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第一戦
翌朝、尊に降りかかったのは、今春一番と言っても過言ではない災難であった。
「聞いてないよ!!」
芸人の決まり文句のような叫びを上げると、父も姉も困り顔で玄関に立ち尽くしている。
「前から言ってあっただろう? 大丈夫だよ。父さんも、お姉ちゃんも、すぐ戻るんだから。たった三日じゃないか」
「そうよ。私が誘ったら、あんた、力いっぱい断ったじゃない。『せっかくの春休みに、勉強するためだけに塾の合宿に参加するなんてあり得ない! 俺はぜったいに嫌だ!』って」
「俺が言ってるのはそこじゃないよ!」
一人で家に残る息子を案じた父は、当然の対策を講じた。すなわち、子守りを依頼したのである――もっとも身近な親類に。
「なんなら、フラミンゴおばさんに来てもらう? 喜び勇んで来てくれるわよ。また、『一緒にお歌を歌いましょう!』って、誘われるわね、きっと」
長い黒髪を払って言いのけた姉の冷めた声に、ぎくりと顔が強張る。
「フラミンゴおばさん」とは、ホームヘルパーの一人であり、常にピンクの服を着ていることから二人で命名した。父が遠征で長く家を空ける時に派遣を依頼するのだが、高確率でフラミンゴは飛来する。「四人の子育てを終えたパワフルママ」との肩書きを売りにしている自称・子守りのエキスパートだ。
「もしかして、誉が嫌なのか?」
あれこれ理由をつけて二人を引き留めようとしていた尊に、父は直球で質問をぶつけてきた。叱られた犬のような気まずい顔で見上げると、父もまた実にわかりやすく落胆している。
「尊」
尊の視線を捉えたまま身を屈めた父は、表情を引き締めた。
「いきなり会って、『はい、今日から家族です!』……なんて、無理なのはわかってる。ずっと同じ時を共有していても、わかりあえないことの方が多いんだから。……後悔、してるんだ。昔、家族がバラバラになって……何か、できたはずなのに、ためらって、足が竦んで、動けなかった。……こうして、誉と再会できたのは、今度こそ仲良くできるようにって神さまがチャンスをくれた――そう思ってるんだ」
気まずい沈黙の最中、外廊下でガチャリと鈍い音が響いた。開け放しだった玄関から親子三人で顔を出すと、ドアノブに手をかけた叔父と目が合った。朝拝を終えた後らしく、浅葱色の袴を脇に抱えている。
「おはよっ! 悪いけど、尊を頼むな!」
今しがたの気まずさを吹き飛ばすような朗らかな父の挨拶に、ぎょっとした。
誉は肩を竦めただけで、何も答えはしなかった。
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