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青風襲来
黒いキューブ型の目覚まし時計から、ショスタコーヴィチの『革命』が流れている。
先月、尊と姉の十一回目の誕生日に贈られたプレゼント。姉の時計は赤色で、曲はエルガーの『威風堂々』であった。贈り主の父曰く、「色で分けただけで、選曲に深い意味はない」そうだ。
尊はベッドに身を起こし、金管楽器の奏でる高らかな音に呆然と目をしばたたき、今しがたの夢と現とをさまよっていた。
「尊!」
勇壮な音楽に負けない声を張り上げて、部屋に現れたのは姉である。
すでに身支度を整えた彼女は、長い髪を揺らして鳴り響く時計をはたくようにして止めた。続けて、きびきびとした動きでカーテンを開けにかかる。朝の淡い光に晒された姉の輪郭は、白く霞んで見えた。
「春休みだからって、寝坊は許さないわよ。早く起きなさい」
ベッドの脇に仁王立ちした姉は、アイボリーのニットパーカーに、ブラックウォッチ柄のキルトスカートを合わせている。シンプルイズベストを最上とする彼女は、花柄やレースの服は軽蔑している嫌いがあった。
(黙っていれば可愛いのに)
さっさと部屋を去る姉にそんなことを思いながら、南西に面した窓に近づいていく。裸足で降りたベランダの冷たさに身を縮こませつつも、手摺に腕を置いて下を覗きこんだ。
記録的暖冬から一変し、大陸から強い寒気が流れこんだ今年は珍しく寒春である。季節外れの降雪に列島は混乱し、桜の蕾が雪を纏う姿がテレビに映し出されていた。
マンションの七階からは、隣接する神社が一望できる。本殿の裏から北側にかけての一帯――かつては広大な鎮守の森が広がっていた場所が、マンションに変化しているとは神さまも驚きだろう。現在では、小さな森と、神木の黒榊が残されているのみだ。
「おはよう」
部屋の正面近くに立つ神木の頭頂部を見下ろして挨拶する。ゆうに十メートルはあろうかという大木は、旭光に黒々とした葉を煌めかせていた。
「あの夢をまた見たよ。俺に……何を伝えようとしてるんだ?」
戯れの問いかけに応えるように、一陣の風が下から吹き上げた。たまらずに瞳を閉じかけた瞬間、視界の端が鮮やかな青色を捉えた。
隣家の洗濯物がベランダの手摺を超える勢いではためいている。目にも鮮やかなブルーの……スカート、だろうか?
気まぐれな春風はぴたりと止み、隣家のプライバシーを目にすることは叶わなかった。
隣とを隔てる壁を数秒見つめた後に、思わず天を仰ぐ。果てなく広がる淡い水色は、平穏な日々を象徴するかのようであった。
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