凄腕

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先生は黙々と食べた。 アンジュ・ド・ヴィオレのチーズケーキを無言で食えるなんて信じられない。 「旨く……なかったですか」 食い終わって紅茶をすする先生に言ったら、「え、旨かったよ。すっげぇ旨かった」ってふにゃっと笑った。 「アンジュ・ド・ヴィオレって店のチーズケーキなんです。すごい人気で、ショーケースに並んでもすぐ売り切れちゃうんですよ」 「へぇ……」 「うちから駅に向かう途中にあるマンションの1階にあります。 もし買いたいならチーズケーキじゃなくてガトー・オ・フロマージュって書いてあるやつがそうですから。無いことの方が多いけど、運が良ければ買えます」 「ふぅん……」 なんでこんなに必死に話しかけてしまうのか自分でもよく分からなかった。 もしかしたら……俺に気も使わなければ、興味も示さない初めての大人だったからかもしれない。 先生が帰ってしまってからも、その椅子に纏いつくような存在感がいつまでも気になった。 「先生の教え方、どう?分かりやすい?ちょっと頼りない方かなってお母さん思ったんだけど……でも見込みあるっておっしゃってくださったし、要はあなたの成績が上がりさえすればどんな方でもいいわけだし」 ケーキ皿とカップをキッチンに運んできた俺に母親が探るような目線を寄越す。 「うん。分かりやすい、かな。まだ初めてだからなんとも言えないけど」 「とにかく頑張ってちょうだい。あなたにはどうしてもお父さんの会社を継いでもらわないといけないんですからね」 「はい……」 広々としたダイニングキッチンやリビングは週に1度はハウスクリーニングが入っててチリひとつ落ちてない。 まるでインテリア雑誌から抜け出たようなそこは温かみに欠けてて、俺はすぐに踵を返して自室に上がった。 俺の椅子の隣にある、高い背もたれのある黒い椅子。柔らかい座り心地のこれにもたれ掛って1時間半。 「寝れる……?普通……」 真似をして寄りかかって目を閉じてみると、脳裏にほんとにあんた27?っていう寝顔が甦る。 笑うと素直で屈託のない印象なのに、何を考えてるのか全く分からない初めての大人。 俺は来週を少し楽しみにしてる自分には、まだ気づいてなかった。
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