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星の名前
俺が目を逸らせないでいたら、先生がふ、と笑った。
「モデルはもういいから。気にせず来いよ」
「え……」
駅に行くために奥の部屋の電気も切ってたから、明かりは台所の前にある小さな手元灯だけ。その光に、先生の顔が月みたいに半分だけ照らされてた。
「その事気にして無口になってんだろ、お前。司が作ってくれたプリン、無言で食うくらい……」
先生は腕組みをして、いかにも可笑しそうにくっくっと笑った。かあっと頬に血が集まるのが分かる。
司さんとこでもらって来たって渡されたプリン。
そりゃ確かに黙って食べたけど!美味しいって言ったら目を見ちゃいそうで言えなかったんだから、仕方ないだろっ
「先生……俺、やります。途中で止めないって約束しました」
なんか子ども扱いが悔しくて言った。またああならない保証はないのにバカだって思いながら。
「だから何の意地だよお前…………
分かった。じゃあ、受験が終わったらやって。今カンバスに描きかけてるやつは完成させてぇから」
先生はドアを開けて狭い玄関から俺を押し出しながら自分も靴を履いた。ほ、ほ、と吐き出された白い息が俺のと先生のと重なってすぐ消える。
「試験いつ終わんの?」
「2月13日です」
「あと2ヵ月か……」
カギをかけて先に歩き出した先生は、視野で俺を気にするようにして両手をズボンのポケットに突っ込んだ。
先生の斜め後ろを追って歩きながら空を見上げれば、裂いた綿のような雲の間に白く輝く冬の星座。
「星……綺麗ですね……」
「ん……?ああ……」
「俺……冬の夜空って特に好きで……」
星の瞬きに、縛られてた心が一時自由になって言葉が漏れた。
「シリウスが好きなんです。じりじり燃えてるみたいじゃないですか?冬の大三角は都会でも見えるけど、やっぱりこの辺の方がはっきり見えますね」
「シリウスってどれだよ。三角とか聞いたことねえよ」
「え、シリウス、ベテルギウス、プロキオンを結んだ三角形ですよ。先生も学校で習ったでしょ」
「さあな。興味ねーもん。名前とか」
ちょっとした会話が楽しくて、嬉しくなる。駅にずっと着かなければいい……
先生の横で空を指差して星の名前を並べて、気のない返事をしつつもちゃんと俺の指す方を追ってくれてる先生と同じところを見てる。
もっとそばにいたい……
はっきりとそう感じていながら、俺はまだ、自分の気持ちの名前を知らないでいた。
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