エピローグ

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「ただいま! お邪魔します! わ、美味しそう。あたしも食べる!」  キッチンのドアが勢いよく開かれたと思うと、語尾を跳ねさせるような元気な声で挨拶しながら姉が登場した。 「無事?」尊の隣に腰かけるなり、耳元で囁いた彼女に力強く頷き返す。「余裕!」横顔を向けたまま、短く答えて成長ぶりをアピールした。 「苺ソースがいい! ――あ、そうだ。ねえ、電話で言ってたけど、あれはどういう意味?」  溌溂と訪ねてきた姉に目配せするが、彼女は大きな瞳をしばたたかせるだけであった。 「どうした? なんの話だ?」 「尊がね、父さんと誉が兄弟じゃないって――」 「わー!!」 「なんだと? おい、待て――」  伸ばされた誉の腕をかいくぐり、慌てて手近な部屋に駆けこんだが、そこは、よりにもよって宿敵の部屋であった。  あっという間に追いかけてきた誉を見上げて、目を見開く――と、叔父は人差し指を唇に当てて、黙るよう無言で指示してきた。 「お前がどんな妄想を描いているかは知らないけどな、俺はお前の叔父だ。残念ながら、しっかり血も繋がってる」  後ろ手にドアを閉めた彼は、機敏な動きで戸棚から深紫色の冊子を取り出し、パラパラとめくり始めた。 (アルバム……?)  叔父の言動が読めずに、ぽかんと立ち尽くしていた尊の眼前に一枚の写真が突きつけられた。両手で写真を受け取ると、誉は逃げるように窓を開けてバルコニーに降り立った。 「これ……。昨日、じいちゃんの部屋で見たアルバムにはなかった。初めて見るよ。全員が揃ってるのは……」 「お前のお母さんが撮ってくれたんだ」  手元の写真には、四人の人物が映っていた。  左端で破顔する若き日の父、その隣で無理に笑おうとして顔が強張っている祖父、祖父に寄り添う美しい婦人は……祖母だ。 「誉に似てる親戚を初めて見たよ。……似てる。こうして見ると、おばあちゃんにそっくりだ!」 「……妙な感心の仕方をするな」  あくまでも外を向いたままの叔父は、写真の中では笑顔を浮かべている。父と祖父の間で、無邪気に、なんの憂いも見せない子供の顔で。  バルコニーの手摺に腕をもたれている意地っ張りの背中を見つめて、なるべく真摯な声で呼びかけた。 「もう、俺や美琴に遠慮しなくていいよ。誉が寂しい時は、いつでも父さんを貸すから!」  容赦なく反論されるだろうと身構えたが、誉は唖然と瞳を見開いて尊に直っただけだった。穏やかな朝陽が注ぐバルコニーと、窓辺に立つ尊との境界に落ちた小さな嘆息を合図に、叔父は弱々しく笑ってみせた。 「お前こそ、倭にそっくりだ。……言葉足らずで、間が悪くて、なんでも顔に出して――不器用なくせに、必死こいて想いを伝えるところも、人の心を鷲掴みにして、離さないところも――」  靴下のままバルコニーに降り、誉に体当たりするようにしがみついた。尊とは別モノの大人の体はよろけることもなく、しっかりと受け止めてくれた。……たくましい父とは比べものにならないが、取っ組み合いで敵う相手ではなさそうだ。頭にそっと置かれた掌の温もりを感じると、すぐに身を離して誉の隣に並んだ。  眼界には、春空にそぐわぬ常闇の森が広がっている。  幼かったあの日――尊は神木に祈る父の声を耳にした。家族一人一人の名前を呼ぶ、穏やかな声を。  あの日の父の願いを、ゆっくりと心でなぞる。 (これからも、ずっと……俺の家族が幸福でありますように)  尊の祈りに応えるように、一陣の風が森を震わせながら吹き抜けていった。
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