凄腕

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「先生の席はこちらです。一時間半経つと、母が紅茶とケーキを持ってきます」 俺が自分の椅子の隣にある黒いハイバックチェアを指して言うと、越智先生は「ああ、はいはい」と言ってそれにゆったり座って、そのまま目を閉じた。 一呼吸おいて何か言いだすのかと思って、俺は越智先生の顔を見つめてしばらく待っていた。 けどいつまで経っても喋り出す気配がなくて、よくよく見れば呼吸は深くゆっくりになっていて…… え、嘘だろ……寝てる……? 「先生……越智先生……」 先生を呼ぶと「んぁ……?」なんて、信じられないけど本気で寝ようとしてたみたいで。 「何……してるんですか」 「え……こういう仕事って聞いてきたけど。違ったの?ミネギシクンとは直の友達じゃねえからなぁ」 先生が欠伸をかみ殺しながら言って、俺に微笑んだ。 「なんて聞いてたんですか?」 「静かに黙って隣に座っとくだけで金が貰える仕事」 にっと笑った先生は「なんか他にすることがあんの?」と邪気のない感じに俺を見上げた。 確かに静かで俺に口出ししない人、って注文を付けた。注文通りだ。 けど初日に、来て何も言わないまま本気で寝だす大人がいるなんて思いもしなかった。 「いえ……それでいいです……親が上がって来た時は俺が起こしますんで」 「りょーかい」 そのまま腕組みをしてまた寝始めた先生に、逆に俺の方が戸惑ってた。自分の望みどおりの人がきたってのにさ。 結局越智先生は本当にずっと寝ていた。 階段を上ってくる足音に急いで先生を揺すぶり起こすと、ドアのノックに返事をしてから、いかにも今終わりました風を装って大きく伸びをした。 「先生、お疲れ様でした。あの……どうでしょうか。息子はなんとかなるでしょうか」 ウエイトレスよろしく紅茶とケーキを机の上に置きながら、母さんの目が探るように先生を見る。 「ええ、見込みはありますよ。真面目ですし熱心ですし。僕も教え甲斐があります」 ニッコリ笑って言う先生に、俺は絶句した。 そんなしれっとよく言うな。つい1分前まで寝てたくせに。 峰岸から俺を辛口評価をされていた母さんは、まるごと信じちゃいないんだろうけどそれでも嬉しそうだ。 「どうかよろしくお願いします!ちょっと気弱ですけど真面目ないい子なんです」 俺はトレーを抱き締める様に頭を下げる母親に内心閉口しながら、ゆっくりお召し上がりくださいね、と出てくのを見送った。
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