第二戦(延長戦)

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『え、尊か? 誉はどうした?』  九コール目で父は電話に出た。随分と声が遠く、どうやら屋外にいるらしい。 「その誉のことで、一応、報告しておくね。あいつ――誉、さっき、帰ってきたんだけど、玄関で倒れて動かないんだ。夕方、総代さんに誘われて――」  一瞬の沈黙の後、電話は単調な機械音となった。かけ直してみたが、音声アナウンスが流れるばかりで、どうやら、父の携帯は電池切れか電波が届かぬ状況にあるらしい。  とりあえず、父の声を聞いて少しだけ安心した。また、落ち着いたら電話があるかもしれないから、子機を近くに置いておこう。明かりも点けずにリビングを横切ると、寝ていた部屋ではなく、誉が使用している手前の部屋に向かった。 「よい、しょっ」  ベッドの上にきちんと畳まれていた掛布団と枕をひとまとめに抱え上げると、部屋の入口に突っかかりつつも強引に押し進む。廊下の両壁に布団をこすらせ、目的地の玄関へと到着した。 「……あ?」 「俺の力じゃ、誉を運べないから。とりあえずの対応」  寝転がる誉をまたいで、伸ばしきった足に手を伸ばす。高そうなヌバックのレザースニーカーは、幸いにも簡単に脱げた。  続けて、ジャケットを脱がしにかかると、寝転んだままの誉が緩慢に動作を協力した。拒否もせずに素直に応じる様は、尊が思う以上に、ダメージが大きいのかもしれない。 「お酒、弱いの?」 「ああ。……こればっかりは、どうにもならない。何度も克服しようとしたけど、駄目だな」  へえ、と適当な相槌を打って、意外な弱点への驚きを隠す。父は酒豪である。家で飲むことはなく、ほとんどが仕事上の付き合いであるが、いつも、ケロッとした顔で帰宅していた。 (やっぱ、似てないなあ)  横向きになった誉は閉眼し、長い睫が頬に影を落としていた。全身をくるむように布団を巻きつけて、枕を頭の下に入れれば完了である。硬い床の上より、少しはマシだろう。 「水、飲む?」 「いや、いい。居酒屋でジャスミン茶をがぶ飲みした……」  徐々にすぼまる語尾が弱々しく、本当に誉なのかと、別の意味で不安を覚え始めた。壁の方を向いた誉を見つめると、もう一度、部屋へと走っていった。 「……なにしてんだ?」 「俺の寝床を作ってる」  横向きに寝ていた誉の背中側に、自分の掛け布団を押しこんだ。玄関前の廊下は二人分の布団でぎゅうぎゅうである。  大事なさそうとはいえ、動けぬ者を放置するわけにはいかない――尊の思考はいつだってシンプルだ。 「まさか、ここで寝る気か?」 「うん。なんとか寝返りも打てるよ」 「……部屋で寝ろ。俺は平気だ」 「おやすみっ」  元気に言い放つと、布団に丸まった。厚手の布団がそろそろ暑いと感じていたが、今夜は役に立ちそうだ。布団の運搬二往復で疲れが出たのか、床の硬さも大して気にならず、睡魔が襲ってきた。 「尊」 「……うん」 「ありがとう」  どういたしまして。そう返したつもりだが、眠気に屈して尻すぼみとなっていた。背中越しに、誉が小さく溜息をついたのが最後の音となり、尊は眠りに落ちていった。
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