第一戦

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 いて、と反射的に口にしたが痛くはなかった。  驚いて振り返った先には、コンビニのものらしきビニール袋をぶんぶんと手で回す見慣れた級友二人が立っていた。 「お休みなのに買い物の手伝いですかぁ? 父子家庭は大変ですなぁ」 「前回の試合も、お父上は相変わらずオーバーアクションで目立ってましたねえ。そのわりに、チームは連敗とはいただけない」  退路を塞ぐように立つ二人は、同級生とは思えぬ体格のよさである。背の順では常に最前列に位置する尊をにやけた顔で見下ろしていた。  二人の背後には、予想通り、瀬名(せな)の姿があった。クラスのリーダー格の彼が、こんな愚行を指示しているわけではない。  尊は瀬名に快く思われていない――それを知る彼の取り巻きたちは、忠義を示すべく、常に尊をからかいの標的とするのだ。  KY――なんども耳にした、尊への「評価」。ケーワイ。級友たちが口を揃える軽々しい単語が、重く心に突き刺さる。  素直で快活な性格――そう評されたのは小学校低学年くらいまでだ。学年が上がるに従い、回顧するのもしんどい思い出の数々が積み重なっていく。  小三のバレンタインデーに机にチョコを忍ばせた女の子に礼を述べたら、声が大きすぎてクラスに筒抜けになってしまったこと(女子全員に糾弾された)。  遠足で班員とはぐれたために一人で観光を満喫していたら顰蹙(ひんしゅく)を買ったこと(動物園でハシビロコウを観察してとても有意義な時を過ごせた。皆が見たがっていたペンギンに興味はなかった)。 「なに笑ってんだ、こら」  ぺしゃ、と腑抜けた音を立ててビニール袋が頭に振り落とされた。空袋は痛くも痒くもないが、惨めさだけは倍増する。なにより、へらへらと笑うことでしか応戦できない自分が情けない。  通りに立って傍観している瀬名の顔が険しくなった。彼はいつもそうだ。尊が笑うたびに、不機嫌な顔つきとなる。 「お前の笑顔、ホント、上辺だけだよな。ムカつく」。そういえば、前にそんなことを言われたっけ……。 「ガキども、うるせえぞ」  地底から呻くような声が背中にかけられた。目の前に立つ、デブ&ノッポのコンビがぎょっと後退する。  振り返ると、参道のど真ん中に仁王立ちする誉がいた。袴姿という神聖感と、端整ゆえに迫力が増す無表情に、級友たちは見る間にしゅんと俯いた。 「生まれた家や親の職業は、ガキにはどうにもならないことだ。そんくらいのこともわかんねえのかよ。いじめ方としては下の下だな」  長身から見下ろす顔が、不愉快極まりないとばかりに歪む。じりじりと下がる二人は、ついに神域の外へと弾き出された。 「おい、行くぞ」  低く呟いた瀬名は、尊を一瞥すると踵を返した。慌てて後を追う二人の背中をぼんやりと見送る尊のすぐ近くでガサガサと音がした。買い物袋を手にした誉は、ごく自然な口調で問いかけてきた。 「なんで、やり返さない」  なんで?   怒りや屈辱を堪えて笑うワケ?  むきになって反撃すれば、彼等をつけ上がらせるだけだ。泣いたり喚いたり、反応すればするほど手を叩いて喜ぶ。シンバルを鳴らすおもちゃの猿のように、馬鹿みたいに。それをわかっているから――……。 「笑ってやり過ごせば嵐が過ぎ去るからか? 抵抗すればするほど攻撃がエスカレートするからか? 黙って唇を噛んで我慢して……」  両手に荷物を持ち、誉は一歩、参道を進んだ。と、思うと、立ち止まって、途切れた言葉を繋いだ。 「それも一つの方法だ。否定はしない。でもな、それじゃ、誰とも心を通わせられないぞ」  言うなり歩き出した叔父は、振り返ることなく歩き去った。彼の姿が消えても、尊の瞳には明るい青色が焼きついていた。
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