第二戦(延長戦)

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 布団の上に起き上がり、しばらく、じっと座ったままでいる。お守り替わりに持参した置き時計――父からの贈り物だ――を視認すると、十時を少し回ったところであった。  パジャマの上にカーディガンを羽織り、音を立てないように気をつけて、部屋のドアを開く。万が一、誉でない人物だったら大変だ。……「人」なら、まだいいけど。自らを鼓舞するべく、ぶるっと身を震わせて、幻想を振り払う。そろりそろりと歩を進め、明かりの点いていない居間を不思議に思いつつ、玄関方面へと目を凝らした。 「誉っ」  自分の叫び声が、夜を揺れ動かすように響き渡った。  点灯しておいた玄関の照明が、横たわる叔父の姿をくっきりと浮かび上がらせていた。帰宅するなり前方に倒れこんだのだろう。救いを求めるように左腕が伸ばされ、うなだれた髪が乱れている。尊の位置からは頭頂部しか見えないが、ぴくりとも動かないことだけは遠目にもわかった。  暗闇に沈む居間を走り抜けて、叔父の元へと近づく。尊の気配にもなんら反応は見せず、枯木色のトレンチコートから伸びる手が、仄かに闇を照らすダウンライトの下でより白く映る。 (救急車――呼ばなきゃ)  打ちつける鼓動とは対照的に、思考は冷静であった。だが、先ほどの叫びが嘘のように、少しも言葉が出てこない。呼びかけて、意識を確認しなきゃ。いや、先に電話だ。そっと触れた誉の指先は氷のように冷たく――存外に強い力で、尊の手を握り返してきた。 「――……だ」 「え、なに!?」 「酔った……だけ、だ」  床に突っ伏したまま、誉は呻くような声を振り絞った。「急性ナントカかもしれないよ」「……一杯しか、飲んでねえ」「でも――」  冷え切った長い指が、尊の反応を封じようとでもするように強く握られる。鈍重な動きで向けられた顔は青白かったが、すでに見慣れた感のある、鋭い瞳には精気が宿っていた。 「大丈夫、つってんだろ。大人の言うこと、聞け」  ガキが――最後の言葉はくてっと落ちた首とともに、吐き捨てられた。  床から立ち上がると、すでに足は強張り、裸足の爪先が冷たくなっている。ひとまず、ほっとして見下ろす先には、力尽きた叔父の背中が静かに上下していた。……このまま放置して、死んだりしないだろうか? (あんだけ、憎まれ口を叩けるなら……大丈夫か)  こんな状況下でも虚勢を張る姿は称賛に値する。父の素直さを、ほんの少しでもいいから、分けてあげたいものだ。  迷った末に、尊はリビングに戻って、電話を手にした。
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