青風襲来

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 若い男はバスタオル一枚を腰に巻きつけただけの格好で仁王立ちしている。 「なんとか言え、こら」  色白の裸身からは、怒りを表すような湯気がもうもうと立ち昇っていた。不機嫌間違いなしの顔は学生然として見えるが、露になっている肩や肘は張り、明らかに成人の体躯である。手足が長く、背が高い。均整の取れた体に見惚れていた尊ははっと我に返り、横を見た。姉は頬を染めて両手で顔を覆う――こともなく、眉間に皺を寄せて男を凝視している。 「あれ、お前ら……」  姉同様に渋面で応戦していた男が、何かに気づいた様子で表情を緩めた。見事な切れ長の瞳が交互に尊と姉を見比べている。……帰りたい!!  微妙な膠着状態の中、背後でチン、と間の抜けたエレベーターの到着音が鳴った。 「ただいまっ!」  最悪のタイミングで現れたもう一人の家族はこんがりと日に焼け、両手には長葱やら白菜の頭が突き出たスーパーの袋を下げている。仕事から帰宅した父は、子供たちが出迎えてくれていたと誤解し歓喜の表情だ。不規則勤務のため、親子は擦れ違いが多く、とくに週末や休日は、まともに顔を合わせない日も多い。 (父さんって、いっつも間が悪いんだ。じいちゃんとの喧嘩の原因もほとんどが行き違いだったよなあ……)  虚しさを噛みしめる尊の前で、男が派手にくしゃみをした。同時に、腰に巻いていたバスタオルがぱたりと下に落ちた。  久々に足を踏み入れた隣の家は、祖父の気配がすっかりと消え失せて、がらんとして見えた。見慣れていたはずの樫素材のダイニングテーブルに腰かけても、尊は少しも落ち着かなかった。  祖父と父が犬猿の仲だったこともあり、必然、孫である尊も姉も、すぐ隣に住む祖父宅に足繁く通ったわけではない。だが、顔を合わせた時には、祖父は気難しい顔のまま手招きして家に通しては茶菓子をふるまってくれた。会話などほとんどなく、祖父は岩のような表面の重そうな湯呑みをすすり、姉弟が騒げば容赦なく雷を落とした。尊は逃げ帰ることもあったが、姉は天性の気の強さから、平気で祖父にあれこれ話しかけていた。 「美琴が男だったら良かったのう」  時折、遠い目で呟いていた祖父は、本当は父に家業の跡目を譲りたかったのだろう。次点が姉、尊はノミネートされていたかも危ういところである。  ぶしゅん、と耳障りなくしゃみに、思い出は霧消した。 「ほら、ちゃんと乾かせ。風邪ひくぞ」 「痛い。よせっつの、馬鹿力が」  父とともに部屋に入ってきた青年は、もちろん着衣姿である。リブニットも、ボトムスも黒一色で、体に沿うニットが裸の時よりも手足を細く見せていた。  父はタオルをかぶせた青年の頭をがしがしと大きな手でつかむように拭くと、無造作に払った。ぼさぼさの髪は褐色に近い明るさで、隣に立つ父の硬く真っ黒な髪との対比が際立つ。顔をしかめて手櫛で髪を整える青年の肩を抱き、父は満面の笑顔で子ども二人に言い放った。 「弟だ!」
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