないこの私すらも、思わずちょっと心を許してしまったくらいだし。
話が逸れたけど、結局何が言いたかったのかというと、それくらい友達のいる菊池さんなら、あだ名の一つや二つくらいあるはずだということ。
「うん、あるよー」
その旨を尋ねてみたところ、菊池さんはあっさりとそう言った。
「どんなの?」
「うーん、なっちゃんって呼ぶ人が多いかな、最近は」
夏美だから、なっちゃん。オーソドックスなパターンだ。……たぶん。
「鹿島さんは?」
「……特に」
そう答えると、「おぉぉー、さすが」となぜか驚嘆された。何が「さすが」なんだろうか。
「じゃあ、新しい自分に出会うチャンスだね!」
「え?」
菊池さんはこの頃からずっと、急にこういう発言をする人だった。
「何かさ、新しい名前がついたら、自分が増えたみたいな気持ちにならない?」
「……分からない」
あだ名がついたことがないって話をついさっきしたばかりなのに、同意を求められても。
でも、ちょっと気になった。新しい自分。この菊池夏美という変な同級生に思いがけず心を開いてしまった後の、私が知らない私。
菊池さんとは最寄駅が同じで、実は家も結構近所だった。学区の関係で小中は違う学校だっただけ。入学してからずっと行き帰りに会わなかったのは、時間帯が違ったから。私は早く行って早く帰る派で、菊池さんは逆。
でも、仲が深まってからはできるだけ一緒に行って一緒に帰るようにしている。その日もそのまま一緒に電車に乗って、同じ駅で降りて、そこで別れた。
「じゃあ、あだ名よろしくね〜」
ひらひらと手を振りながら去っていく菊池さんを見ながら、私は考えあぐねていた。
明日、彼女を何て呼ぼうか。
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