第二戦(場外戦)

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「昭和初期とか大正の時代はねえ、兄弟が十人近くいるのが普通だったのよ! うちは七人でね、一番上の姉さんは今、九十歳近いんだから! 兄たちは皆、六十過ぎくらいからポコポコと亡くなっちゃったんだけど、姉だけはしぶといわー」  食卓へと招かれた尊は、初対面の大伯母・富士子の勢いに気圧され、終始ぽかんと見上げていた。ばあちゃんの姉……家系図はすぐに浮かぶが、図式で示すよりは遥かに遠い間柄である。 「あたしと姉さんと(なが)ちゃんとで、『うちの家系は女は長寿だから、年とったら姉妹三人で楽しく暮らそう!』って、約束してたの。それなのに、あたしより先に逝っちゃうんだから、悲しかったなー。でも、出戻りとは言え、長ちゃんともう一度、同じ家で生活できたのはいい思い出よ」  富士子の話に、がばっと身を乗り出した。「長ちゃん」とは、「長子(ながこ)」こと、尊の祖母を指す。溌溂と(一方的に)会話を進めていた富士子は尊の反応に、笑ったまま軽く首を傾げた。つるっと血色のいい肌も、動きのあるショートヘアも、七十代とは思えぬ若さである。 「子供に『出戻り』とか言うな」  口を開きかけたところで、横槍が入った。対面式ではない、隣接する台所から誉が現れたのだ。両手には三重の塔ならぬ、三段重ねの桶を抱えている。 「あら、ありがと。二人のために奮発して特上を頼んどいたから!」 「そりゃ、どうも」  あれよあれよという間に、食卓には寿司桶三つと、汁椀が並び、昼餉が開幕となった。カーテン越しの陽光に、寿司たちは表面を煌めかせており、箸をつけるのが勿体ない。太陽よりも眩いサーモン、淡い黄色が素朴な魅力の卵、妖しく誘いかける紅玉(ルビー)のイクラ……どのネタよりも存在感を放つ中トロは、抑え目の赤紅色で中央に君臨していた。寿司桶内の絢爛にうっとり見入るうちに、すっかりと叔父への疑念を忘れ去ってしまった。 「嫌いなもの、ないか?」  四人掛けの食卓で斜め前に腰かけた誉が、かつてない温和な声で問いかけてきた。「俺、好き嫌いはないよ。お寿司も大好き」「あら、えらいわー!」富士子に褒められ、笑顔で応じたその時だった。 「あ――――っ!!」  長い腕が伸ばされ、大事に取っておいた中トロが奪われた。尊が叫ぶ間に、余裕ある動きで醤油(むらさき)に軽く浸され、誉の口内へと運ばれるまで、数秒の惨事である。 「なにすんだよ!」 「俺は穴子(あなご)が苦手なんだ。だから、トレード」  中トロが鎮座していた跡に、ひょいと置かれた穴子も嫌いではない。嫌いではないが……絶望の面持ちで、王者の消えた寿司桶を見下ろした。 「誉の意地の悪さは誰に似たのかしら。長ちゃんも、じいさまも、頑固ではあったけど、性根は優しい人だったのに」  最後は尊に向けて笑いかけた富士子が、自分の中トロを尊の寿司桶に置いた。ぱっと顔を上げた先にある笑顔の老嬢は、少々年季の入った天使かもしれない。 「ありがとう……。富士子――」 「名前でいいわよ。大伯母さん、なんて、年寄りくさいじゃない!」 「富士子ちゃん、ありがとう」  やだー、と、再びの恥じらいも、当然に誉への一撃とセットであった。汁椀に口をつけていた叔父が軽くムセる姿に、二人の間に築かれた確固たる信頼を垣間見た。祖母亡き後――誉が十歳から大学進学までの間――面倒を見ていたのは、この女性(ひと)なのだ。 (誉はともかく……富士子ちゃんが、嘘とか隠しごととか、しないよな……)  出会って一時間にもならないが、目の前で笑う大伯母は信頼に足る人物だ。もし、尊がくすぶらせている疑問を口にしたら、大笑いされたことだろう。  誉は、俺の「兄ちゃん」かもしれない。 (違って、よかった)  安寧とともに頬張った念願の中トロは、舌の上で甘くとろけて消えていった。
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