第二戦

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第二戦

 同居生活二日目の目覚めは快適であった。  布団の中でしばらく瞬きを繰り返し、自室ではないことを静かに思い出す。持参した置き時計がまだ六時前を指していることに驚いたその時、隣室の物音に気がついた。 「ちょうどいい。叩き起こす手間が省けた」  ドアから顔を覗かせると、身支度を整えた誉と出くわした。手に袴を持っているところを見ると、社務所で着替えるのだろう。早朝らしからぬ、きりりとした面持ちに、この男は家でくつろぐことがあるのだろうかと疑惑を抱く。昨晩も、大学の課題か何か知らないが、夕食後にリビングで長時間に渡り、パソコンを睨みつけていた。 「和と洋、どっち派?」  ドアに貼りついたまま、挨拶もせずに質問をぶつけた尊は「しまった」と後悔した。主語が足りない――幾度となく、級友や教師たちから指摘される癖だ。 「洋。内容は任せる」  叔父は颯爽と廊下を進みながら答えた。ガチャリと施錠される音が耳に余韻を残す中、質問が通じたことをぼんやりと噛みしめる。 (変なヤツ……)  血の繋がりが成せる技、だろうか? 自分の言葉足らずを棚に上げ、父や姉としか共有できなかった癖が通じたことを奇妙に、どこか幸福に感じていた。  縁がカリカリに焼けた半熟目玉焼き、トマトとアボカドのグリーンサラダ、ひいきの店でいつも購入しているクロワッサン、ミルクたっぷりのカフェオレ……。  バターの容器と苺ジャムの瓶を食卓の中央に並べた尊は、己のセンスに酔いしれていた。 「……男ウケを狙うことに命をかけてる小賢しい女がインスタに上げそうな朝食だな」  帰宅した誉の第一声は心外そのものだったが、ツンと無視して席に着いた。  祖父宅――叔父宅か――は、自宅とまったく同じ造りである。それでも、「ヨソの家」であることには変わりなく、一晩離れただけの、すぐ隣にある自宅が恋しかった。 「今日の任務を発表する」  うららかな春光が降り注ぐ南向きの窓を背に、誉が厳かに切り出した。手前に並ぶ皿は綺麗に空になっている。 (もし、俺がスパイだったら、スリリングな依頼を遂行するのはドキドキして楽しみだけど……。こんなボスなら命が幾つあっても足りないだろうな……)  慄きを顔に貼りつけた尊に、誉は眉を軽く上げて見せた。 「なんだ、そのツラは? ……午前中のうちに、昨日、俺が指示したところまで、各教科の予習を済ませること。且つ、じいさんが最も使っていた南端の部屋の片づけをしておけ」  ええええっ、と、見事な嘆きが口を突いた。 「安心しろ。予定を見越して、今日の宿題は少なめに設定してある。それだけでも十分な配慮だが、俺は慈悲深い人間だ。南端の部屋は、(やまと)が大方、片づけを終えていて、細々した物が多少残っているだけだ。大して時間はかからない」  それと――自称「慈悲深い」男は、切れ長の瞳をじっと据え置き、言葉を継いだ。 「今日、昼の食事は用意しなくていい。俺に付き合え」  ムンクの叫び的表情を呈していた尊は、最後の指示を聞いて首を傾げた。外食、だろうか? この叔父が子供の機嫌を取るべく、そんな真似をするとは思えないが……。 「本当は境内の掃除を任せたいところだが、お前の中学入学前の準備があまりになってないから、仕方なしに勉強させてやってるんだ。ありがたく思えよ」  空の食器を手に立ち上がった叔父の捨て台詞を、尊は最後までポカンと口を開いたまま聞いていた。
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