最終戦

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   小鳥のさえずりに瞳を開いた。ぴちゅぴちゅと絶え間ない囁きが重なり合うが、頭上を見回しても姿を捉えることはできない。尊の瞳に映るのは、限りなく黒に近い深緑色の枝葉――空を覆う黒榊の大木は、夜空のような暗闇で森に腕を広げており、無数の木洩れ日は星々のごとく輝いていた。  祖父への想いを心で唱えているうちに瞼が重くなった……などと知れれば、天国から雷か(やり)でも落とされるかもしれない。  昨夜の騒動で早くに目が覚めてしまい、数日ぶりに参拝に訪れたのだ。目覚めた時、家にはすでに誉の姿はなく、父は自宅に戻っていた。朝食の時間まで十分に時間があり、持て余した活力で森へと足を伸ばし、かつて、姉と木登りをしたことを懐かしんだ結果……。  今、尊の体は樹上にある。  黒榊の分枝に腰かけて、うーんと一つ伸びをした。地上から約五メートルはあろう。「猫とナントカは高いところが好きって言うわね」。かつて、木登り対決で勝利した尊に、姉は悔しそうに負け惜しみを吐いた。鎮守の森での蛮行が祖父に見つかれば、(はりつけ)にされただろうが、運よく尊は健在である。小学校高学年になった頃から姉は急に大人ぶり始め、尊と森で遊ぶことはしなくなった。  一人になってからも、時々、森へと足を運んだ。  いつまでも大人になりきれない自分を、学校という場所で常に浮いた存在である自分を、慰め、癒す、一時の隠れ処。 「不気味な神社!」と揶揄する級友たちは、心のどこかに畏怖の念があるのだろう。父が子供時分には遊び場だったそうだが、尊の級友をはじめ他の学区の子供たちも、森で遊ぶ姿を目にしたことがない(地獄の番犬さながらの祖父の存在が大きかったのかもしれない)。  神社のことも、森も、「怖い」などと一度も思ったことのない俺は、やはり、なにかが皆とズレているのかもしれない。神さま、木登りなんてして、ごめん。ここが一番、落ち着くんです。詫びとも言えない言葉を呟き、ぺろりと呑みこまれてしまいそうな太い幹にもたれかかる。 (大人になれば、面倒なことも上手く回避して、こうして森に逃げこむこともなくなるのかな……)  父も、祖父も、恐らくは誉も、少なくとも日常で、悩み、迷う姿を晒すことは、なさそうだ。……大人って、すごい。  尊が曖昧に大人を賞賛していると、砂利を踏む音が耳に届いた。  慌てて身を起こしたが、木から降りる間もなく足音が近づいたために、幹にしがみついてひたすらに息を殺した。幸いにも青々と茂った葉が雲海のように広がり、尊の姿を隠してくれている。  枝葉の隙間からこっそりと下界を窺った尊は、森を訪れた人物二人の姿に息を呑んだ。
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